108.リンの独白(3)
「お、お前は……お前は……」
背後から聞こえてきた声に振り返ると、そこには、まるでゾンビのように両腕を伸ばしながら近づいてくる男がいました。
「……ッ!?」
気付いた時には既に遅く、避ける暇もなく男の腕に両肩を捉えられ、真っ赤に充血した目がギラギラとはまっている、たるみきった醜い顔を至近距離にまで寄せられて、私は膝をついた状態で身動き取れない状態になっていました。
今でもはっきりと思い出せます。血走った目、テラテラと脂ぎった肌、それに加えて……、ああなんという臭い口臭だったことか!!
男の呼気からは、まるで怒りと憎しみをドブの中で何ヶ月も熟成させたような、腐敗するに任せたかのような、そんな腐臭がしました。何年も放置された森の奥の沼地の底に溜まったヘドロに、腐ったタマネギを混ぜたような、そんな臭い。内蔵がドロドロに腐り果て、そこから立ち上ってきたような、腐った肉の腐臭のような、そんな耐え難い臭いです。
こみ上げる恐怖と嘔吐感に耐えながらも、しかし、私は決して目を逸らすまいと、男の血走った目をグッと睨み返しました。
「お前のせいで、お前のせいで俺は……、俺はァ!」
そう叫んで男は私の肩をガクガクと揺すりました。至近距離で叫ぶ男の口臭が、もろに吹きつけてきて、猛烈な吐き気を感じましたが、それでも目を逸らしたら負けのような気がして、私は睨み続けました。
「お前が、お前が余計な報告をしたせいで!俺は中央の本部から追い出されて、こんな田舎町に来る羽目になったんだッ!!
お前が、お前のせいで!あああ!!この、孤児の淫売があぁ!売女めがあああぁぁ!
わかってるんだぞ。お前があの担当教授を誑し込んで報告書を出させたんだろう?!あることないことデタラメを書かせたんだろう?ああ!?」
そこまで言った所で、運良く男の手が、私の肩からはずれました。あまりにも興奮したせいで腕がブルブル震えていたのが幸いしたのです。
私はすかさず飛び退いて立ち上がり、男から距離を取ると、大きく深呼吸をしてきれいな空気を吸い込みました。私は奴に向かって、言い返しました。
「言いがかりはやめて下さい。報告書のことは知りません。私には関係ありません。だいたい、たった一本の報告だけで、そんな簡単に人事をどうこうできるわけないでしょう?
あなたにもわかってるんじゃないですか?自分が異動させられた理由が。
私のことを孤児だというだけで試験を不合格にしようとしたように、他にもひどいことをやったんじゃあ、ないんですか?!他にも沢山の人達を傷つけたり、酷い行いをしたんじゃないんですか?!」
「なっ、なっ……!」
おそらくそんなふうに言い返されたのが初めてだったんでしょうね。司祭という地位からくる権力を嵩にきて、言いたい放題だったに違いありません。司祭のくせに見下げた差別主義者である男は、私を指さしながら、言葉は出てこないまま、口をパクパクと開け閉めすることしかできません。
「取り消して下さい」
「な、なに……?」
「私の事を淫売だの、売女だのと言ったさっきの言葉を取り消して下さい。そして謝罪して下さい!」
腹の底から、燃えたぎるような怒りがグルグルと螺旋を描いて、噴き上がってきたような気がしました。身体の前面は怒りの炎で熱くて燃えるようなのに、反対に背中はビリビリと凍っていくような寒気が立ち上って来ます。
私は途方もない怒りのパワーに全身を支配され、そして、その感情の爆発に完全に自分のコントロールを渡してしまったのです。
「謝れ!」
私は叫びました。
「私だけならともかく、あなたは私の恩師まで侮辱した!取り消せ!そして謝罪しろ!!」
私は手を振り立てて、男を糾弾しました。
「謝れ!謝れ!謝れ、謝れ、謝れ!!」
「う、うるさい!黙れ、黙れ!!」
男は往生際悪く、怒鳴り返してきました。しかし、どこか及び腰になっています。男のそんな弱気な部分を見て取って、私の中のもう一人の私がほくそ笑んだのがわかりました。その瞬間、男がぎょっとしたように顔を歪めました。もしかしたら、知らず知らずに私は笑っていたのかも知れません。獲物を追い詰める肉食獣のような顔で。無慈悲な悪魔のような顔でーー。
そうして。
私は知りました。
私の中の『闇』を。
私の中のーー、押さえようのない『悪』をーー。
三度、緊迫のシーンの途中なので、次も続けて明日、更新します☆彡
いつもご愛読、どうもありがとうございます♪