13.舞踏会への誘い
「バクスター様、今晩のご予定ですが、急遽、岬向こうのスピレッツァ伯爵邸にて開催される夜会に出席することとなりました。」
「…?!…。」
リンは思わず手に持っていたイチゴを取り落としてしまった。それくらい驚いた。目を見開いてまじまじとグッドマンの顔を見つめる。
「突然で大変申し訳ありませんが、この後、即席ではありますがダンスのレッスンと、ミリアム様のドレスをお直しするための、採寸とピンうちをお願いいたします。」
「あ、あのっ!…無理、うんそう無理です。お断りすることはできますか?」
「…あいにくと難しいかと存じますよ…?」
「そんな…。」
「ふあぁー…おはよー、リン、グッドマン。私コーヒーが欲しいな~。」
振り返るとミリアムが延びをしながらキッチンに入ってくるところだった。
「ミリアム、丁度良いところに。ねぇ、あなたなら何とかしてくれるわよね?」
「なに?なんの話?」
「それが…。」
リンの視線を受けてグッドマンが会話を引き取った。
「今夜、スピレッツァ伯爵邸にて開催される舞踏会にみんなで出かけよう、と旦那様が仰っております。」
「えーーー?!スピレッツァ?…ってことは、ははぁーーん、応接室に来ているのはあの4人組ね?」
「御意。」
「…なんなの?その4人組って。」
「ウィリアムズ・カレッジの『三悪トリオ』みたいなものね。この界隈に別荘を持っている貴族の令嬢の中でも、特にディスカストス侯爵を狙っているハイエナが4人がいるのよ。」
「ハイエナって…。」
リンは思わず苦笑してしまった。どうやらグッドマンの表現はミリアムにとっても受け入れられているようだ。
「でもどうしてそんな舞踏会に参加することになっちゃったの?いつもみたいに断ればいいのに。」
「僭越ながら、お嬢様、理由を説明させていただいてよろしいでしょうか?」
「あら、グッドマン、あなた知ってるの?」
「はい。」
「なになに?さっさと教えてよ?」
「はい。
当初、4人の令嬢方が全員、当別荘への滞在を希望されました。これを旦那様が人手不足を理由にお断りしたところ、今度は旦那様とお嬢様を様々な会合や遊びの計画にお誘いになりました。これまた多忙を理由に旦那様がけんもほろろにお断りになったところ、ご令嬢方には、どうにも聞き入れる様子がなかったのでございます。」
「なによ、それ?!」
ミリアムが憤懣やるかたないといったような声を上げる。
「まぁ、食い下がったと言いましょうか…。
要するに、お断りになっている旦那様に懇願し続け、最終的には泣き落としを使うことも辞さないといったご様子で…。」
「どうせ嘘泣きでしょ?」
「さようでございますね。
ただ、旦那様は相変わらず社交界でのお嬢様のお立場を大切に思っていらっしゃいますので、早晩、お嬢様のことを持ち出して、半ば脅すようなことを言い出したスピレッツァ伯爵令嬢・イザベル様のお誘いに、とうとう頷かざるを得ない状況になってしまった、というわけでございますね。」
「あー、悔しい!イザベラ!あのキツネ女め!」
「プッ!アハハハハ!」
ミリアムの『キツネ女』にリンが笑い出す。それを見たミリアムも表情を軟化させて、グッドマンに向き直った。
「でもそれだけじゃないんでしょ?お兄様がそんな舞踏会に出席するとお返事したというのは。」
「さすがでございますね、お嬢様。実は、アザリス海軍のホルト中将閣下がご出席される、とのことで…。」
「ホルトおじさまが?!」
ミリアムが急に立ち上がり叫んだので、リンは目を白黒させて友人の顔を眺めた。グッドマンがかすかな微笑みを浮かべて頷く。
「はい。急遽決まった、とのことで。明日からまたすぐに外洋での試験・訓練航海に出られるとのことで、ギースには、今晩限りの滞在だそうなのです。それで旦那様もご参加を決心されたのだと思います。」
「そうかー、そうね。それじゃあ、仕方がないわね。リン、ごめん、出席はひっくり返せそうにないわ。
もー!あのキツネ女、どこからホルトおじさまを引っ張り出してきたんだか!」
「それが単なる偶然のようでございますよ?スピレッツァ伯爵の三男、ジョナス様が海軍将校でいらっしゃいますからね。その関係でお招きした、というところでございましょう?」
「なるほど。」
自分を抜きにしてどんどん進んでいく会話になんとか割り込んで、リンはミリアムに問いかけた。
「ミリアム、ホルトさんっていったいどなた?」
ミリアムは熱くて美味しいブルーマウンテンをテーブルに置いて、リンに向き直った。
「そっか、リンは知らないわよね?
ホルトおじさまは私達兄弟にとって、頼りになる親戚のおじ様、ってところかしら?」
「親戚ではないの?」
「ええ、血のつながりはないから。
私が小さい頃、家族でインド洋を旅行中に乗っていた船が海賊に襲われそうになった時、ホルトおじさま率いるアザリスの艦隊に助けてもらってから、ずっと、家族ぐるみのつきあいをしているのよ。」
「まぁ、海賊?!」
「そう、すっごく怖かったのよ!」
そこからしばらくはミリアムの語る冒険譚に聞き入っていたリンであったが、結局のところ、ディスカストス兄妹の命の恩人であり、数少ない縁者であるところのホルト中将が出席する夜会は、二人にとって決して外せない会になる、ということなのだった。
しかし、そこに何故?自分が参加しなければならないのか?どうしても解せないリンである。
そこへ、なんとか4人の令嬢を引き取らせることに成功したアクセルが現れた。
「グッドマン、手配の方はどうなってる?」
「は、旦那様。マダム・リグロンは間もなく。サロン・ド・イネスより3名の美容師を15時で手配いたしました。」
「よし。さあ、ミリアム、ドレスはどれにするつもりだい?」
「ラクロワの新作にしようと思うの。色違いで買っておいて、良かったー!
リンはコバルトブルー、私はシャンパンゴールドの方を着るつもり。」
「ミリアムーー。」
と、そこまで言いかけたリンだったが、その続きを口にする機会は永久に失われた。なぜなら、その瞬間、リンの肩をぐいっと引き寄せた腕があったからである。
ぎょっとして振り仰ぐと、そこには得も言われぬ暖かな笑みを貼り付けた、初めて会った時とは別人のようなアクセルが二人をのぞき込んでいた。
「良いアイディアだね、ミリアム?あの、パリの本店で試着して買ったドレスだろう?
リン、君のブルネットには、あのコバルトブルーがきっとすごく映えると思うが?」
「あら、まぁ?!お兄様ってば、随分リンとうち解けてるのね?」
「そうさ、なにせ僕らは夕べ、薔薇園をそぞろ歩きした仲だからね。ねぇ、リン?」
「なっ…?!」
その言い方に開いた口がふさがらない。
が、アクセルの軽口を受けてミリアムが本当に嬉しそうに笑った時、リンは自分が逃げ道を失ったことを認めるしかなかった。ミリアムの為にはなんでもしそうなアクセルが、ミリアムのこんな喜びに満ちあふれた表情を曇らせるようなことを許すわけがない。
(もう、どうにでもなれ!だわ・・・。)
顔を引きつらせてリンは無理に笑顔を作った。そうでもしなければやってられない気分だ。
ただ・・・。
(万が一にでも素性が知れたら・・・。)
リンの胸を押しつぶす『恐ろしい想像』に、手足が冷たくなる。リンの脳裏にそして鼓膜に、今まで向けられてきた『罵り』や『蔑み』や言われ無き非難の言葉がフラッシュバックした。
しかし、ミリアムの楽しそうなおしゃべりと、グッドマンの優しい合いの手が、そんなリンの気持ちを和らげ、結局は初めて体験する舞踏会への、少女らしい好奇心や期待感、ワクワクする気持ちが芽生えてきて、不安な気持ちを凌駕していった。
なにより、アクセル本人から提案されたとても魅力的なアイディアが、まるでみんなで大きないたずらを仕掛けるような一体感を生んだ。それは『リンを外国人に仕立てること』だった。