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海に降る雨  作者: 美斑 寧子
本編
11/152

11.老執事の願い

 リンとアクセルが秘密の契約を交わした次の日の朝が明けた。

 空は美しく晴れ渡り、楽しい一日の到来を予感させる。

 リンは晩夏のすがすがしい空気の中、屋敷の裏手に伸びる、岬の突端への遊歩道を辿って、早朝のウォーキングに出かけた。

 小一時間ほど気持ちの良い散歩を楽しんで戻ると、なにやら屋敷の中が騒がしい。

 どうやら来客があったらしい。湾を臨む自慢のリビングの方から、5~6人の人間が談笑する声がさざめくように聞こえてきた。こんな早朝からディスカストス侯爵家別荘に押し掛けて来ているということは、おそらく、それの許される同じ階級の人々なのだろう。


(私のような人間が滞在している、って知られない方が良い…。)


そう考え、リンはさりげなくキッチンとそれに続く従業員用のダイニングへ向かった。


「お客様ですか?」


忙しなくティーワゴンにお茶と軽食をセットしているグッドマンに声を掛けると、


「はい。旦那様がこちらでの滞在を延ばすことを聞きつけたご令嬢方の襲来です。」


と、すました顔で答える。


「襲来…?プッ!アハハハハ!」


リンは思わず笑ってしまった。こんな真面目そうな執事(グッドマン)が冗談を言うなんて、余計に可笑しい。


「襲来って…。」


「本当に襲来なのですよ、バクスター様。」


本気にして良いのか戸惑うリンを尻目にグッドマンは嫌そうな表情を隠しもせず、続けた。


「旦那様はあのご容姿といいご身分といい、社交界きっての『優良物件』でございますからね。年齢的にもそろそろ結婚を真面目に考える頃と見られて、社交界の令嬢の方々に狙われておるのですよ。

 ですが、まったく見向きもしないのですから、余計に躍起になってアプローチ攻めにされる、というわけです。」


リンは目を丸くしてグッドマンを見つめた。


(この執事さんって、こんなに率直な人だったのね…。)


 しかし、さすがにリンは超能力者ではないので、この老執事がリンをひどく気に入り、あわよくばアクセルの結婚相手に、と目論んでいるなど、知るよしもなかった。


*-*-*-*-*


 アクセルの祖父の代に見習いで入り、父の代で執事兼使用人筆頭となり、その死後はアクセルの良き相談役と世話役を自任しているグッドマンは、当年30歳となる当主の結婚問題に頭を悩ませており、心の底からディスカストス侯爵家の行く末を案じていた。

 容姿端麗にして億万長者。しかもこの国で最も古い血脈を誇る侯爵家の当主であるアクセルと(めあわ)せたいと、内外の王族・貴族達が群がっている状況でありながら、肝心のアクセルの心を揺り動かすことのできた令嬢は皆無なのである。アクセルのその女性に対する無関心ぶりと冷淡さときたら、同性愛者ではないか、との噂が立ったほどであった。幸い過去に何人かのラブアフェアの相手がいたので、そうした妙な噂も単なるやっかみであると立ち消えになったのだが。

 今までアクセルの女性に対する態度を数多(あまた)見てきたグッドマンにしてみれば、リンに対してアクセルが示している関心の度合いは信じられない程のレベルであるように見える。しかも、グッドマンにとってもう一人の大切なディスカストス侯爵家のプリンセス、外国帰りで純真が過ぎて一本気、生真面目でナイーブこの上ないミリアムの心を掴んでいる。

 ところが、リンはアクセルにまったく恋愛の興味を抱いていない。グッドマンはリンのそんなところに驚き、そして高評価をつけていた。

 長い間、ディスカストス兄妹(きょうだい)の世話をしてきたグッドマンにとって、ミリアムに近づく女性の目的はただ一つ。それはアクセルであり、イコール侯爵夫人の座なのである。先代のディスカストス侯爵夫妻が病に倒れ、アクセルが当主に収まって以来、ミリアム共々、侯爵夫人の座を狙う令嬢達に散々嫌な思いをさせられてきたグッドマンは、そういったそぶりを一切見せず、本当かどうかは別にして、アクセルに対して一切女を意識していないリンを非常に高く評価していた。

 リンはまず、あのミリアムに非常に懐かれている。加えてアクセルの数々の非礼に対して寛容にそして冷静に対処し、猜疑心が強いだけに包容力のある人物に弱いアクセルの態度を軟化させた手腕は評価に値する。一方、グッドマンに対しては、ミリアムの親友という立場を振りかざすことなく、身分をわきまえ決して(おご)らず控えめにしている様子にも好感が持てた。

 グッドマンはアクセルがたった一つ、結婚相手を選ぶ条件として、常々、ミリアム第一主義を掲げていることを知っている。アクセルはいわば、自分よりもミリアムを大切にしてくれる人を結婚相手として迎えたい、そう考えているのだ。

 気持ちは理解できる…しかし、それではこのディスカストス侯爵家はアクセルの代で途絶えてしまうだろう…。グッドマンは内心そう考えずにはいられない。

 なぜなら、そんな女性は存在するわけがないからである。

 つまりは、グッドマンの仕える、有能な実業家にして内外の王族・貴族令嬢を(とりこ)にする美丈夫、アクセル・ギルバート・ディスカストスは『青い薔薇』を探しているのであった。どこにも存在しない、理論的にもありえない、そんな理想の花嫁を大まじめに追い求めている。

 しかし、グッドマンは目の前にいる、この黒髪の少女に愁眉を開く思いで、希望を見いだした。


(どうやらこの女性はその『青い薔薇』であるらしい…。)


 旦那様の追い求める花嫁像は『青い薔薇』、決して存在しないものですよ、といつかはそう、お諫めせねばなるまい…。グッドマンは考えてきた。

 しかしその反面、彼の守る大切なディスカストス侯爵家の可哀想な二人の孤児(みなしご)達が心を開く女性が現れるのではないか?現れて欲しい、と希望を捨てきれなかったのも事実であった。

 そして、そんな切なる願いを抱く老執事の前に現れたリン・バクスターという少女は、彼にとって退職前の最後の懸案であったアクセルの結婚という難問に、一筋の光明をもたらすこととなった。

 ちなみに、グッドマンは身分の差にはまったくこだわっていない。時代は変わりつつある。他国の王家では、すでに王妃にさえ、庶民階級から嫁いだ前例がある。ここ、アザリスも例外ではなく、身分を越えて愛し合い、結婚にこぎ着けた爵位家が無くはないのだ。…多少の困難が付随するとしても…。


(やれやれ、早く旦那様もご自分のお気持ちに気付かれると良いのだが…。)


グッドマンはそんなことを考えつつも、手は休めずに、招かれざる客達に出す為の朝食のお茶を用意している。

 おかかえシェフの作ったキュウリとチーズのサンドイッチは絶品である。その1つをさりげなくリンのプレートに乗せると、残りをウェッジウッドのプレートに美しく盛りつけた。



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