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第8話 精神力薬剤


「……力を手に入れた人間は、自分の気に入らないものを何としてでも排除しようとする」


 エヴィルの声は静かだった。


「不幸なことに、レオン兄様との婚約こそが、彼女にとって最も気に入らないものだったのよ」


「つまり、婚約破棄に来たということか?」


 俺の声は相変わらず平静だったが、心の中では怒りが湧き上がっていた。


 ただしその怒りは、リーゼロッテに見下されたことに対するものではない。


 正直なところ、向かいに座る美少女に魅力を感じないわけではないが、俺は下半身で物を考える獣ではない。


 彼女と結婚できなくても、男としてちょっと残念に思う程度のことだ。


 俺が本当に腹を立てているのは、彼女が選んだやり方についてだ。


 もし彼女が大勢の前で父に婚約破棄を申し出たら、領主としての父の名誉は完全に地に落ちてしまう。


 リーゼロッテは美しく愛らしく、公爵家の令嬢という高貴な身分を持ち、おまけに天才的な才能の持ち主だ。


 誰もが、俺レオンは分不相応にも高貴な姫君に求婚しようとして、逆に拒絶されたのだと思うだろう。


 そうなれば、俺だけでなく父までもが笑い者にされ、セレストーム家の誇りは傷つけられてしまう。


 俺は冷たい空気を静かに吸い込み、袖の中で拳を強く握りしめた。


 もし今の俺が正式な魔法使いだったら、誰がこんな真似をできたというのか?


 その通りだ。


 もし俺が正式魔法使いの実力を持っていれば、たとえリーゼロッテにカエルム・アルカナムという後ろ盾があったとしても、こんなことはできなかったはずだ。


 わずか十二歳で正式魔法使いとなった者は、エーゼル大陸の長い歴史の中でもほんの数人しかいない。


 しかもその全員が、今では魔法修練界において伝説となり、不動の頂点に立つ存在となっている。


 だが……


 今の俺は、使い物にならない属性と判定された錬金系の見習いに過ぎないのだ。


 小さく柔らかな手が、そっと袖口から滑り込んできて、俺の握りしめた拳にそっと触れた。


「レオン兄様、もし彼女が本当にそんなことをしたら、損をするのは彼女の方よ」


 エヴィルが優しい声で言った。


「エヴィルは信じてる。いつか彼女は、今日の浅はかな判断を後悔するわ!」


---


# 第八章 精神力薬剤


「コホン」


 深い藍色のローブを纏った老魔法使いが軽く咳払いをすると、立ち上がって父に向かって恭しく礼をし、微笑んだ。


「セレストーム侯爵、今回貴家を訪れましたのは、実はお願いがございまして」


「ほう、レノルド殿。何なりと仰ってください。力になれることであれば、セレストーム家として断る理由はございません」


 この老魔法使いに対して、父は決して粗末に扱うわけにはいかない。すぐに立ち上がって丁重に応じたが、相手の用件が分からないため、あまり断定的な言い方は避けた。


 俺は隅の席に座り、黙ってこの光景を眺めていた。


 心の中では、すでに予感していたことだったが。


「ほほ、侯爵閣下。このお嬢様をご存知でしょうか?」


 レノルドは微笑みながら、隣の少女を示した。


「申し訳ない。このお嬢様は……」


 父は少女を眺めたが、やや気まずそうに首を横に振った。


 リーゼロッテがステラリアに弟子入りしたのは九歳の時で、カエルム・アルカナムで三年間修行を積んでいた。女の子の成長は早い。何年も会っていなければ、父が目の前の少女を息子の婚約者だと気づかないのも無理はない。


 俺はリーゼロッテの冷たげな美貌を見つめながら、言葉にできない感情が湧き上がってくるのを感じた。


 喪失感とも違う。怒りとも違う。


 それはむしろ……無力感だった。


「コホン……彼女の名は、リーゼロッテ・フォン・クラウゼンブルクと申します」


「リーゼロッテ・フォン・クラウゼンブルク? クラウゼンブルク公爵のご令嬢か!?」


 父ははっとした後、満面の笑みを浮かべた。昔の約束を思い出したのだろう。すぐに少女へと穏やかな笑顔を向けた。


「リーゼロッテお嬢様。もう何年も会っていなかったものだから、見分けがつかなかった。許してくれたまえ」


 突然の展開に、周囲の人々も少し戸惑いの表情を浮かべた。三人の長老が互いに目配せをし、眉をひそめる……


 俺は父の満面の笑顔を見つめながら、心の中で苦い思いを噛みしめた。


 父はまだ知らないのだ。この令嬢が今日ここに来た本当の目的を。


「セレストーム侯爵、私が今まで挨拶に伺わなかったことこそ、お詫びしなければなりません。侯爵を責めるなど、とんでもございません」


 リーゼロッテは優雅に微笑んだ。


「ほほ、リーゼロッテお嬢様。以前からステラリア様の門下に入られたと噂には聞いていたが、まさか本当だったとはな。お嬢様は本当に素晴らしい才能をお持ちだ……」


 父は笑いながら感嘆の声を上げた。


「リーゼロッテは幸運に恵まれただけですわ……」


 控えめに笑いながら、リーゼロッテは父の熱意に少々戸惑った様子で、テーブルの下で隣のレノルドの袖を軽く引いた。


 俺はその様子を見て、口元に冷笑を浮かべた。


 幸運に恵まれた、だと?


 ステラリアに直接弟子入りできたことが、幸運の一言で片付けられるものか。


 これは強者の謙遜に過ぎない。


 いや……強者が弱者に施す慈悲、とでも言うべきか。


「ほほ、侯爵閣下。実を申しますと、今日の用件はリーゼロッテお嬢様に関することでして……しかも、院長閣下ご自身からの……」


 レノルドは軽く笑ったが、「院長」という言葉を口にする際、表情がわずかに厳粛なものとなった。


 父の顔色が変わり、笑みが消えた。


 カエルム・アルカナムの院長ステラリアは、エルデンハイム王国でも最高位の大魔導師だ。小さな辺境貴族の領主に過ぎない父が、逆らえる相手ではない。だが彼女ほどの実力と権力を持つ者が、いったいセレストーム家に何の用があるというのか?


 レノルドはリーゼロッテに関することだと言った。まさか……


 父の手が微かに震えているのが見えた。


 彼も察したのだ。


「レノルド殿、どうぞお聞かせください!」


 父の声はわずかに震えていたが、それでも冷静さを保っていた。


「コホン……」


 レノルドの顔に一瞬気まずさが浮かんだが、院長のリーゼロッテへの寵愛を思い、歯を食いしばって微笑んだ。


「侯爵閣下もご存知の通り、カエルム・アルカナムは古き掟を厳格に守る学院でございまして、また院長閣下はリーゼロッテお嬢様への期待も非常に高く、すでに次期院長として育成しておられます……そして古来より伝わる掟により、院長の後継者は正式に院長職を継承するまで、婚約関係を結ぶことが禁じられているのです……」


「院長閣下がリーゼロッテお嬢様に尋ねられたところ、貴家とのご縁があることを知り……それで院長閣下は、侯爵閣下にこの婚約を……解消していただけないかと……」


 ガシャン!


 父の手にあった銀の杯が、轟音とともに粉々に砕け散った。


 広間の空気が、一瞬にして凍りついた。


 俺は隅の席に座ったまま、静かにこの光景を眺めていた。表情一つ変えずに。


 だが心の中では、荒れ狂う波が立ち騒いでいた。


 やはりか。


 やはり婚約破棄に来たのだ。


 しかもカエルム・アルカナムの威光を背景に、ステラリアの名を借りて。


 こうなれば、父がどれほど憤ろうとも、頭を下げるしかない。


 なぜならセレストーム家は、カエルム・アルカナムに逆らえないのだから。


 上座の三人の長老もレノルドの言葉に衝撃を受けたようだったが、すぐに父を見る目に嘲りと冷笑の色が混じった。


「ふん、カエルム・アルカナムに婚約破棄を強要されるとは。領主としての誇りも地に落ちたな!」


 若い世代の少年少女たちは俺とリーゼロッテの婚約のことを知らなかったが、両親に尋ねた後、その表情が一変した。嘲笑の視線が、隅にいる俺へと向けられる……


 俺は依然として平静を保っていた。


 まるで嘲笑されているのが自分ではないかのように。


 だが袖の中の拳は、さらに強く握りしめられていた。


 爪が掌に深く食い込み、鋭い痛みが走る。


 その痛みが、俺の意識を清明に保ってくれる。


 父の険しい表情を見て、リーゼロッテも顔を上げられず、うつむいたまま指を絡め合わせていた。


「侯爵閣下、無理なお願いであることは重々承知しておりますが、どうか院長閣下のお顔を立てて、婚約を解消していただけませんでしょうか……」


 レノルドは無念そうに溜息をついて、静かに言った。


 父は拳を握りしめ、淡い氷青色の魔力が徐々に身体を覆っていく。やがてその周囲に氷の結晶が形成されていった。


 セレストーム家秘伝魔法――氷結の(アイスアーマー)! 位階:第四位階上級!


 父の反応を見て、レノルドの表情も一気に険しくなり、リーゼロッテの前に立ちはだかる。手のひらを素早く掲げると、紫色の雷光が掌に集まり、鋭い音を立てた。


 カエルム・アルカナム上級魔法、雷神の(サンダーハンド)! 位階:第五位階初級!


 二人の魔力が放たれると、広間にいた実力の劣る少年たちは顔色を失い、胸が苦しくなった。


 俺は静かにこの光景を眺めていた。


 父は戦おうとしている。


 だが俺には分かっていた。彼は本当に手を出すつもりはないと。


 なぜなら彼は領主だ。


 一時の感情で、領民と家臣たちに災いをもたらすわけにはいかない。


 案の定――


 父の呼吸がさらに荒くなった瞬間、三人の長老の怒号が雷鳴のように広間に響き渡った。


「セレストーム卿! おやめください! 貴方はセレストーム家の当主なのですぞ!」


 父の身体がびくりと硬直し、体を覆っていた魔力がゆっくりと収束し、やがて完全に消失した。


 どっかりと椅子に座り直すと、父は頭を下げたままのリーゼロッテを冷たい目で見つめ、嗄れた声で言った。


「リーゼロッテお嬢様、見事な決断力だ。クラウゼンブルク公爵は、貴女のようなご令嬢を持って、さぞかし誇らしいことだろう!」


 華奢な身体がわずかに震え、リーゼロッテは消え入りそうな声で呟いた。


「セレストーム侯爵……」


「ほほ、侯爵と呼んでくれたまえ。もはや私には、貴女から親しみを込めて呼ばれる資格などない」


 父は冷たく手を振った。


「貴女は将来のカエルム・アルカナムの院長、いずれエーゼル大陸全土にその名を轟かせる大魔導師となる方だ。我が息子レオンは平凡な才能しか持たぬ者、確かに貴女には不釣り合いだ……」


 父のその言葉を聞いて、俺の心は引き裂かれるような痛みに襲われた。


 だが表情は、依然として平静を保っていた。


「ご理解いただき、誠にありがとうございます」


 その言葉にレノルドは大いに喜び、父に向かって深々と礼を述べた。


「院長閣下も、今日の要求が礼を失していることは承知しておられます。それゆえ、お詫びの品を持参するようにと……」


 そう言うと、レノルドは指の魔法の指輪に魔力を込め、空間に波紋が広がると同時に、蒼白い光を纏った古びた宝箱が虚空から出現した……


 空間指輪(スペースリング)


 俺の瞳孔が微かに収縮した。


 あれは正式魔法使い以上しか所持を許されない魔法具だ。


 慎重に箱を開くと、芳しい香りが広間に漂い、それを嗅いだ者は皆、精神が高揚した。


 三人の長老が興味津々で覗き込むと、その身体が激しく震え、驚愕の声を上げた。


「精神力強化の秘薬(メンタルエリクサー)!?」


 広間が、瞬時にざわめきに包まれた!


 精神力強化の秘薬!


 精神力を永久的に向上させる貴重な魔法薬だ!


 市場では、最も低級な精神力強化薬であっても千金貨以上の値がつく!


 そして宝箱に納められたこの秘薬は、その輝きから判断するに、少なくとも中級品だ!


 その価値は……少なくとも五千金貨――

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