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錬金系の落ちこぼれ四男、辺境領主として無双する  作者: 穏やかな旅人


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第86話 星明かりの裏側

レオンの試合が終わった後も、演武は続いた。


  次々と侯爵家の者たちが台上に上がり、剣を交えた。だが、あの一戦が作り出した衝撃の影の下では、他の試合はどこか色褪せて見えた。観客の目は演武場にあっても、頭の中ではまだ、あの一振りの軌跡を追っていた。


  最後にエヴィルが登場した時だけ、小さなざわめきが起きた。十三歳で三つ星中期。セレストーム侯爵家の中でも突出した才能だ。だが彼女の才能は以前から知られていた。レオンが見せたものに比べれば、驚きは小さかった。


  エヴィルは相手を軽やかに三合で片づけ、何事もなかったように席に戻った。


  家族魔闘会は、朝から午後まで続き、ようやく幕を閉じた。


  散会のとき、一対また一対の視線が、まだ衝撃の余韻を帯びたまま、場内の一角に注がれた。席を立とうとしている黒髪の少年——つい数刻前まで「デキソコナイ」と呼ばれていた者に。


  畏れ。困惑。そして——理解できないものを見たときの、あの独特の距離感。


  レオンは心の中で息をついた。この視線は、正直堪える。前世でプレゼンを大成功させた後、急に周囲の態度が変わったあの感覚に似ている——ただし、あの時は嬉しかった。今は、ただ居心地が悪い。


  首を軽く振り、席を立った。


◆◇◆


  「兄さん、今日の見せ場、なかなかだったわね」


  涼やかな声が、隣から響いた。エヴィルが軽い足取りで並んできた。銀髪が揺れ、淡い花の香りが風に乗る。銀鈴のような声に、からかいの色が滲んでいた。


  レオンは鼻の頭を軽く掻いた。苦笑するしかない。


  「私もてっきり、兄さんは剣技の一つも持っていないと思っていたのに。まさかこんなに隠していたなんて」


  エヴィルは両手を背中に組み、小首をかしげた。意味深な微笑みが、紅い瞳の奥に浮かんでいる。


  「お前ほど隠してないさ。さっきの三合——あれ、本気じゃなかっただろう」


  レオンは口の端を上げ、エヴィルを横目で見た。


  その言葉に、エヴィルは一瞬きょとんとした。そして紅い瞳が美しい三日月型に細まり、くすくすと笑った。


  「兄さん、目がいいのね。もしあの星象魔法に興味があるなら、エヴィルが教えてあげてもいいわよ?」


  「いい。欲張りすぎると身を滅ぼす。その程度のことは、俺でもわかる」


  肩をすくめて断ると、エヴィルはわずかに意外そうな顔をした。紅玉のような瞳がくるりと動き、すぐに次の手を繰り出してくる。


  「じゃあ……コデックスは?」


  声色が変わった。からかいの色が消え、代わりにどこか慎重な響きが混じった。


  レオンは目を細めた。コデックス——秘典。魔法師にとって最も重要な一冊。一人の魔法師が生涯で持てるのは一冊のみ。そして一冊の秘典の等級が、その魔法師の到達点をほぼ決める。


  この従妹は、さりげなく本題に誘導するのがうまい。


  「……四ヶ月後の成年礼の前夜に、家の魔典図書館ビブリオテカが開放されるだろう」


  「家のビブリオテカにあるのは、ほとんどがコムニスよ。一番上でも父上が以前使っていた『霜炎双焉フロスティ・フランマ』のレガリス級が一冊あるだけ。しかもあれは——」


  エヴィルは額にかかる銀髪を細い指で払い、小さな唇をわずかに噛んだ。言葉を選んでいるようだった。


  「——成年礼で星階審査に合格しなければ、閲覧権限すら与えられないわ。今の兄さんでは、たとえ四ヶ月待っても同じこと」


  沈黙が落ちた。


  エヴィルの言葉は正しかった。魔典図書館の上級秘典には星階制限がかかっている。成年礼の前夜に開放されるのはコムニス級の下級秘典のみ。レガリス級——『霜炎双焉』のような秘典に触れるには、成年礼当日の星階審査で最低でも二つ星後期の認定を受けなければならない。


  今のレオンは二つ星後期に届いていない。ぎりぎりだ。


  だがエヴィルは立ち止まらなかった。歩調を変えず、静かに言った。


  「エヴィルなら、インペリアリス級の秘典を手に入れられるわ」


  紅い瞳が、真っ直ぐにレオンを見ていた。からかいの色は、もうなかった。


  「成年礼を待つ必要もない。星階審査も関係ない。……要る?」


  (……この子は、本当に底が知れない)


  レオンは心の中で嘆息した。インペリアリス——帝典。帝国全土で数十冊しか現存しない秘典だ。市場に出ることすら滅多にない。出れば数十万金貨、あるいはそれ以上。セレストーム侯爵家の全財産を注ぎ込んでも一冊買えるかどうか。


  それを、十三歳の従妹が「手に入れられる」と言っている。


  もし偶然あの存在に出会っていなければ——エヴィルとの差は、どれだけ努力しても縮まらなかっただろう。自分の才能が劣っているわけではない。だが、エヴィルの背後にある力は、途方もなく大きい。


  指がさりげなく、左手の古びた指輪に触れた。冷たい金属の感触が、指先に伝わった。


  エヴィルの視線の下で、レオンは軽く笑った。静かに首を振った。


  「——いらない。俺は、自分の力で強くなる」


◆◇◆


  エヴィルの足が止まった。


  レオンは立ち止まらなかった。振り返りもしなかった。背中がゆっくりと遠ざかっていく。


  紅い瞳が、その背中をじっと見つめていた。


  (不思議な人)


  インペリアリスの秘典を断る人間は、エヴィルの知る限り、この世界に二種類しかいない。愚か者か——それ以上のものを既に持っている者か。


  兄は前者ではない。今日の戦いが、それを証明した。


  ならば。


  エヴィルの視線が、遠ざかるレオンの左手に落ちた。あの古びた指輪。以前から気にはなっていた。侯爵家の者が身につけるにはあまりに粗末で、かといって捨てもしない。今日の戦いの最中も——ずっとつけていた。


  そして、あのゴールデン・フォーム。失われたはずの古の武術。セレストーム家の技ではない。独学で辿り着けるものでもない。


  (……やっぱり。兄さんの後ろには、誰かいるのね)


  微笑んだ。だが目は笑っていなかった。


  細い指で自分の額を軽く弾いた。こつん、と小さな音がした。しばらく思案した後、無念そうに首を振った。


  「……まあいいわ。兄さんは一番、人に詮索されるのを嫌うもの」


  歩き出しながら、独り言のように呟いた。


  「あの人が兄さんにこれだけのことを教えたのなら……害を与えるつもりは、ないのでしょう」


  足が止まった。


  紅い瞳の奥で、淡い星の光が静かに揺れていた。十三歳の少女の瞳とは思えない、深い光。声が、一段低くなった。


  「あの人に悪意がないことを祈るわ」


  「——でなければ」


  穏やかな声の中に、鋼の芯が通った。


  「兄さんの体の中に隠れていても、私が引きずり出してあげる」


◆◇◆


  回廊に出た途端、レオンの足がよろめいた。


  人目がなくなった瞬間、体が正直になった。壁に手をつき、荒い息を吐いた。脇腹の傷が焼けるように熱い。戦衣の内側は、乾いた血でごわごわに固まっていた。


  左手の指輪が、微かに温かかった。まるで——大丈夫だ、と言っているように。


  (……四ヶ月か)


  壁に背を預け、天井を仰いだ。成年礼まで四ヶ月。それまでに、最低でも二つ星後期に届かなければならない。今の自分には途方もない距離だ。


  だが——あの指輪がある。あの存在がいる。そして今日、この体は砕けた剣で三つ星の魔力に抗い、倒れなかった。


  (秘典か……)


  エヴィルの言葉が、頭の隅に引っかかっていた。インペリアリスの秘典。あれほどのものを断って、本当に良かったのか。一人一冊。選び直しは利かない。前世の経験が囁く——安易に手を出すな。最高の一手を引くまで、焦るな。


  (今はまだ、その時じゃない)


  レオンは壁から背を離した。脇腹が悲鳴を上げた。足が震えた。視界がまだ少し揺れていた。


  それでも——歩けた。


  (……医務室に行くか)


  壁伝いに、歩き出した。

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