第6話 来客
ベッドの上で、レオンは瞑想していた。
魔力修錬の基本姿勢――背筋を伸ばし、両手は膝の上に置く。呼吸を整え、精神を集中させる。
空気中に漂う魔力素を感じ取ろうとする。
だが――
何も感じない。
「……相変わらず、か」
ゆっくりと目を開け、レオンは静かに息を吐いた。
四年前、八歳の誕生日。あの魔力属性測定の日から――魔力が消えた。
理由は分からない。どんな名医も治療法を見つけられなかった。魔力が消失するなど、前例のない症例だと言われた。
それでも、レオンは毎晩瞑想を続けている。
もしかしたら、いつか魔力が戻るかもしれない。
そんな淡い期待を捨てきれないでいた。
指にはめられた古めかしい黒い指輪を見つめる。母がくれた、家に代々伝わる指輪。五歳の誕生日に貰ってから、ずっと身につけている。
魔力が消えてから、この指輪が時々微かに光る気がする。
気のせいかもしれない。
でも――
レオンは首を振った。
考えても仕方ない。
ベッドから降りて、簡単に体を動かす。魔力はなくても、体は鍛えられる。前世の知識を活かして、ストレッチと軽い筋力トレーニングは欠かさない。
その時、部屋の外からノックの音が聞こえた。
「レオン様、侯爵様がお呼びです。大広間へ」
「ああ、すぐ行く」
声に応えて、レオンは服を着替えて部屋を出た。外で待っていたのは専属メイドのロッティだった。
「では、参りましょう」
「はい」
ロッティは先導を始めたが、その目には心配の色が浮かんでいた。
「ロッティ、何か知っているのか?」
「いえ……ただ、今日は帝都からお客様がいらっしゃると」
「帝都から?」
「はい。とても立派な方々だと聞きました」
レオンは静かに頷いた。
恐らく――俺と関係があるのだろう。
◇
ロッティに案内されて後庭を抜け、厳粛な迎賓の大広間の前で止まった。ロッティが扉をノックする。
「どうぞ」
中から父の声。
扉が開き、レオンが入室する。
大広間は広々としており、既に多くの人が集まっていた。最上段には父カッセルリックと、三人の老人が座っている。
第一長老グレゴール――白髪で威厳のある老人。財政を統括している。
第二長老マーカス――元騎士団長で、がっしりとした体格。軍事を担当。
第三長老ヴィクター――痩せた魔法師で、眼鏡をかけている。魔法関係を監督。
長老会が全員揃っている。
それは重要な議題がある時だけだ。
その下座には、家族の有力者たちと、優秀な若い世代の者たちが並んでいる。兄たちの姿も見える。
長兄ティモシーは相変わらず穏やかな表情。次兄エイドリアンと三兄セーラスは、俺を見て微かに眉をひそめた。
そして――
反対側には、三人の見知らぬ人物が座っていた。
月白の法衣を着た老人。満面の笑みを浮かべているが、その目は鋭い。
老人の胸元を見て、レオンは内心で驚いた。
銀色の三日月の刺繍。その周りに七つの金色の星。
「七星大魔法師……」
父カッセルリックは五星魔法師だ。この老人はそれより二階級上。
大魔法師クラスの人物が、なぜこの屋敷に?
老人の傍らには若い男女が座っている。
男は二十歳前後。端正な顔立ちに引き締まった体格。胸元には五つの金星――五星魔法師。若くしてこの階級とは、相当な天才だろう。
その青年が、家族の若い娘たちの視線を集めている。特に従姉妹のメディアは、明らかに興味津々といった様子だ。
だが青年本人は、そんな視線には全く興味がないようだった。
その視線は――
青年の隣に座る少女に向いている。
レオンと同年代、十二歳ほどか。整った容貌で、耳には緑色の宝石の耳飾り。
彼女の胸元には――三つの金星。
「十二歳で三星魔法師……」
レオンは表情を変えずに評価した。
自力でここまで到達したなら、間違いなく天才だ。
少女の顔を一瞬見てから、レオンは自然に視線を外した。前世の魂を持つ彼に、同年代の少女に動揺する理由はない。
だが――
レオンの落ち着いた態度が、少女を少し意外にさせたようだ。彼女は一瞬目を見開いたが、すぐに興味を失ったように視線を外した。
まあ、当然だろう。
自分は十二歳で三星魔法師。
こちらは十二歳で魔力ゼロ。
比較の対象にすらならない。
「父上、長老方」
レオンは前に進み、上座の四人に礼をした。
「ああ、レオン。座りなさい」
父カッセルリックが頷いた。
レオンは広間を見回した。
そして――
自分の席がないことに気づいた。
表情は変えない。ただ静かに立っている。慌てず、騒がず。
周囲の若者たちがくすくすと笑い始めた。レオンが恥をかく様子を楽しんでいるようだ。
上座のカッセルリックは眉をひそめた。
「マーカス――」
「ああ、申し訳ない」
第二長老マーカスが軽く手を上げた。
「レオン様の席を用意するのを忘れていた。すぐに――」
「レオン様、よろしければこちらへ」
突然、静かな声が響いた。
三人の長老が視線を移す。大広間の隅で、一人の少女が本を閉じた。
家族の傍系出身、シュメル。
十二歳で既に四星魔法師という、家族きっての天才だ。
「……ありがとう、シュメル」
レオンは落ち着いて頷き、彼女の隣に歩いて行った。周囲の視線を気にする様子もなく、自然に座る。
三人の長老は何か言いたげだったが、結局何も言わなかった。シュメルは家族の将来を担う逸材。彼女に逆らうわけにはいかない。
「お久しぶりです、レオン様」
隣に座るシュメルが静かに言った。
「ああ、久しぶりだね」
レオンは穏やかに答えた。
シュメルは微笑みながら本を開いた。その仕草は優雅で、小さい年齢なのに知性的な雰囲気を纏っている。
しばらく沈黙が続いた後、彼女が静かに言った。
「レオン様と二人でお話しするのは、三年ぶりですね」
「そうだね」
レオンは素直に答えた。
「シュメルは今や家族の期待の星だから、忙しいだろう」
「……そうでもありません」
シュメルがページをめくる音。
「私が四歳から六歳の頃、毎晩誰かが私の部屋を訪れていました」
レオンの表情が微かに動いた。
「その方は魔力で私の体を調整してくれました。とても不器用でしたが、一生懸命でした」
「いつも汗だくになって、疲れ果てて帰られました」
シュメルがレオンを見る。
「レオン様、その方はどなただと思われますか?」
「……さあね」
レオンは視線を前方に向けたまま答えた。
「幼い頃のことは、よく覚えていない」
「そうですか」
シュメルが微笑んだ。
「でも、その方の魔力の感覚は今でも覚えています」
「微かで、不安定で、それでも優しい魔力でした」
「もし再び感じることがあれば……すぐに分かるでしょう」
レオンは何も言わなかった。
口元が微かに引きつる。
内心では少し気まずい。
視線は前へ、心は落ち着けに――
無言……
◇
上座で父が咳払いをした。
「皆、集まってくれてありがとう」
カッセルリックが広間を見回す。
「今日お呼びしたのは、他でもない――」
父が客人たちに手を向けた。
「帝都より、フェルナンド伯爵家の方々がいらっしゃった」
フェルナンド伯爵家?
レオンは記憶を辿った。
確か……帝都でも有数の名門貴族だったはずだ。
月白の老人が立ち上がり、丁寧に礼をした。
「フェルナンド家の魔法顧問を務めておりますバーナードと申します」
その声は穏やかだが、威厳がある。
「こちらはフェルナンド伯爵家の嫡男、オーウェン様」
五星魔法師の青年が立ち上がって礼をした。
「そしてこちらは、オーウェン様の妹君、ナディア様」
三星魔法師の少女が軽く頷いた。
フェルナンド家の――
レオンの心臓が跳ねた。
まさか……
バーナードが父カッセルリックを見る。
「カッセルリック侯爵様、本日参りましたのは――」
彼が一度言葉を切った。
「かつて、両家の間で交わされた婚約について、お話をさせていただきたく」
広間がざわついた。
婚約――
レオンは静かに考えた。
確か……俺が生まれる前、セレストーム家とフェルナンド家の間で、婚約が結ばれていたと聞いた。
当時はまだ俺が生まれていなかったから、相手が誰なのかも知らなかった。
だが、八歳で魔力を失ってから――
その婚約の話は、一切聞かなくなった。
まさか――
レオンの視線が、ナディアに向いた。
彼女も俺を見ていた。
その目には――
明確な軽蔑が浮かんでいた。
【第六章 完】




