第52話 魔族の遺産
修行を終え、レオンはムーンウェルの傍らの岩に腰を下ろした。
「出た……!」
淡い金色の光が、手のひらの上で安定して輝いている。
ゴールデンフォーム——ようやく、形を自在に操れるようになった。
そう思った瞬間、レオンは腕に鋭い痛みを感じた。袖をまくると、腕には無数の赤い痕が刻まれていた。
「くっ……やりすぎたか」
まだ少し時間がある。ムーンウェルでもう少し浸かっていよう。
エーテル液を溶かした水に浸かると、冷たさが全身を包み込んだ。
「ふう……」
レオンは目を閉じ、体の力を抜いた。この数日間の修行は、あまりにも過酷だった。今、ようやく緊張が解けて、疲労が骨の髄から染み出してきた。
そのまま、レオンは眠りに落ちた。
◆◇◆
ポタリ……
一滴の真紅の血液が、レオンの腕から泉の中に落ちた。
その瞬間——
天井の光苔が、突然激しく輝き始めた。
泉の水が沸騰したかのように波立ち、淡い赤色の液体がレオンの体に纏わりつき、毛穴から体内に入り込んでいった。
◆◇◆
「熱い!」
レオンは突然目を覚まし、大声で叫んだ。
ザブン!
頭から泉に潜り込み、しばらくしてから顔を出した。
「はあ、はあ……何だ今のは?」
『小僧、何かが起きたようだな』
オーグリの声が脳内に響いた。
「師匠も分からないのか?」
『分からん。だが、お前の魔力回路が活性化している』
その時、レオンの視線が天井で止まった。
「あれは……?」
光苔の奥に、別の光が見えた。魔力の光だ。
『お前の血が、何かの仕掛けを起動させたのかもしれん』
「登ってみる」
◆◇◆
壁を登り、天井の穴に体を引き上げると——
「これは……!」
小さな石室が広がっていた。石の床、石の壁。朽ちかけた椅子と、石の机。
「まさか、古の魔術師の隠れ家か?」
近づくと、壁に文字が刻まれているのが見えた。
「古代魔族語だ……」
レオンは錬金術師として、古代文字にはそれなりに精通していた。目を細めて解読する。
「力を求むる者よ、闘争を恐れぬ者よ、この道を歩め。ただし、心弱き者、この門に入るべからず」
視線を下に移すと、署名があった。
「ア……ザ……ゼル?」
『アザゼル——三百年前に滅んだ伝説の堕天使だ!』
オーグリの声が緊張を帯びた。
『まさか、ここに隠れ家があったとは……』
レオンの目は「アザゼル」の文字に吸い寄せられ、思わず右手を伸ばして触れた。
瞬間——
骨を貫くような寒さが襲った。目の前に黒い光が炸裂し、深淵の闇が全てを飲み込んでいく幻影が見えた。
光芒の中、一人の人影がぼんやりと見えた。年齢も容姿も分からないが、冷酷さと決意だけが伝わってきた。
光が薄れ、壁の文字が塵となって舞い落ちた。
塵が地に落ち、新たな文字を形成した。
「アビス・デヴァウラー——第一段階『物体吸引』の残式を会得」
『小僧、お前は今、真意伝承を受けたのだ!』
オーグリの声が興奮していた。
「アビス・デヴァウラー……?」
『待て、この技は……まさか、「聖者級」の秘術か!』
「聖者級? それってどのくらい凄いんだ?」
『聖者級の秘術を持つ者は、大陸でも指折りの存在だ。一国すら軽々しく敵に回せない——そういうレベルだ』
「マジか……」
レオンは唖然とした。
◆◇◆
石の机の上に、古びた巻物が一つ置かれていた。
「これは……?」
巻物を開くと、古代魔族語で書かれていた。
「アビス・デヴァウラー——深淵の力を借り、万物を貪り食らう禁断の奥義」
レオンは読み進めた。
「第一段階——物体吸引。手のひらから強力な吸引力を生み出し、あらゆる物を引き寄せる。大成すれば、数トンの巨石を吸い寄せ、敵の武器を奪い取ることも可能」
「なるほど、これが今、俺が会得した技か」
『ただし、今のお前の魔力では、せいぜい小石を動かす程度だろうな』
「え、それだけ?」
『当たり前だ。聖者級の秘術だぞ? お前の魔力量で数トンの巨石を動かせると思ったのか?』
「……確かに」
レオンは苦笑した。
「第二段階——吸血。究極の境地に達すれば、人体の血液を強制的に体外に引き出すことができる。血液と共に、生命力そのものを奪い取る」
「……は?」
レオンは顔を引きつらせた。
「血液を体から引き出す? それ、死ぬだろ普通に」
『だからこそ禁断の技と呼ばれている。だが、お前が第二段階に到達するのは、大魔導師になってからだろうな。今の魔力では到底無理だ』
「大魔導師って……何年かかるんだよ」
『さあな。十年か、二十年か。才能次第だ』
「遠すぎる……」
レオンは巻物の最後を確認した。
「……途中で切れてる」
『残巻だな。第二段階の説明も冒頭だけで終わっている』
「くそ、肝心な部分が……」
『まあ、今のお前には関係ない。大魔導師になるまで、第二段階のことは考えなくていい』
「師匠、言い方がきついぞ」
『事実を言っているだけだ』
◆◇◆
巻物を懐にしまい、レオンは石室をさらに探索した。
壁に石の扉のようなものが見えた。周りには古代魔族語が刻まれている。
「光を持たぬ者、この門に入るべからず」
レオンは何気なく右手を石の扉に当てた。
瞬間——
言い表せない寒さと恐怖が襲った。腐った死体、悪鬼天魔が次々と目の前に現れ、満天の黒気の中から炎が燃え上がり、レオンに向かってきた。
「うわっ!」
レオンは急いで後ろに退いた。幻影が消え、背中には冷や汗がびっしりと浮かんでいた。
「何だよ今のは……」
『あの扉には近づくな。今のお前の実力では開けられないし、開けるべきでもない。おそらく、完全版があの奥に眠っているのだろうが……』
「分かってる。欲張らない」
今日得たものだけでも、十分すぎる。
◆◇◆
石室から降り、レオンは再びムーンウェルの傍らに立った。
「さて、試してみるか」
手のひらを近くの石に向けて、意識を集中させた。
シュッ——
小さな石ころが、手のひらに吸い寄せられた。
「おお……! マジでできた!」
『言っただろう、小石程度だと』
「いいじゃないか、できたんだから」
『まあ、悪くはない。修練を積めば、もう少し大きな物も動かせるようになるだろう。人の武器を奪うには、三つ星後期くらいの魔力が必要だろうがな』
「三つ星後期か……あと少しだな」
レオンは拳を握った。
聖者級の秘術——アビス・デヴァウラー。
今は小石しか動かせないが、いつか——
「待っていろ、オースティン」
レオンの唇に、不敵な笑みが浮かんだ。
「まずは、お前を倒してやる」
【続く】




