119.腕の中に輝ける星
小さい頃は自分の瞳の色など、意識すらしたことがなかった。
初めてその不思議な色合いを揶揄されたのは、騒がしいタブロイド紙の記者がつけた、軽薄な二つ名によってである。曰く『灰色の貴公子』。タブロイド紙はこぞってこの冷たく見える瞳を取り上げては、アクセルを悲しみのあまり心の凍った悲劇の少年、と書き立てた。『雪の女王』に出てくる少年カイに準えて、アクセルの冷たく凍った心を溶かすのはどんな令嬢か、と書き立てたタブロイドもあった。
好奇心に同情という覆いのかけられた『かわいそう』という言葉と無神経な憐憫はアクセルの生活を滅茶苦茶にし、アクセルの周囲は常に騒然として遠い異国で死んだ両親を悼む余裕もない程だった。
そんな経験もあって、アクセルは自分のこの瞳が好きではなかった。
毎日毎日、身支度を整える為に覗き込む鏡の中に、嫌が応にも見ざるを得ない灰色の瞳。もっと暖かな色だったら良かった、と思い続けてきた。
だからーー。
あの夏の日、リンがこの瞳を褒めてくれた時から、アクセルは少しだけこの灰色の瞳が好きになれた。
ただ、リンを探し続けたこの3年の間は、鏡を見るたびに思ったものだ。まるでアンドロイドのようだ、と。血の通わない、水銀のような瞳だ、とーー。
ところが、眼の前で自分を見上げている、この子の瞳のなんと美しいことか!なんと、可愛らしいことか!
(アンドロイドなんて、とんでもない!これは空を映しこんだ、湖の静謐だ。森の奥深くにひっそりと佇む、太古の生物を抱いた、深い地底湖の紺碧ーー)
パタパタパタッ。ピンクのロンパースに続けざまに滴が落ちた。アクセルの眼から溢れた涙だった。それは後から後から滴って、ロンパースのタオル地に水玉模様を作った。
そんな父親の気持ちを知ってか知らずか、アクセルの腕の中にちんまりと納まった赤ん坊は、初めて会ったにも拘わらず泣き出しもせず、父親譲りのブルー・グレイの眼でポタポタと涙をこぼす、彼女の父親の顔をじーっと見つめた。
「……名前は……?」
喉から絞り出すような声でアクセルは訊いた。
「ステラ……、ステラです」
リンは嗚咽を押し殺しながら、答えた。
「恒星……宇宙で輝く、自ら光を放つ恒星……」
アクセルはリンを見つめた。その口元は喜びの余り、歪んでいる。
リンも泣いていた。両手で口を覆い、必死で嗚咽を閉じ込めようとしたが、成功しそうもなかった。顔を覆って泣きじゃくることもできたが、どうしてもアクセルとステラの様子を、その一挙一動を見逃したくなくて、涙を流れるままにしながらその暖かな光景を見つめ続けた。
二人はとても良く似ていた。親子なのだから当然なのかもしれない。しかも、今日初めて会ったはずなのに、まるで生まれた時から一緒だったかのように、ステラはアクセルの腕の中にしっくりと収まっている。
(まるで聖母子像だわ……)
その信じられないほどの神々しさに、リンの全身は震えた。
「……この、2年半……、この子が私の人生……導いてくれました。いつも、どんなときも、どうしたらいいのか迷った時、挫けてしまいそうな時……ス、ステラが……私のポーラスターに……なって……くれました……。
ごめんなさい、閣下……あなたから、娘という…幸せを……奪ってしまってごめんなさい……」
嗚咽を堪えながら、リンがやっとの事で言葉を絞り出す。
それを聞いたアクセルは、
「……リン!」
と叫びながら、左腕を広げ、リンを呼んだ。
「閣下!!」
リンはその腕の中に飛び込んだ。
入院生活のせいで、少し筋肉の落ちた、それでも十分逞しい胸に腕をまわして抱きついてくるリンの暖かい身体を左腕に抱いて、アクセルは神に感謝の祈りを捧げた。二人とも、実に3年ぶりの抱擁だった。しかも、今、自分の腕の中にいるのは長い間焦がれ続けた恋人だけではない。その彼女が産んでくれた自分の娘なのだ。
(これ以上の幸せがあるだろうか……?)
ほんの少し前には、恐ろしい想像と誤解からリンが離れていく恐怖に怯えていたというのに、今やすっかり幸せの絶頂にいることを実感しながら、アクセルは喜びに打ち震えた。
「リン、ああ、リン!」
「閣下……ごめんなさい、閣下……ごめんなさい……」
リンは謝罪を繰り返した。ただただ繰り返すことしかできずに、アクセルの暖かな胸に顔を押しつけながら、何度も何度も謝罪の言葉を口にした。
そしてそれに応えるように、アクセルはリンを抱いている腕に力を込めた。そうしている間もアクセルの灰色の瞳からは、後から後から涙が溢れ、リンの項を濡らした。
「…リン、結婚しよう」
涙声でアクセルは言った。
「もう君ともステラとも離れるつもりはない。イヤだと言っても無駄だぞ?君とステラが私と一緒に来るか、それとも私が君たちの所に留まるか、二つに一つだ」
それは驚くほど断固とした口調だった。