14.楽しい企み
「外国人?!」
ミリアムが素っ頓狂に問い返すと、美しい眺望をバックにアクセルはいたずらっぽく笑った。
「そう。リンは外国から来ている古い知人筋の令嬢だということにしておく。」
そしてリンの方へ向き直ると、
「君のその黒髪は丁度、エイジア人種のそれに似ているからな。皆信じるだろう。」
と言った。
「そして、アザリス語に不自由だ、ということにしておくんだ。そうすれば、何を話しかけられても『分からな』くても、不思議はないだろう?」
「考えましたね、アクセルさん。」
リチャードが感心したように相づちを打つ。こちらはいたずら好きな友達に呆れながらもついていく、大人しいクラスメートといった具合であった。
リンは目の前で目をキラキラさせているアクセルの活き活きとした様子に、思わず見とれた。
(私を詰った閣下とはまるで別人!いったいどちらが本当の閣下なの?・・・ううん、きっとこっちの快活でエネルギッシュで、それでいて少年っぽいのが本当の閣下。端整な上に、こんな魅力的な素顔を持ち、しかも財産にビジネスの才能も!神様は不公平ね、お与えになる人にはこんなにも二物も三物もお与えになるとは・・・。)
「ふふふ!今頃イザベルはお兄様からパートナーを務めて欲しいって言ってくるのを今か今かと手ぐすね引いて待ちかまえているに違いないわね?!
おあいにく!お兄様のお相手は誰も知らない、黒髪の異国の美少女が務めることになるんだから!」
「異国の美少女?」
きょとんとして聞き返すリンに、ミリアムは呆れたように続けた。
「なぁに言ってるの!リン・バクスター!自分がどれだけ魅力的か、気付いてないとは言わせないわよ?
そうでしょ?グッドマン。」
「は。ミリアム様。」
初めて会った時からリンの存在そのものを崇拝している、この年老いた執事は大仰に頷きながら、肯定の意を示した。
「そうですよ、リン、あなたには東洋的な魅力があります。今夜の夜会ではきっとセンセーションを巻き起こす事になるでしょう。」
愛するミリアムの嬉しそうな顔を見て、一層顔をほころばせて賛同の意を表するリチャードまでが、そんなことを言って来たので、あまりの気恥ずかしさにリンは無言で曖昧な笑みを浮かべた。
と、そんな楽しいやりとりに、硬質な声で物言いが入った。
「いや、そんなことになっては困る。」
発言者は無論、この場を支配するリーダー、麗しのディスカストス侯爵閣下である。
「どういうこと?お兄様。」
「注目を集めてどうするんだ?面倒を起こさない為にわざわざ外国人ということにするのに。
リン、誰に話しかけられても分からないフリをするんだ。無論、ダンスの申し込みにも応えてはダメだ。どこでどうボロがでるかわからない。常に私の側か、ミリアム・リチャードと行動を共にするように。」
「エエーっ?!でもそれじゃあ、ロマンスが生まれないじゃないの!」
「当然だろう?リンの役所はあくまで私の『虫除け』だ。『虫除け』自身が虫に喰われてしまってどうするんだ?」
「恐れながら、旦那様。その言い方は少々問題があるかと。」
グッドマンが気を遣って言ってくれるけれども、アクセルの『虫除け』発言にリンは不思議と安堵した。
それは、なにか得体の知れない予感、夜会という非日常の場でアクセルという強い酒のような魅力に溢れた男性と行動を共にする、という事に対して抱いていた不安に、『役割』『義務』の名札を付けることでその不安定さを取り除く役目を果たしたからであった。
「分かりました、かっ、アクセル。お任せ下さい。どんな令嬢からもしっかりガードしますから。」
リンがそう言って心の底からの笑顔を見せると、アクセルの鼓動はドクン!と大きく跳ね上がった。
(そうだ、私は彼女のこんな顔を見たかったのだ。心の底からの笑顔を。)
「そんなぁ!夜会は夜会。楽しむものよ?それなのに、まるで仕事に行くみたいに言わないで?!リン!」
「仕事だ、って思った方が気が楽なのよ、私。だって、今までお芝居なんてやったことがないんだから。私がやったことがあるのなんて、クリスマスの生誕劇での羊くらいなものよ?」
「羊?!羊って、あの、羊?!」
「そうよ、あの、四つ足の羊よ。セリフもないし、白い布きれをかぶるだけの。それも4歳の時に一度っきり。翌年からは、他の子供達の裏方にまわって、衣装作りから演出助手からプロンプターまで、なんでもやったわ。ふふふ。だから舞台に上がって何かを演じるなんて、私には無理なのよ。かっ…アクセルの虫除けの方がずっとずっと気が楽だわ。」
「…リン、あなた、じゃあ、クリスマスは…?」
ミリアムの表情が少々暗くなってしまったのを見て、リンは慌ててフォローした。
「あ、誤解しないでね?生誕劇は裏方だったけれども、台所じゃあいつも主役だったのよ?クリスマスだけは特別寄付があって、みんなお腹一杯食べられるから、シスター達と存分に腕を振るったものよ?みんなお腹をくちくちにして眠れるのは1年でその夜だけだったから。」
しかし、言い終わった時のミリアムの涙で潤んだ瞳を見て、自分の言葉がまったくもってフォローになっていなかったことを悟るリンである。
「な、なに?ミリアム?どうかした?私、なにもそんな泣きたくなるようなこと言ってないわよ?」
慌てるリンを眺めながら、アクセルはミリアムの心痛がイタイほど良く伝わってきて、自分の愚かな行動が余計に際立ったような気がした。目眩すら覚えるほどである。
一年に一度「しか」お腹一杯食べられない、そんな境遇を、当然として生きてきた少女。それなのに、この少女は人を助けるために医師をめざし、必死に勉学に励んで奨学金をもらっている。明るく健気に生き、友人の兄からどんな罵詈雑言を浴びせられても、耐え、その上勝手な都合を押しつけられて、親しいフリをしろだの外国人のフリをしろだの言われても、ただただ友人の笑顔を見たいがためだけに耐えているのだ。
(なんということだ…。私はなんということを言ってしまったんだ…。)
気まずそうに見つめ合い、複雑な笑みを交わしあうリチャードとリンを眺めながら、アクセルの中に激しい自己嫌悪の念がわき上がった。
「ようし、じゃあ、プレップスクールで何度も生誕劇だけじゃなくいろんな寸劇をやった経験のある僕らは、しっかり!リンのバックアップやフォローを務めなくっちゃね?そうだろう?ミリアム。」
「…ええ、ええ、そうね、リチャード。そのとおりね。イヤミな貴族連中に慣れてないリンの為に、私もう今日は絶対にリンの側を離れないようにするわ!」
「助かるわ、ミリアム。ありがとう。恩に着るわ。」
「もう、そんなこと言わないでよ、リン。私、もう、泣けて来ちゃう。」
「やだ、ミリアム、泣かないで。」
またもや瞳をウルウルさせ始めてしまったミリアムの気を引き立てようと、リンはおどけて言葉をつないだ。
「今夜、私たちは出席している人達をまるごと騙すのね?ああ、まるで映画みたい!タイトルはさしづめ、『ディスカストス侯爵閣下とハイエナ令嬢』ってところかしら?ねぇ?」
「ははは、巧いね、リン。」
リチャードがリンの反対側からミリアムの手を握りながら、続いた。
「ミリアム、私は君が一番心配だよ。うっかりボロを出して、リンの演技を台無しにしないでくれよ?」
だめ押しでアクセルがそう言うと、ミリアムがプッと噴き出しながら、言った。
「なに言ってるの、お兄様!お兄様こそ、寸劇も生誕劇もやったこと無いんでしょ?いつも運営委員会として企画立案運営ばっかりやってたんだから。大丈夫、私とリチャードが慣れないお兄様とリンをしっかりフォローしてあげる!」
ミリアムの言葉に、その場が笑いに包まれた。
ティーポットにお湯を入れながら、グッドマンはそっと涙を堪えた。
彼が仕えた二人目の当主の訃報を聞いて以来、ディスカストス兄妹がこんなふうに屈託無く話し合い、気易く楽しい雰囲気でもってこの別荘の居間を満たしたことがあっただろうか?
まだ二人が幼い頃、そして、まだアクセルが婚姻の優良物件としてハイエナ令嬢達のターゲットに悩まされていなかった頃。夏が来るたびにこの別荘はこんな笑い声で満ちあふれていたのだ。
ところが先代のディスカストス侯爵と公爵夫人が身罷り、アクセルがビジネスに没頭するようになってからは、こんなふうに笑い合う機会はとんと途絶えてしまったのだ。
しかし今、リチャードも含めてその場には暖かく愛情に満ちた雰囲気が満ちている。そしてこの得も言われぬ和やかな空気を作り出す『触媒』となっているのは、リン・バクスターという小ぶりな作りをした、若干19歳の孤児の少女なのだった。
(まったく、旦那様も早くバクスター様への自分の想いに気付いていただきたいものだが。)
ディスカストス侯爵家に仕える忠実な老執事は、そっと見やった。
その視線の先には、ミリアムと楽しく語り合うリンの横顔を無意識に見つめる現当主がいるのだった。




