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海に降る雨  作者: 美斑 寧子
本編
112/152

112.悔恨と説諭

 再び沈黙が下りた。

 グッドマンは目の前で雨に濡れて萎れた花のようになっているリンを眺め、その小さな肩や細い身体にリンの年齢を思いだして、この部屋に入って十何回目かのため息をつく。


(つい、忘れてしまいがちですが、そういえばバクスター様はお嬢様よりも年下でいらっしゃるのでした……。

 聡明で、我慢強く、母性が強い。孤児院ではいつだって頼られる側だった。人に頼らず、悪い事態を自分一人で何とかしようとする傾向はそういうバックグラウンドから来ているのかも知れません)


 少し酷なやり方だったが、突き放すような態度に出たことで、リンを冷静にさせてこちらの話を聞く耳を持たせることができたように思う。後はリンにどう道理を説くかが問題である。


(バクスター様は賢い方。若さ故、その育ってきた環境故の思いこみはあるにしろ、話して分からない方ではない。なにより旦那様への愛は消えていないご様子……)


ここは自分の腕の見せ所だ、とぐぐっと胸にこみ上げるものを感じて、グッドマンは武者震いして背筋を伸ばした。組んでいた足も戻し、いつものぴしっとしたお手本のような座り姿に戻る。そして、


「バクスター様」


と静かに声をかけると、大きく息を吸った。


「バクスター様。バクスター様が恐れていらっしゃる通り、私は怒っております」


リンの瞳がかすかに揺れる。わかってはいたが、正面からストレートに言われると、思っていたより堪える一言である。

 しかしグッドマンが続けて口にした言葉は、リンの想像とは違っていた。


何故(なにゆえ)、2年半前のあの日、私にも旦那様にも誰にも『相談』をせずに消えてしまったのか、と。何故(なにゆえ)一人きりで悩みを抱えて、絶望を抱えて逃げる、という選択をなさったのか、と。

 そのことに関して、私は怒っているのでございます」


「!?」


詰られると思っていた。恨まれていると。しかし、グッドマンの言葉は暖かさに溢れていた。リンは信じられないといった様子でグッドマンの言葉の続きに、食い入るようにを聞き入った。


「優秀で賢いバクスター様のこと、きっと、今までどんな困難に遭っても、なにもかもなんとか自分一人で解決しようと努力してきたのでしょう。父もなく母もなく、孤児院で年少の同輩達の面倒を見ながら生きてきた、そんなバクスター様にとって、誰にも相談をせず、自分一人でなにもかも解決しようとするのは、至極自然で当たり前のことだったことでしょう。

 しかし、お忘れになっているようですが、バクスター様はまだまだ20代前半のうら若き女性でございます。いくら孤児院では年長者の部類に入るとはいえ、何もかもをお一人で解決しようとするのは、いささか……いいえ、随分と無茶なことではないでしょうか?」


リンは無言でグッドマンの言葉に聞き入っている。さっきまでの皮肉を交えた冷淡な態度というショック療法が効いているらしい。グッドマンはそれを確信して、ここぞとばかりに言葉を続けた。


「私が怒っているのは、バクスター様が逃げ出したことではございません。

 その、あまりの愚かさに、でございます。

 2年半前、辛く苦しかった時に私どもの事を思いだしてもいただけなかった事実でございます。

 バクスター様にとって、旦那様をはじめ、私、お嬢様やリチャード様の存在の軽さ、私という人間の存在感の無さを思い知らされて、大変寂しく、情け無く思ったのです」


「そ、そんなことありません!グッドマンさんだって、閣下だって、ミリアムだって、私にとって決して軽い存在なんかじゃ……!」


「それならば、何故?相談する前に逃げ出されたのですか?何故?ご自分の駄目なところ、マイナスの一面を知られたら嫌われる、(いと)われる、と決めつけたのですか?

 それこそ、見損なっているとしか思えません」


「……!!……」


リンの瞳が凍り付いた。


「これまでの2年余の間、私をはじめ旦那様もお嬢様も、孤児院のシスター・マーガレットも、本当に心配しました。しかし、一番辛かったのは、後悔ばかりが頭に浮かぶ事でした。

 バクスター様の失踪の原因がわからないまま、様々なことを考えては、自分がもう少し違った事を言っていれば、やっていれば、バクスター様はいなくなったりしなかったのでは、と、自分を責める考えばかりが浮かんではため息をついてばかりいたのです。

 私は、バクスター様とそれなりの人間関係を築いた、と信じておりました。ところが突然、失踪してしまわれた……。誰にもなにも言わずに……」


グッドマンは少し遠い目をしながら、リンの顔から目を逸らした。その瞳は赤く、言葉の最後はかすかに震えているのがわかった。


「ところがどうでしょう?

 フタを空けてみれば、なんですか?ご自分の本性を知ったら、私どもがあなた様を嫌うだろう、ご自分の中にある怒りや憎しみが私どもを傷つけるかも知れない、などと決めつけて姿を消したとは……!」


喋っているうちに少々エキサイティングしてきたグッドマンは、芝居がかったように見える動作と口調で続けた。


「ああ、なんと情け無いことでしょう?!このような仕打ち、予想だにしませんでした!」


「グ、グッドマンさん、私……!」


あまりのグッドマンの哀しみぶりに、リンは思わずソファから身を乗りだした。すると、そのリンの無意識の動作を見て、グッドマンは問うた。


「バクスター様、今、嘆いている私を見てどう感じられましたか?」


「あ、あの、側に、側にいってあげたいと。すぐ側で慰めてあげたい、と。そう思いました」


「そんなこと言われても、とか、そんな人だとは思わなかった、とか、幻滅した、とは思いませんでしたか?」


「いいえ、ちっとも!」


「こんな人とは金輪際、つき合うのはやめよう、と、二度と会うまい、と思いませんでしたか?」


「いいえ、いいえ!!」


いったいグッドマンは何を言い出すのか?リンは未だその真意を掴めないままに、ただただ必死で否定し続けた。


「それが愛情というものです、バクスター様。友愛の心でございますーー。

 あなた様が今、感じられているその愛情と同じものを、また、私たちも、あなた様に対して抱いているのですよ?」


リンは目が覚める思いで、グッドマンの言葉を聞いた。


「あなたは旦那様を許してくださったではありませんか?かつて、あなたを傷つけ、差別的発言を繰り返し、冷たく当たった旦那様を。

 それなのに何故?私どもがあなたを許してはくれないだろう、と考えるのですか?たった一度の失敗が、全てを決してしまうと、どうしてそう決めつけるのですか?」


そう言われてみれば、その通りだと思えて、リンは愕然とした。改めて冷静な目で自分の行動を考えてみると、グッドマンの言うとおりのような気がした。


(どうして?なぜ?私は自分の激しさが、暗黒が、閣下をみんなを傷つける、と思いこんでしまったのだろう?

 ステラの事だってそうだわ……。どうしてディスカストス侯爵家の人達に知られたら、取り上げられるに違いない、と決めつけていたの?私を母親と認めてくれない、って決めつけて……。ステラから父親や親族を奪うことについて、少しは罪悪感を抱いていたけれど……)


リンの中に、ようやく冷静なリンが戻ってきた。そして同時に、深い深い悔恨と自己嫌悪がリンの全身を包み込んだ。


「わ、私、なんてことをしてしまったの……」


嗚咽を(こら)えるように、両手で口元を押さえながら、リンは泣き出した。リンの大きな榛色(ヘーゼル)の瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれた。

 グッドマンは無言でリンの隣に移動すると、そっとティッシュを手渡し、そのままリンの肩に優しく手をのせ、ポンポンとたたいてくれたのである。


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