137.ドクター・ブルーム、吼える
おーまーたーせーー!
ちょっと長目です。
思えば、リンがこの恩師と顔を合わせるのも、久方ぶりの事である。一瞬だけではあるが、目の前に繰り広げられている窮地の事などすっかり忘れ、ただただ驚きと懐かしさに支配されて、リンは目を見開いた。
一方、ハイエナ令嬢達とリンの丁度、中間に立ったドクター・ブルームは、黒尽くめのスーツに痩せぎすな長身で、一見して悪役のようにしか見えなかった。
そして、その外見に違わず、憎々しげな微笑みを浮かべると、ドクター・ブルームの反撃は始まった。
「おい、お前。覚えているぞ?私の講義で単位を落としそうだから、と言って、爵位をたてに脅してきたことがあったな?……確か、マックミランといったか?」
「ヒィッ……なっ!」
その名を聞いて、リンとミリアムもようやく朧気ながら、その存在を思い出していた。とはいえ、リンを目の敵にしていた学生は多かったので一々個別に認識してはいなかったのだが、一度だけ、マックミラン男爵家がどうのこうのと口をきわめて罵られた覚えがあったのだ。
たしかあれは、自分の分までレポートを書け、と要求されたのではなかったか?あまりにも厚顔無恥な要求の上、言うに事欠いて『お前のような貧乏人が勉強できるのも私たちが払っている高い授業料のおかげなのよ!?』とまで言われて、怒って掴みかかろうとするミリアムを必死で引き留めたのを思い出し、リンはまじまじとその令嬢の顔を見つめた。
その顔には、傲慢をそうとは思わずに年を重ねた人間特有のけばけばしい特権意識という汚れがこってりとこびりつき、腐臭を放っている。さっきまでリンを罵っていた時は活き活きとしていたくせに、ドクター・ブルームという大学教授という権威も伯爵という爵位もある人間に、真正面から反論されて、しかも自分の後ろ暗い過去を白日の下に引きずり出されようとしていることに狼狽えて、その卑しい顔をハゼのように歪めてブルブルと震えることしか出来ない。
「残念だったなァ、俺が伯爵で。
しかし、爵位を嵩にきて、単位を寄こせなんぞ、まともな人間の考えじゃない。
今までの教師達はみな、庶民だったんだろう?おおかた、脅しや賄賂という鼻薬を嗅がせて、実力以上の点数を取って進級してきたんじゃないのか?
そう考えれば、ウィリアムズ・カレッジに入学できたのも納得が行く。
実際、入学後はまったくついていけずに退学する羽目になったんだからな!」
ドクター・ブルームの皮肉たっぷりの声に、わなわなと震えた一人目の令嬢の結い髪が崩れ、バサバサと白髪のようなプラチナブロンドがほつれると、ギャーと声を上げて、まるでカケスのような声で泣き出した。
しかし、そんなことで鈍るようなドクター・ブルームの舌鋒ではない。間髪入れず、今度はその隣の令嬢に指を突きつけた。
「おい、そっちのお前は……ニムズなんとかだったか?」
その言葉に、途端に周囲から囁き声が上がった。どうやら2人目の令嬢は有名人であるらしい。
(あらあら、ニムズカム商会の……?)
(そういえば、放蕩を理由にデューランズへ留学に出された娘がいるという話だったが……)
(あれがその?)
(結局、なんの学位も取らずに帰ってきて、元の通りの放蕩生活に戻ったという話ですけど……)
(ニムズカムさんも困った親族を抱える羽目になりましたわね……)
(……まあ、お気の毒に……)
(ほんとうに……ねぇ……?)
リン達をぐるりと取り囲んでいる野次馬達から聞こえよがしなつぶやきが上がったが、そこには同情の色など微塵も無かった。それも当然であろう。目の前で糾弾される令嬢達のスキャンダルなんて、彼らにとってはまさに、単なるゴシップにしか過ぎないのである。
そんな興味本位の外野とは一線を画したドクター・ブルームは、依然、憤懣やるかたないといった表情で糾弾を続行した。
「ろくに授業に出ずに遊んでばかりいたせいで、俺の授業の単位を落としたくせに、言うに事欠いて学期末講師アンケートにあることないこと書きやがって!
俺が何時、お前に色目を使った?!だいたい、ほとんど授業に出てこないお前に、どうやって色目をつかえるんだ?!おかげで痛くもない腹を探られて教授査問会で面倒な目に遭った!おい、今からでも名誉毀損で訴えられるんだぞ!」
「ヒ……ヒィ……!」
指を指されて、こてんぱんにされた茶色い髪の女性は声も出せずに腰を抜かしてしゃがみ込むと、ドクター・ブルームに突きつけられた指の先で、まるで踏みつぶされたカエルのようなひしゃげた醜い顔で短い悲鳴を上げることしかできなかった。
こうして、最後に残った3人目の縮れ毛の女性に向き直ると、ドクター・ブルームは心底イヤそうな顔をした。
「よりによって、お前か、グーズワース……」
「ひひぃぃぃぃ!」
「お前、在学中に、バクスターにあれだけ世話になっていながら、よくもさっきのような事が言えたな?厚顔無恥とはまさにお前のことだ!!」
「えっ?」
(私に、世話になった?……私、と関わりのある人?)
リンはその恩師の言葉にその女性の顔をまじまじと見つめた。しかし、どう考えても見覚えがない。昔から、人の顔を覚えるのが得意なリンをもってしても、どうしても思い出せない。
そんなリンをチラリと見遣って、ドクター・ブルームは続けた。
「バクスター、こいつはお前が『後輩の為に』とウチの研究室に残していった試験対策ノート集の噂を聞いて、全部コピーして持ち帰ってそのおかげで必修科目の単位を取った。
ところが、その後ーー。
おい、グーズワース、お前がどうして大学を退学処分になったのか、その理由をここではっきりと公言してやろうか?!ああ?!」
「ひぃぃ!や、やめて!やめて下さい、お願いします!この通りですから!」
「そうだよなぁ?恥ずかしくて言えるわけがない、学期末の最終試験でカンニングを見つかったなんて!!しかもそれを誤魔化そうとして贈賄工作の挙げ句に収賄した教授共々、ウィリアムズ・カレッジを追われたなんぞ、大スキャンダルだからな!?」
「ギャァーーー!ギャーーー!」
こうして、どう考えても、正義の味方には見えない、悪人面に黒い微笑みを浮かべて、ドクター・ブルームはその令嬢に引導を渡したのだった。
当然、ドクター・ブルームの暴露した、3人の令嬢達の、余りに恥知らずな行状に、誰一人として同情の声を上げることは無くーー。
ディスカストス家の家令たちに引っ立てられて行く3人の後ろから、ドクター・ブルームはとどめとばかりに叫んだ。
「とにかく!お前らのような、努力も誠実も、ましてや献身なんぞ考えたこともない人種が、身分をたてに、リン・バクスターを詰ろうなんざ、お門違いも甚だしい!
それだけでも腹立たしいのに、言うに事欠いて、指導教官である俺の目の前で、医師免許取得にどうのこうのとケチをつけやがって!」
ドクター・ブルームは最後の仕上げとばかりに周囲をぐるりと見回して、叫んだ。
「ここにいる誰でも良いぞ!この、リン・バクスター医師の実力と免許取得に疑いのあるやつは、出てこい!この俺が、ブルーム伯爵が相手をしてやる!」
辺りがシンとしーー、次いでパンパンパンという大きな拍手が響き渡った。リンを含め、振り返った人々の視線の先には、輝くような笑顔で手を叩くアクセルがいた。
そんなアクセルと目を合わせ、ドクター・ブルームがにやりと笑うと、それを見た周囲の野次馬達が少しずつ拍手に加わっていき、やがて玄関ホールは大きな拍手の渦に包まれた。
その中心で、リンは自分を取り巻く拍手と人々の笑顔に戸惑いつつ、何とも言えない気分で突っ立っていた。
(……なんだか……夢みたい……)
こんな風に、公衆の面前で人からかばわれたことも、ましてや賞賛の拍手と暖かな笑顔で受け入れられたこともリンには初めての経験だったからだ。わけのわからない侮蔑や差別を投げつけられて、孤児院の小さい子ども達を庇いながら逃げたことはあっても、こんな風に受け入れられたことは初めてなのだ。
と、そんなふうに感激しているリンの肘をつつきながら、現実家のミリアムは、会の進行を心配して耳打ちした。
「リン、リン!ちょっと、しっかりして!
もう、こんなの、今夜起こるかも知れない事件のうちじゃ、ほんの序の口なんだから!」
「ええっ?!」
(ほ、ほんの序の口?!)
急に現実に引き戻されたリンは、頼りになる親友を振り返ろうとした。
が、目の前に立っている人物と目が合った瞬間、なにもかも忘れてその瞳を見つめることしか出来なくなってしまった。
「……リン……!」
差し伸べられる指先、優しい声。そしてーーその先にある、水銀の瞳。そこには甘く、暖かい笑みが浮かんでいる。
何時の間にこんな近くに来ていたのか。リンは外野の全てを忘れてアクセルと見つめ合った。
「閣下……!」
リンは涙を必死で堪えて、アクセルを見つめた。
(閣下、とうとう私、ここまで来ました!あなたと共に生きる為に……愛の名の下に生きる為に……!)
大きな榛色の瞳が、キラキラと光る。まるで盛夏の森を見上げたような、緑の斑模様が浮かぶその美しい煌めきに酔ったかのように、大股でアクセルはリンとの間を詰めた。
そうしてあともう一歩で触れ合うくらい近くに歩み寄ろうとした、その時だった。
「認めませんよ、アクセル・ギルバート!」
鋭く、権高い声が響き渡ったのである。




