104.クリス、大いに怒る
次にアクセルがリンの消息を尋ねに訪れたのは、デューランズ、モン・ペリエ大学に通う大学生、リンの幼馴染みであり、尚かつ、アクセルにとっては、人生初めての恋のライバル、クリストファー・スレイの元だった。
「ねぇ、知ってる?正門のところにすっごいハンサムが立ってるんだって!」
「なにそれ?何者?」
「もしかしてハリウッドスター?」
「良くわかんないんだけど、思い切って声をかけた子に聞いたんだけど、クリスって名前の男子学生を捜してるらしいよ?」
「えー!クリス?!ねぇねぇ、そのクリスって、あなたのこと?!」
学食の片隅、いつもの仲間達がたむろしているコーナーで、スマホをいじっていたクリスに向かって、同じゼミの誰かが言った。
「知らねぇよ。俺、そんなイケメンに知り合いなんかいねぇもん」
目線も上げずに呟くクリスに、周りにいた女子は食い下がる。
「でもさー、一応行ってみた方がいいかもよ?」
「そうだよー。うちらの知ってる限り、この大学でクリスっていったら、クリスしかいないし」
「ねっ!クリス!!」
「ヤダよ。イケメンとお知り合いになりたいからって、人のことダシにすんなよなー」
そんなふうにやる気のなさ全開のクリスだったが、結局は色めき立った女子学生達に押し切られ、正門まで連行されてしまった。
そんなクリスの目に、見覚えのある不思議な灰色の髪の毛が飛び込んで来た。
「ーーこ、侯爵閣下?!」
驚愕のあまり叫んだクリスに、周囲の視線が集まる。
一方、アクセルはというと、クリスの『晴天の霹靂』とでも言いたそうな驚きように、リンがクリスの元に身を寄せているのではないか?という期待がまたもや空振りに終わったことを悟ったのだった。
*-*-*-*-*
「ーーで?いったいどういう風の吹き回しなんスか?」
頬杖をついて、逃がさないぞ、とばかりに睨み付けてくるクリスの視線を受け止めて、アクセルは決まり悪そうにそっとため息をついた。
アクセル自身は『用は済んだ』とばかりにすぐに立ち去ろうとしたのだったが、クリスが無理矢理引き留め、このカフェまで引っぱってきたのだった。
二人はまるで、ここがアメリカ西海岸であればゲイのカップルだと誤解されそうな程度に見目の良い男性二人組だった。片方は不思議な色合いのサンディブロンド、そして、片方はまるでトマトジュースをかぶったような赤毛。なによりじっと睨み合っているのが、丁度見つめ合っているかのように見えた。
空の高い、気持ちの良い陽気の午後だった。
モン・ペリエ運河から吹く少し湿った、涼やかな風が、緑と白の縞々のフラッグをハラハラとはためかせている。辺りには、そろそろ夏の観光シーズンを迎えようという時期の、まるで祭の前日のような、なんともいえない明るい気配が漂っていた。千客万来を期待する地元の人々が醸し出す明るい気分が空気の中に混じり込んで、それを吸い込んだ人々をますます陽気な気分にさせているかのようだ。
ところが、そんな青空の下、せっかくの気持ちの良い午後だというのに、アクセルとクリスのテーブルは、険悪な雰囲気が漂っている。
アクセルはリンの失踪について、どう説明したらいいのか、わからず、話の鳥羽口を掴みあぐねていた。
一方クリスはといえば、前々からアクセルのことが気に入らない。それも無理のないことではある。初めて会った時から、この侯爵閣下には負けっ放しだからだ。優しく、大金持ち、爵位持ちという完璧な大人の男。しかもリンに恋しているのは一目瞭然だった。強いて難をつけるとすれば、リンに対する恋する男としての態度は、ちょっとアレだったが、それを差し引いても十分、アクセルは魅惑の貴公子だったのだ。
だから、その後帰国したリンから『閣下と恋人同士になった』と報告メールが来た時だって、複雑な気持ちを抱えながらも『おめでとう』とメールを返信したのである。つまり、それなりにアクセルを大切な大切なリンのお相手として認めているところがあったのだ。
それなのに、目の前のこの色男は、無駄にその魅力を振りまきながら、座ったっきり、話の一つも切り出せずにいる。なんという情け無い男なのか!?
(しっかし……見れば見るほど、男っぷりのいい奴……)
まるで絵画かグラビアから抜け出してきたかのように、端整な佇まいで、デミタスカップを傾けるアクセルを眺めながら、クリスは苛ついた様子を隠しもせず、訊いた。
「……で?」
「……」
アクセルは答えず、無言で視線を手元に落とす。
「ったく……、なにもったいぶってんだか?
そっちがその気なら、いいですよ、俺にだってやりようがあるんですよーーリンに告げ口だ」
そう言って、クリスはスマートフォンを取り出した。
と、急にアクセルがものすごい勢いで立ち上がって、テーブル越しに手首を掴んできた。クリスは大いに焦って、叫んだ。
「なっ!なにすんだよ!!」
「リンと連絡が取れるのか?!」
「へ?!」
勢い、マヌケな声が出てしまったクリスだったが、同時にアクセルのその一言に仰天した。
「連絡が取れるのか、ってー、まさかーー」
そして自分が決定的なヘマを犯したことに気付いたアクセルが元のとおり、椅子にすわると同時に、クリスは叫んだ。
「リンと連絡が取れない、ってことか?!」
アクセルが何も言わずにゆっくりと足を組み、無言で運河へと視線を流したのを見て、クリスは確信した。
(リン!)
心の中で、大好きなリンの笑顔を思い浮かべて、クリスはいても立ってもいられなくなり、立ち上がった。
「あんた、なに暢気に座ってるんだよ!リンを探さないと!」
「……もう探した。モン・ペリエとその周辺の修道院から一時救済施設まで全て。リンはこの界隈にはいなかった……、だから君の所にいるんじゃないかと思ったんだ」
アクセルは淡々と答えた。そのあまりにもクールな物言いに、クリスは愕然とした。
「あんた、平気なのかよ?好きだったんだろう?リンのこと」
「好きだったんじゃない。好き、だ。愛している、自分自身よりも」
そう言い切るアクセルの、言葉の甘さとは裏腹な渋い表情に、クリスは大いに苛ついた。
「だったらこんなところで、俺相手にむっつり黙り込んでないで、さっさと別の場所を探しに行けばいいじゃないか!」
そこまで言って、クリスは突然ハッとなってアクセルに詰め寄った。
「なあ、それって、誘拐とか拉致とかじゃねぇよな?なにか犯罪に巻き込まれたとか?
あんたの、ディスカストス侯爵家の関係者だって勘違いされてさ」
怒っているし、慌ててもいるものの、なかなか冷静な推察である。しかしそれについてはアクセルは即座に否定した。
「いや、それも検討はしてみたんだが、違うだろうという結論に至った。
というのも、リンが消えてから随分経つが、身代金の要求連絡がないんだ。
それに、滞在していたホテルから自分の身の回りの荷物を持ち出している。
警察関係者にも相談したんだが、まず間違いなく本人の意思による失踪だと言われた」
感情を抑えつけるように、淡々と話すアクセルの様子に、クリスは心底腹を立てた。
「なんだよ、その態度は!なんでそんな平然としてるんだよ?!」
バン!とテーブルの上を叩く。
「侯爵閣下、あんた、いったいリンに何したんだよ?!なにも言わずに消えるなんて、リンらしくないにもほどがあるじゃないか!
百歩譲ってあんたらのせいじゃない、としたって、なにか深い悩みとかあったんじゃないのか?!
黙って消えるくらい辛い悩みを抱えてたってのに、親友だって言うあんたの妹も、側にいたあんたも、なにも気付かなかったのかよ?!」
アクセルは投げかけられた糾弾を、至極当然のこととして受け止めた。クリスのリンへの愛情に裏打ちされた激しい言葉に、心臓の辺りを打ち抜かれたような気がした。加えて、クリスの言うことはいちいちごもっともで、反論する気さえ起きない。そればかりか、クリスに対して感謝の気持ちさえ湧いてきた。
(ああ、この少年は本当にリンの事を大切に思っているのだ)
そんな風に思えてくる。アクセルにとって、リンの弟分であるクリスはすっかり自分の義理の弟の様に感じられているのである。
とはいえ、ミリアムの事情は説明しておかねばならない。
「妹は悪くない。リンが消えてしまった時、妹は事故に遭って瀕死の重傷を負っていたのだ。そして、それに動揺し、気落ちしていた私を励ましてくれた直後、リンは姿を消した」
アクセルの真摯な瞳の色に、深い苦悩が浮かぶ。それを見て、自分の中の怒りが急速にしぼんでしまうのをクリスは感じた。
「もしかしたら、君のところに身を寄せているのではないかと考えてね、今日は寄らせて貰ったんだ」
かすかな自嘲の笑みを浮かべてアクセルは言った。
「なんだよ、リン……。どうして俺のこと頼ってくれなかったんだよぉ……」
クリスは頭を抱えて、テーブルの上に顔を突っ伏した。しかし思いついたことがあり、すぐにバっと伏せていた上半身を上げて叫んだ。
「っていうか、あんた、リンに何したんだよ?!
リンがこんな行動に出るなんて!」
「……」
「おい!黙るなよ!」
(……言えない……)
初めて夜を共にし、その翌日、去られてしまったなど……。いくら弟に等しい、と思っているクリスにも、言いたくないことはあるのだ。
「おい!!」
「…それでは、失礼するよ」
「なんだよ、待てよ、おい!」
しつこく叫ぶクリスを無視して、テーブルの上に最も高額なデューランズ紙幣を残し、アクセルは立ち去った。
「なんだよ、アイツ。
リン……何処に行っちまったんだよぉ……」
そんなアクセルの後ろ姿を見送りながら、なんだか泣きたくなってしまったクリスなのだった。
クリス、アザリス語の口の悪さは直らなかったようです……。
デューランズの養父母とはそこそこお上品な言葉で喋っている(ネコを被っている……)という設定です☆彡