表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
錬金系の落ちこぼれ四男、辺境領主として無双する  作者: 穏やかな旅人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

83/136

第81話 葬儀

【7年前・冬】


葬儀は、静かに行われた。


セレストーム家の墓地。冬の陽光が白い墓石を照らしているが、温もりは感じられない。


イザベラ・セレストーム。


その名が刻まれた墓石の前に、家族が並んでいた。


◆◇◆


セレリックは、石のような顔で立っていた。


何を考えているのか、誰にも読み取れなかった。側室を失った悲しみか。家の体面を気にしているのか。その目は墓石を見つめていたが、どこか焦点が合っていないようだった。


◆◇◆


エリーゼは、夫の半歩後ろに立っていた。


涙は流していなかった。正室として、側室の葬儀で泣くわけにはいかない——そう自分に言い聞かせているのかもしれない。


だが、その右手は左手首を強く握りしめていた。


爪が、白い肌に食い込んでいた。


◆◇◆


ティモシーは、長男として父の隣に立っていた。


セレストーム家の跡取りとして、感情を表に出すことは許されない。そう教えられてきた。


だが、その目は赤かった。


イザベラは、彼にとっても優しい人だった。正室の子である自分にも、分け隔てなく接してくれた。弟たちが喧嘩したとき、いつも穏やかに仲裁してくれたのは彼女だった。


(なぜ——あなたが——)


その問いを、喉の奥に押し込めた。


◆◇◆


エレンは、母の陰に隠れるように立っていた。


何が起きたのか、まだ完全には理解できていなかった。


イザベラ様は、もう戻ってこない。


それだけは分かった。だが、なぜ戻ってこないのか。なぜ皆が泣いているのか。なぜ兄のレオンが、あんなに遠くに立っているのか——


分からないことだらけだった。


◆◇◆


エイドリアンは、墓石の前で膝をついていた。


立っていられなかった。


涙は、もう枯れ果てていた。あの夜から、どれだけ泣いただろう。今は何も出てこない。目の奥が、焼けるように痛むだけだ。


墓石に刻まれた母の名前を、震える指でなぞった。


冷たい。


石は、こんなにも冷たい。


母の手は——いつも、温かかったのに。


◆◇◆


オースティンは、兄エイドリアンの背後に立っていた。


声をかけられなかった。かける言葉が、見つからなかった。


あの夜から、ほとんど眠れていない。目を閉じると、母の最期の姿が浮かぶ。血と、悲鳴と、あの老人の哄笑が——頭の中でぐるぐると回り続けて、止まらない。


(俺のせいだ)


胃の奥から、吐き気がこみ上げる。


(俺があの老人に屋敷のことを教えたから——母上は——)


何度、時間を戻したいと思っただろう。


何度、あの日の自分を殺したいと思っただろう。


だが、時間は戻らない。


母は、もう——


◆◇◆


レオンは、家族から離れた場所に立っていた。


葬儀に参列することは許されたが、家族の輪には入れなかった。


入る資格がないと——自分でも思っていた。


母エリーゼは、息子であるレオンを一度も見なかった。視線を向けることすら、しなかった。


正室として、側室の葬儀で「デキソコナイ」の息子を庇うことはできないのかもしれない。


あるいは——自分の息子のせいで側室が死んだことを、恥じているのかもしれない。


どちらにしても——


レオンは、一人だった。


◆◇◆


葬儀が終わった。


参列者たちが、一人また一人と去っていく。


やがて、墓地にはセレストーム家の者だけが残った。


冷たい風が吹き抜け、墓石の前の白い花が揺れた。


◆◇◆


レオンは、意を決して歩き出した。


エイドリアンの方へ。


足が震えていた。怖かった。だが——


伝えなければならないことがあった。イザベラの、最期の言葉を。


(エイドリアン兄上に……伝えなきゃ……)


それが、今の自分にできる唯一のことだと思った。


◆◇◆


「エイドリアン兄上」


レオンは、エイドリアンの背中に声をかけた。


自分の声が、こんなに掠れているとは思わなかった。


エイドリアンは、振り返らなかった。


「……俺に近づくな」


「でも……イザベラ様が……」


「聞きたくない」


「イザベラ様が、最期に……兄上に伝えてほしいって……」


「聞きたくないと言っている」


エイドリアンの声が、低く震えた。


◆◇◆


「エイドリアン兄上、お願いです。イザベラ様は——」


「黙れ」


エイドリアンが振り返った。


その目を見た瞬間、レオンは息を呑んだ。


涙の跡。充血した白目。そして——その奥に燃える、真っ黒な炎。


「お前の口から、母さんの名前を出すな」


「——っ」


「お前が。お前が母さんを殺したんだ」


◆◇◆


「違——」


「違わない」


エイドリアンは一歩、前に出た。レオンは一歩、後ずさった。


「あの老人が言っていただろう。母さんは、お前のために死んだと」


「それは——」


「お前がいなければ、母さんは死ななかった」


また一歩。


「お前が隠れていれば、見つからなかった」


また一歩。


「お前を庇わなければ——母さんは、まだ——」


エイドリアンの声が、掠れた。


「——生きていたんだ」


◆◇◆


「エイドリアン兄上……俺は……」


「デキソコナイ」


その言葉が、レオンの胸を貫いた。


「それがお前の価値だ。魔力もない。才能もない。何の役にも立たない——デキソコナイ」


エイドリアンの唇が、歪んだ。笑っているのか、泣いているのか、分からなかった。


「そんなお前を守るために——母さんが死ぬ必要なんて、なかったんだよ」


◆◇◆


レオンは、言葉を失った。


涙が頬を伝った。拭うことも忘れて、ただ立ち尽くしていた。


「俺は……俺だって……死にたくなかった……」


「なら、死ねばよかったんだ」


エイドリアンの言葉が、冬の空気を切り裂いた。


「お前が死んでいれば、母さんは生きていた。お前なんかより——母さんの方がずっと——」


「エイドリアン」


◆◇◆


オースティンの声が、二人の間に割って入った。


「もうやめろ、兄上」


「オースティン——」


「レオンを責めても、母上は戻ってこない」


「だが——!」


「分かっている」


オースティンの声は静かだったが、その奥に押し殺した何かがあった。


「分かっているんだ、兄上。俺だって……」


◆◇◆


オースティンは、俯いた。


その肩が、微かに震えていた。


「俺だって、自分を責めている。俺があの老人に屋敷のことを教えたから——全ては、俺のせいなんだ」


「オースティン……」


「だから……レオンだけを責めないでくれ。責めるなら、俺も一緒に責めてくれ」


エイドリアンは、弟を睨みつけた。


「お前は、こいつを庇うのか。母さんを殺した奴を」


「そうじゃない。ただ——」


「もういい」


◆◇◆


エイドリアンは、レオンに背を向けた。


「お前とは、もう話さない」


「エイドリアン兄上——」


「二度と、俺に近づくな」


その声は、氷のように冷たかった。


「俺の前から——消えろ」


エイドリアンは歩き去った。


その背中は、震えていた。悲しみなのか、怒りなのか、分からなかった。


◆◇◆


レオンは、その場に立ち尽くしていた。


伝えられなかった。


イザベラの、最期の言葉を。


(『エイドリアンには……ごめんなさいって伝えて。お母さんは、あなたが大人になるのを見届けられなくて、本当にごめんなさいって』)


その言葉は、レオンの胸の中に閉じ込められたままだった。


重く、冷たく、沈んでいく。


◆◇◆


オースティンが、レオンの傍に立った。


「……レオン」


「……」


「兄上は、今は混乱しているんだ。時間が経てば——」


「オースティン兄上」


レオンは顔を上げた。涙で濡れた目で、オースティンを見つめた。


「俺は……本当に……人殺しなんでしょうか」


◆◇◆


オースティンは、答えられなかった。


口を開きかけて、閉じた。また開きかけて、また閉じた。


心の中では、分かっていた。レオンは悪くない。母が自分の意志で、レオンを守ろうとしたのだ。


だが——


その言葉が、口から出てこなかった。


母が死んだのは、レオンを守ろうとしたからだ。それは、紛れもない事実だった。


そして、自分にも責任があった。老人に屋敷のことを教えたのは、自分だった。


レオンを慰める資格が、自分にあるのか。


分からなかった。


「……行こう、レオン」


オースティンは、それだけ言った。


「寒い。中に戻ろう」


それ以上、何も言えなかった。


◆◇◆


その日から——


エイドリアンは、レオンを避けるようになった。


いや、避けるだけではなかった。


見かけるたびに、冷たい言葉を浴びせた。


「デキソコナイ」


「人殺し」


「母さんを返せ」


廊下ですれ違うだけで、その目が突き刺さった。


◆◇◆


最初は、言葉だけだった。


舌打ち。睨み。聞こえよがしの悪態。


だが、やがて——


「お前のせいで、母さんは死んだんだ」


エイドリアンの拳が、レオンの頬を打った。


「お前なんか、生まれてこなければよかったんだ」


蹴りが、レオンの腹に食い込んだ。


「死ね。死んで、母さんに謝れ」


◆◇◆


レオンは、抵抗しなかった。


抵抗できなかった。


エイドリアンの言葉は、少しずつ、少しずつ、レオンの心を蝕んでいた。


(俺のせいで、イザベラ様は死んだ)


(俺が、イザベラ様を殺した)


(俺は——人殺しだ)


殴られるたびに、その思いが深く刻み込まれていった。


◆◇◆


オースティンは、それを見て見ぬふりをした。


止めようとしたことも、何度かあった。


腕を掴みかけて——止めた。


声をかけようとして——飲み込んだ。


「お前も同罪だろう、オースティン」


ある日、エイドリアンが言った。


「お前があの老人に屋敷のことを教えたから、母さんは死んだんだ。お前に、俺を止める資格があるのか」


オースティンは、何も言えなかった。


その通りだった。自分に、兄を止める資格などない。


だから——見て見ぬふりを続けた。


◆◇◆


日が経つにつれ、エイドリアンの暴力は静かにエスカレートしていった。


最初は頬を打つだけだった。


やがて、拳が体を打つようになった。


食事を取り上げられることもあった。


夜中に部屋に押し入られ、眠りを妨げられることもあった。


使用人たちは、見て見ぬふりをした。側室の息子と「デキソコナイ」の争いに、首を突っ込む者はいなかった。


セレリックは、何も言わなかった。


エリーゼも、何も言わなかった。


レオンは——一人だった。


◆◇◆


夜、レオンは自分の部屋で膝を抱えていた。


窓から差し込む月明かりだけが、暗い部屋を照らしている。


体中が痛む。今日も、エイドリアンに殴られた。


肋骨のあたりが、ずきずきと疼いている。明日には青痣になっているだろう。


だが、体の痛みよりも——心の痛みの方が、ずっと辛かった。


(イザベラ様……)


(ごめんなさい……)


(俺のせいで……)


◆◇◆


イザベラの最期の言葉が、頭の中で繰り返される。


『あなたは、デキソコナイなんかじゃない』


『あなたは、強い子よ』


『オースティンとエイドリアンを、頼むわね』


(頼まれたのに……俺は……何もできない……)


(伝言さえ、伝えられない……)


(強い子なんかじゃない……俺は……)


膝を抱える腕に、力を込めた。爪が肌に食い込んでも、構わなかった。


◆◇◆


窓の外には、冬の星空が広がっていた。


イザベラが好きだった星空。


あの夜も、こんな星空だった。イザベラと一緒に見た、最後の星空。


「イザベラ様……」


レオンは呟いた。声は震えていた。


「俺は……どうすればいいんですか……」


答えは、返ってこなかった。


星だけが、静かに瞬いていた。


◆◇◆


こうして——


7年が過ぎた。


エイドリアンの憎しみは、消えなかった。むしろ、年を経るごとに、冷たく、硬く、凝り固まっていった。


レオンへの暴力は、続いた。


そして——レオンは、「デキソコナイ」と呼ばれ続けた。


イザベラの最期の言葉を、胸に秘めたまま。


誰にも、伝えられないまま。


7年間——ずっと。


【続く】



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ