第51話 苦修
「フラッシュ!」
ムーンウェルの中央、清冷な叫び声が響いた。
レオンの右手が、水面を切り裂くように振り上げられる。
パァッ!
眩い光が、手のひらから放たれた。
フラッシュ——だが、まだ完全ではない。光は一瞬で霧散し、泉の水面に小さな波紋を残すだけだった。
「くっ……」
レオンは歯を食いしばった。
これで何度目の失敗だろうか。
三日間、このムーンウェルで修行を続けてきた。エーテル液を溶かした水に浸かり、フラッシュの心法を運転し続けている。
初日は、かすかな光を生み出すことに成功した。
二日目は、その光を少しだけ持続させることができた。
だが、三日目の今日——いくら試しても、フラッシュを「放出」することができない。
『焦るな、小僧』
オーグリの声が脳内に響いた。
『フラッシュは、光を「集める」だけでは不十分だ。それを一瞬で「解放」する技術が必要になる。お前はまだ、その感覚を掴めていない』
「分かっている……だが……」
レオンは水面を見つめた。
蒼銀の髪が水に濡れ、額に張り付いている。
二週間後の家族魔闘会まで、あと十一日。
時間がない。
『お前の修行速度は、わしの予想を超えている』
オーグリは続けた。
『本来なら、エーテル液を使っても、フラッシュの基礎を習得するには一ヶ月はかかるはずだ。それがお前は、わずか三日で光を生み出すところまで来ている』
「だが、まだ使い物にならない」
『焦りは禁物だ。以前、お前が魔力を抑圧されていた七年間——その反動が今、爆発的な成長として現れている。このまま行けば、一週間以内にフラッシュを習得できるはずだ』
レオンは深呼吸をした。
そうだ。焦っても仕方がない。
一歩一歩、着実に進むしかない。
◆◇◆
「はあっ!」
レオンは再び手のひらに意識を集中させた。
魔力を集める。
光を生み出す。
そして——
「解放しろ!」
パァァッ!
今度は、光が手のひらから数センチ離れた場所まで飛んだ。
まだ弱い。まだ短い。だが、確実に進歩している。
『いいぞ。その調子だ』
オーグリの声に、わずかな称賛の色が混じっていた。
『感覚を掴みかけている。あとは、それを体に叩き込むだけだ』
レオンは全身から力が抜けるのを感じた。
たった一発のフラッシュ——いや、フラッシュの「真似事」を放っただけで、体中が疲労困憊だ。
今のレオンの魔力量では、せいぜい三発が限界だろう。それ以上使えば、ゴールデン・レイの威力が落ちる。五発使えば、ゴールデン・レイ自体が使えなくなる可能性がある。
「はあ……はあ……」
レオンはムーンウェルの中に仰向けに浮かんだ。
冷たい水が、疲れた体を包み込む。
エーテル液の成分が、肌から染み込み、疲弊した魔力回路を修復していく。
「ふう……」
洞窟の天井を見上げる。
無数の光苔が輝いている。まるで、夜空の星のようだ。
この泉は、幼い頃に母上が偶然見つけた場所だとクロード叔父は言っていた。母上もここで修行し、光系魔法の腕を磨いたのだと。
——母上も、こうして水に浮かびながら、天井を見上げていたのだろうか。
体の奥深くで、この数日間吸収したエーテル液の成分が、あちこちから静かに染み出してくる。痕跡を残さず、疲れた筋肉と細胞を修復し、最速で主人に力を取り戻させている。
「師匠、俺はあとどのくらいで三つ星に昇格できる?」
目を閉じたまま、レオンはふと口を開いた。
三つ星に昇格すれば、オースティンとの差が少し縮まる。ゴールデンフォームとゴールデン・レイ、そしてフラッシュを組み合わせれば、勝機は十分にあるはずだ。
一陣の冷気が吹き抜け、オーグリの声が響いた。
『お前の修行速度は、わしの予想を超えている。本来なら、エーテル液を使っても、三つ星に到達するには半年はかかるはずだ。だが……』
オーグリは少し沈黙してから続けた。
『お前は七年間、魔力の成長を抑圧されていた。その反動が今、爆発的な成長として現れている。このまま行けば、二週間以内に三つ星に到達できるだろう』
「二週間……」
ちょうど、家族魔闘会の頃だ。
「間に合うかもしれない……!」
レオンは唇の端に、淡い笑みを浮かべた。
三つ星になれば、オースティンとの差は二つ星から一つ星に縮まる。ゴールデンフォームとフラッシュ、そしてゴールデン・レイがあれば、勝機は十分にある。
◆◇◆
「よし、修行に戻るぞ!」
レオンは勢いよく立ち上がった。
ムーンウェルの中央に戻り、再び修行を始める。
『小僧、フラッシュだけに集中するな。ゴールデンフォームも同時に鍛えろ』
「ゴールデンフォームも?」
『そうだ。ゴールデンフォームは光系魔法の基礎だ。お前のゴールデン・レイも、ゴールデンフォームを極限まで圧縮したものだ。ゴールデンフォームの精度が上がれば、フラッシュの威力も、ゴールデン・レイの威力も上がる』
レオンは頷いた。
「分かった」
まず、ゴールデンフォームの練習から始める。
手のひらに意識を集中させ、魔力を光に変換する。
淡い金色の光が、手のひらの上に浮かび上がった。
『その光を、様々な形に変化させろ。球体、立方体、円盤——形を自在に操れるようになれば、戦闘での応用力が格段に上がる』
レオンは光を操り始めた。
球体——成功。
立方体——少し歪んだが、形になった。
円盤——
「くっ……」
形が崩れ、光が霧散した。
『焦るな。繰り返し練習しろ。体が覚えるまで、何度でもだ』
レオンは再びゴールデンフォームを発動させた。
球体、立方体、円盤——
何度も、何度も、繰り返す。
やがて、円盤の形も安定するようになった。
『よし、次はフラッシュだ。ゴールデンフォームで練り上げた光を、一瞬で解放する感覚を掴め』
レオンは手のひらに金色の光を集めた。
そして——
「フラッシュ!」
パァァッ!
眩い光が、手のひらから放たれた。
今度は、十メートル先まで届いた。
『いいぞ! その調子だ!』
オーグリの声に、明らかな喜びが混じっていた。
レオンは拳を握った。
確実に、進歩している。
◆◇◆
五日目。
レオンは泉から上がり、岩の上で休憩していた。
毎日、朝から晩まで修行を続けている。クロード叔父が食事を運んでくれるおかげで、修行に集中できる。
「兄上ー!」
洞窟の入り口から、アレンの声が聞こえた。
「アレン?」
レオンは振り返った。
弟が、バスケットを抱えて走ってきた。
「ロキシーさんが、差し入れを持っていけって。あと、父上からの手紙です」
「父上から……?」
レオンはバスケットを受け取り、中を覗いた。
焼きたてのパン、干し肉、果物——そして、小さな封筒。
封を開けると、短い手紙が入っていた。
『レオンへ
修行は順調か。
お前がムーンウェルで修行していることは、クロードから聞いた。
あのエーテル液は、お前のために用意したものだ。競売で落札したのは、お前に渡すためだった。
七年前、お前の魔力回路が封印された時、私は何もできなかった。
だが、今は違う。
家族魔闘会の勝敗など、どうでもいい。
私が願っているのは、ただ一つ——お前の魔力回路が完全に回復することだ。
七年間、お前は一人で耐えてきた。
今こそ、その苦しみから解放される時だ。
無理はするな。体を大切にしろ。
父より』
レオンは手紙を握りしめた。
——父上……
勝敗などどうでもいい。ただ、魔力回路が回復することを願っている——
その言葉が、胸に染みた。
父上は、ずっと自分のことを見ていてくれたのだ。出来損ないと呼ばれていた時も、嘲笑されていた時も、何も言わずに、ただ見守ってくれていた。
「兄上、どうしたんですか? 目が赤いですよ」
「……何でもない。目にゴミが入っただけだ」
レオンは顔を背けた。
「そうですか? でも、兄上、泣き虫じゃないですよね」
「うるさい。お前こそ、修行はどうなんだ」
「順調ですよ! 大祭司様に、筋がいいって褒められました!」
アレンは胸を張った。
「そうか。なら、俺も負けてられないな」
レオンは立ち上がり、再びムーンウェルに向かった。
——父上、俺は必ず魔力回路を回復させる。そして——
心の中で、静かに誓った。
——オースティンにも、勝ってみせる。
「兄上、頑張ってください! 俺、応援してますから!」
「ああ。見ていろ、アレン」
◆◇◆
一週間が過ぎた。
レオンのゴールデンフォームとフラッシュは、確実に進化していた。
ゴールデンフォームは、自在に形を変化させられるようになった。球体、立方体、円盤はもちろん、簡易的な盾や槍の形にも変化させられる。
フラッシュは、二十メートル先まで届くようになった。威力も、初日とは比べ物にならない。
だが、まだ足りない。
オースティンは四つ星の熱力系魔法師だ。反応速度も、防御力も、エイドリアンより遥かに上。
今のフラッシュでは、彼の目を眩ませることはできても、完全に視界を奪うことはできないだろう。
「もっとだ……もっと強く……」
レオンはムーンウェルの中で、ひたすらゴールデンフォームとフラッシュを練り上げた。
『小僧、一つ提案がある』
オーグリの声が響いた。
「何だ?」
『ゴールデンフォームとフラッシュ、そしてゴールデン・レイ。この三つを連携させる練習をしろ』
「連携……」
『そうだ。まずゴールデンフォームで盾を作り、相手の攻撃を防ぐ。次にフラッシュで視界を奪い、最後にゴールデン・レイで仕留める。この流れを、体に叩き込め』
レオンは頷いた。
「分かった。やってみる」
ムーンウェルの中央に立ち、意識を集中させる。
まず、ゴールデンフォーム——
手のひらに金色の光が集まり、盾の形に変化する。
次に、フラッシュ——
パァッ!
眩い光が放たれた瞬間、すぐにゴールデン・レイの準備に入る。
魔力を圧縮し、光の槍を生み出し——
「ゴールデン・レイ!」
黄金の光線が、洞窟の壁に向かって放たれた。
ドォン!
壁に大きな穴が開いた。
「やった……!」
レオンは目を見開いた。
三つの技を、連続で使うことができた。
『悪くない。だが、まだ遅い。実戦では、この流れを一瞬で行う必要がある。繰り返し練習しろ』
「ああ!」
レオンは再び練習を始めた。
ゴールデンフォーム、フラッシュ、ゴールデン・レイ——
何度も、何度も、繰り返す。
残り一週間。
この技を完璧にして、オースティンを倒す。
【続く】




