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錬金系の落ちこぼれ四男、辺境領主として無双する  作者: 穏やかな旅人


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第61話 七つの舞台


演武場には、七つの舞台が設けられていた。


それぞれが十歩四方ほどの正方形で、白い石材を積み上げた壇の上に、防護結界の魔石が四隅に据えられている。一番舞台は大長老、二番は二長老というように、序列通りに長老が審判席につく。勝利すれば加点、敗北すれば減点。降参か気絶か、あるいは舞台からの落下で決着がつき、最終的な点数で順位が決まる仕組みだ。


七つの舞台のうち、既にいくつかで試合が始まっており、魔術の光や衝撃音が断続的に響いていた。観客席のあちこちから歓声が上がり、侯爵家の紋章旗が振られている。


だが——第一舞台の周囲だけは、異様な空気に包まれていた。


レオンがニコラスを倒した後、第一舞台は静まり返ったままだった。誰も、挑戦しようとしない。三つ星のニコラスが為す術もなく倒された光景は、控室で順番を待つ出場者たちの心に冷水を浴びせていた。書記官が羊皮紙とペンを手にしたまま、所在なげに誰かの名乗りを待っている。


「誰も行かないのか……?」


「行けるわけないだろ。ニコラスが一瞬で沈んだんだぞ」


「点数が欲しいなら他の舞台で稼いだ方がいい。あいつに突っ込むのは自殺行為だ」


大長老が、審判席で眉をひそめた。他の六つの舞台では次々と試合が消化されているというのに、第一舞台だけが凍りついたように動かない。しばらく控室の方を見つめていたが、やがて低い声で告げた。


「——挑戦者が出ないのであれば、くじ引きで対戦相手を決める」


その一言に、控室の空気が一瞬で変わった。



書記官が竹筒を持って控室に入っていくと、中から悲鳴にも似た声が漏れてきた。


「嘘だろ、くじ引きかよ……」


「頼む、頼むから俺以外に当たってくれ……」


「おい、お前先に引けよ」「いやお前が先だろ」


もみ合うような物音がしばらく続いた後、書記官が戻ってきた。その後ろから、一人の少年が仲間に背中を押されるようにして姿を現した。


顔面蒼白だった。


トビー・セレストーム。傍系の少年で、二つ星初期。丸顔に黒い巻き毛、小太りの体型。年は十五。侯爵家では「災厄のトビー」として広く知られた男だ。昇級試験の日に限って腹を壊す。大事な模擬戦の前日に階段から転げ落ちる。演習中に自分の魔法が跳ね返ってきて自滅したこともある。何をやっても裏目に出る——そういう星のもとに生まれた男だった。


そして今日、よりにもよって、レオンとの対戦くじを引き当てた。


「なんで俺なんだよ……」


トビーは半泣きの顔で木札を睨んでいた。周囲の出場者たちの目には、同情と安堵が等分に浮かんでいる。自分じゃなくてよかった——あまりにも露骨な空気だった。


「ほら、行けよトビー。男だろ」


「お前の不運は今に始まったことじゃない。諦めろ」


仲間に背中を叩かれ、押し出されるようにして、トビーがよろよろと舞台の階段を上がってきた。一段登るごとに足が重くなっているのが、傍目にもわかる。


レオンは、その姿を見て思わず苦笑した。



舞台の上で、二人は向かい合った。


トビーは構えを取ろうとしたものの、足の位置を三度ほど変えた挙句、どの構えにするか決まらないまま両手を中途半端に掲げていた。膝が震えている。目はうっすらと潤み、鼻の頭が赤い。


「試合開始! 致命傷を与えることは禁止だ!」


大長老の号令が落ちた。


「レオン、た、頼む……手加減してくれ……」


トビーは構えたまま情けない声を絞り出した。あまりにも率直な懇願に、観客席から小さな笑いが漏れる。


「……善処する」


レオンは溜息をついた。この状況で殺気を保てという方が無理だった。


「じゃ、じゃあ行くぞ! 行くからな!」


トビーは腹を括ったように叫ぶと、拳に淡い茶色の魔力を纏わせた。土系の初歩魔法——拳を硬化させて正面から突っ込む。単純な技だが、二つ星初期の実力で取れる戦術としては妥当だろう。少なくとも、逃げずに正面から向かっていく度胸だけはあった。


「おおおお——!」


雄叫びと共にトビーが突進した。見た目に反して足は意外と速い。丸い体が砲弾のように真っ直ぐ飛んでくる。


だが——レオンの方が、圧倒的に速かった。


一歩。たった一歩の踏み込みで、舞台の端から中央までの距離を瞬時に詰めた。足元の石畳に僅かなひびが走る。七年間鍛え続けた体術が生み出す、爆発的な加速。


「プッシュ・パーム」


金色の光が右掌に凝縮し、トビーの胸に触れた。


ただし——力は大幅に抑えていた。本来のプッシュ・パームなら内臓を揺さぶり一撃で戦闘不能にできる。だがレオンが放ったのは、表面の衝撃だけを伝え、体の内部へのダメージを最小限に留める一打だった。全力で叩くよりも、むしろ遥かに繊細な制御を必要とする打ち方だ。


トビーの体が後方に吹き飛ばされた。まるで見えない巨人に突き飛ばされたように両足が地面を離れ、宙を舞い——舞台の端で、ちょうど止まった。仰向けに倒れ、大の字になって空を見上げている。


落ちていない。レオンが、飛ばす距離まで計算していたのだ。


「……い、生きてる? 俺生きてるよな……?」


トビーは仰向けのまま、自分の体をぺたぺたと触った。胸は痛いが、骨は折れていない。内臓も無事らしい。


「降参します!」


即座に右手を上げた。その潔さだけは実に見事だった。


「勝者——レオン・セレストーム!」


大長老が勝者を告げると、まばらな拍手が起きた。結果は誰もが予想していた試合だ。だが——その中に、別の種類の感嘆が混じっていた。


「あいつ……手加減したな」


「ああ。舞台から落ちないように、吹き飛ばす距離を調整していた。あの精度で力を抑えるのは、全力で殴るよりずっと難しいぞ」


「出来損ない——いや、もうそうは呼べないな。末恐ろしい男だ」



レオンは、倒れたままのトビーに手を差し伸べた。


「大丈夫か」


「あ、ああ……死ぬかと思った……」


トビーはレオンの手を掴んで立ち上がり、胸をさすりながら涙目のまま言った。


「お前、めちゃくちゃ手加減してくれただろ。わかるよ俺だって。……ありがとな」


「気にするな」


「今度メシ奢る。命の恩人だ。マジで」


トビーは大真面目な顔で言い切ると、よろよろと舞台を降りていった。階段の途中で案の定つまずきかけたが、手すりを掴んでなんとか持ちこたえた。観客席から小さな笑い声が漏れる。


控室に戻ったトビーを、仲間たちが駆け寄って囲んだ。


「おい、大丈夫か!」


「生きてる……生きてるぞ俺は……」


「よかったな。レオンが優しい奴で」


「優しいっていうか怖いんだよあいつ。触られた瞬間、何が起きたかわからなかった。気づいたら空飛んでた」


その言葉に、控室の空気がさらに重くなった。次にくじを引き当てるのは自分かもしれない——その恐怖が、全員の顔に浮かんでいた。


レオンは舞台の中央に戻り、静かに腕を組んだ。風が銀色の髪を揺らす。



一方——第三舞台では、まるで別の世界のような空気が張り詰めていた。


第一舞台の喧騒とは対照的に、第三舞台の周囲には、針を落としても聞こえそうなほどの静寂が漂っている。観客席の一角が不自然なほど静かだ。全員が息を殺して、舞台の上を見つめていた。


オースティン・セレストーム。


本家の三男にして、レオンの異母兄。赤い髪が風に揺れ、青い目は冷たく正面を見据えている。四つ星初期——侯爵家の同世代において、文句なしの最強。魔力値156は、エイドリアンの140を大きく引き離し、他の追随を許さない。


だがオースティンの恐ろしさは、魔力値だけではなかった。この男には、無駄がない。動きにも、言葉にも、表情にも。必要なもの以外の一切を削ぎ落とし、感情を見せず、弱みを晒さず、常に最小限の力で最大限の結果を出す。天才という言葉すら、この男の前では陳腐に聞こえた。


彼の前に立っているのは、傍系の少年だった。二つ星後期の実力者で、短く刈り込んだ黒髪に日焼けした肌。体は鍛えられており、構えもしっかりとしている。傍系の中では上位に食い込む力があった。


だが——相手が悪すぎた。少年の額にはじっとりと汗が浮かび、開始の合図を待つ間も、指先が微かに震えていた。オースティンは、そんな相手の緊張に一切関心を示さない。ただ静かに立ち、前を見つめている。まるで、これから始まるのが試合ではなく、日常の些事であるかのように。


「試合開始!」


三番目の長老が号令をかけた。



傍系の少年は、即座に魔法を放った。先手必勝——格上の相手に対して取れる最善の策だと判断したのだろう。判断そのものは悪くない。


「アイス・アロー!」


少年の両手から青白い光が収束した。冷気が舞台の周囲に広がり、観客席の最前列にいた者たちの息が白くなる。光が凝縮し、硬質化していく——鋭く尖った氷の矢が三本同時に形成され、オースティンに向かって射出された。


氷系魔法としては上等な部類だった。矢の形成速度、飛翔速度、そして三本同時展開という制御力。あの少年が日頃から真剣に鍛錬を積んでいることが窺える。


だが——オースティンは、動かなかった。


構えすら、取らない。


腕を組んだまま、氷の矢が迫るのを見ている。まるで窓の外の雨を眺めるような目で。


氷の矢が迫る。あと三歩。二歩。一歩——


そして——


三本のアイス・アローは、オースティンの目の前で消えた。


融けたのではない。砕けたのでもない。文字通り、消失した。まるで最初から存在しなかったかのように、三本の氷の矢が同時に虚空に溶けた。後に残ったのは、わずかな水蒸気だけだった。舞台の周囲に漂っていた冷気が一瞬で消え去り、代わりに微かな熱の揺らぎが空気中に広がった。


「なっ——!?」


少年の顔が驚愕に歪んだ。目が見開かれ、口が半開きになる。自分の魔法が相手に届く前に消滅した——そんなことがあり得るのか。


観客席でも動揺の波紋が広がった。


「今の……何だ……?」


「アイス・アローが消えた……? 防いだんじゃなく、消えたぞ……」


「防御魔法を展開した様子もなかったのに……」


オースティンは、淡々と一歩踏み出した。


「無駄だ」


その声は冷たかった。感情がないのではない。相手に向ける感情そのものが、必要ないと判断しているのだ。



少年は慌てて後退しながら、再び魔法を放った。顔には焦りが浮かんでいる。汗が顎を伝い、石畳に落ちた。


「アイス・ウォール!」


両手を地面に叩きつけると、轟音と共に、分厚い氷の壁が彼の前に現れた。高さは二メートル以上、厚さは拳三つ分。先ほどのアイス・アローよりも遥かに多くの魔力を注ぎ込んでいる。守りに徹する覚悟だった。攻撃が通じないなら、せめて時間を稼ぎ、隙を窺う——そういう判断だろう。


悪くない。少なくとも、パニックに陥らず次の手を打とうとしている。


だが——オースティンは止まらなかった。歩調を変えず、一定のリズムで、氷壁に向かって歩いていく。まるで壁など存在しないかのように。


アイス・ウォールが——同じように、消えた。


オースティンが壁に触れる前に、氷の表面に無数のひびが走った。ひびから白い蒸気が噴き出し、壁全体が内側から崩壊していく。分厚い氷が、紙のように脆く崩れ去った。


水蒸気の霧が舞台を覆い、一瞬、視界が白くなった。


だが、霧が晴れた時——オースティンの姿が、少年の目の前にあった。いつの間に距離を詰めたのか。霧の中を、音もなく、正確に、相手の位置へ一直線に踏み込んでいた。


手刀が、少年の首筋に叩き込まれた。鋭く、正確に、急所を打つ。必要最小限の力で、必要最小限の箇所を——一切の無駄がない、完璧な一撃だった。


短い呻き声と共に少年の目が白くなり、膝から力が抜けた。糸の切れた人形のように、そのまま石畳に崩れ落ちる。


気絶していた。


オースティンは倒れた少年を一瞥し、すぐに視線を外した。そこに勝者としての高揚も、相手への侮蔑もない。ただ——終わった。それだけだ。



「勝者——オースティン・セレストーム!」


三番目の長老が勝者を告げた。


試合時間——わずか数秒。アイス・アローを放ち、消され、アイス・ウォールを築き、消され、気絶するまで。その全てが、瞬き数回分の時間に収まっていた。


観客席がざわめいた。第一舞台でのレオンの勝利とは種類の違う、畏怖に近い震えが場内を包んでいく。


「やはり、四つ星初期は格が違う……」


「格が違うとか、そういう次元の話じゃないだろ。あのアイス・アローもアイス・ウォールも、傍系の中じゃ十分な威力だった。それが触れもせずに消えたんだぞ……」


「しかも最後は体術だ。手刀一発で気絶させるなんて、魔法だけじゃなく身体能力もおかしい……」


「さすが本家の三男だ……。あれと同じ舞台に立つ奴は、地獄だな」


「エイドリアンが怪我していなくても、あいつには勝てなかったんじゃないか……?」


その最後の言葉に、誰も反論しなかった。


貴賓席で、エイドリアンの拳が白くなるほど握りしめられていた。だがそれに気づく者はいない。全員の視線が、第三舞台に釘付けだった。



オースティンは表情一つ変えずに舞台を降りた。階段を下りる足取りも平時と変わらず、息一つ乱れていない。あの戦いが、この男にとっては日常の延長でしかないことを、その姿が雄弁に語っていた。


その目が、ふと——第一舞台の方を向いた。


レオンが、静かに立っている。銀色の髪が風に揺れ、金色の光の残滓がまだ僅かに掌の周囲に漂っていた。


二人の視線が、交差した。


オースティンの目には、怒りも敵意も嘲りも浮かんでいなかった。ただ——僅かな興味だけが、その青い瞳の奥に潜んでいるように見えた。それは、エイドリアンに対して向けていた「無関心」とは、明確に異なるものだった。


オースティンは、レオンを——見ていた。


視線はすぐに外された。オースティンは何事もなかったかのように歩き出し、控室の方向へ消えていった。



レオンは、オースティンの背中を見送った。


アイス・アローの消滅。アイス・ウォールの崩壊。音もなく距離を詰める足運び。手刀の正確さ。そのすべてが、目に焼きついている。


あれが——侯爵家最強の同世代。魔力値156の、本物の天才。


レオンの現在の魔力値は125。数字だけで見れば、31の差がある。だが数字の差以上に、あの男の戦い方には隙がなかった。


第一舞台の周囲で、書記官が再び竹筒を手にする気配があった。次の対戦者を決めるくじ引きだ。


レオンは意識を切り替え、正面を向いた。


家族魔闘会は、まだ始まったばかりだ。


【続く】

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