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錬金系の落ちこぼれ四男、辺境領主として無双する  作者: 穏やかな旅人


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第46話 紙のカード

競売が終わり、レオンは再び鑑定室へと戻った。


中年の男は、黒ローブ姿のレオンを見るなり、恭しく頭を下げた。その目には、明らかな畏敬の念が浮かんでいる。先ほどまでの傲慢な態度は、どこにも見当たらなかった。


「お待ちしておりました。少々お待ちください、手続きが完了次第、ご案内いたします」


レオンは静かに頷き、椅子に腰を下ろした。


革張りの椅子は、座り心地が良い。壁際の燭台の炎が、柔らかな光を部屋に投げかけている。窓の外では、夕暮れの光が街並みを金色に染め始めていた。


しばらくして、扉の外から足音が聞こえてきた。軽やかな、だが少し急いだ足取りだ。


扉が開いた。


甘い香りが、部屋に流れ込んできた。薔薇と蜂蜜を混ぜたような、妖艶な香りだ。


「あら、こちらがエーテル液の出品者様でいらっしゃいますか?」


甘く、それでいて芯のある声が、レオンの耳に響いた。


思わず、心臓がドキリと跳ねた。


……落ち着け。


心の中で自分に言い聞かせながら、レオンはローブの奥深くに顔を隠した。


視線だけを動かし、傍らに立つ女性を見る。


紫紺のコルセットドレスを纏った、あの女性だ。首席競売師のベアトリス。


競売台の上で見た時よりも、近くで見ると更に妖艶だった。


切れ長の紫の瞳は、常に男を誘うような光を放っている。優雅に伸びた白い首筋には、アメジストのチョーカーが光っていた。深く切れ込んだ胸元から覗く白い肌に、思わず視線が吸い込まれそうになった。


銀糸で刺繍された黒いケープが揺れるたびに、淡い光が部屋に散らばる。蛇のようにくねる腰が揺れるたびに、男ならば誰でも理性を失いそうになる。


顔が熱くなるのを感じた。だがローブのおかげで、相手には見えないはずだ。


心の中の雑念を押し殺し、レオンは小さく頷いた。


「競売は終わったか。金を渡してくれ、急いでいる」


オーグリの声が、枯れた老人の声として響いた。


ベアトリスは少し驚いたような顔をした。声の主の年齢が、予想と違ったのかもしれない。


だがすぐに、手袋に包まれた指先で口元を覆い、軽く笑った。その拍子に、胸元の豊満な双丘が揺れ、危うい弧を描いた。


「申し訳ございません、もう少々お待ちくださいませ。手続きが完了次第、お渡しいたします」


レオンは頷いて、口を閉ざした。


視線をこの女から逸らし、沈黙を保つ。壁に掛けられた錬金術師協会の紋章を見つめる振りをした。


ベアトリスは、黒ローブに包まれた人物を興味深げに見つめていた。


自分の容姿に自信があった。その美貌で、多くの男たちを虜にしてきた。だが目の前のこの人物には、まるで効果がないようだ。


少し面白くなさそうに薄い唇を尖らせ、さりげなく相手の全身を観察する。何か、身元を特定できる手がかりはないかと。


ローブは安物ではない。だが、特別な紋章や装飾は見当たらない。靴も普通の革靴だ。


視線をハインリヒと交わし、ベアトリスは諦めたように小さく溜息をついた。


「お客様、私は徽章を付けていない錬金術師の方を見るのは珍しいのですが……お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


柔らかな声で尋ねた。紫の瞳が、ローブの奥を覗き込もうとするように細められる。


「何だ? ここで物を売るのに、名乗らなければならないのか?」


オーグリの声が、冷淡に響いた。


「いえいえ、ただの好奇心でございます。お答えいただけないのでしたら、無理には聞きません」


ベアトリスはくすくすと笑った。その笑い声は、銀の鈴を転がすようだった。


ローブの隙間から、レオンはベアトリスの姿を見ていた。紫紺のドレスから伸びる白い足が、視界の端に映る。


この女、ただの美人ではない。


「アウレウム」競売所の首席競売師にまで上り詰めた人物だ。頭の回転が速く、狡猾で、情報を引き出すのが上手い。


油断すれば、何かを嗅ぎ取られる。


だが幸い、オーグリがいる。この千年を生きた老狐は、この程度の女狐に惑わされることはない。


ベアトリスはあの手この手で情報を引き出そうとした。


「お客様は、どちらからいらっしゃいましたの?」


「遠くからだ」


「まあ、旅の方でいらっしゃいますか。カルディアは初めてですか?」


「質問が多いな」


「失礼いたしました。ただ、これほどの腕を持つ錬金術師の方にお会いできる機会は滅多にございませんもので」


オーグリの冷淡な返答に、彼女は何一つ得ることができなかった。


やがて、ベアトリスは諦めたように微笑んだ。


「お客様」


懐から、一枚の紙製のカードを取り出した。カードには、「アウレウム」競売所の紋章——黄金の天秤が刻まれている。


「こちらは、『アウレウム』競売所の貴賓カードでございます。このカードをお持ちいただければ、フェルヒナー家が運営する全ての競売所で、貴賓としてのおもてなしを受けられます。また、競売の手数料も、通常の一割から二分に引き下げられます」


レオンは眉を上げた。


先ほどの無駄話よりも、こちらの方がよほど価値がある。


少し考えた後、手を伸ばしてカードを受け取った。


その瞬間——


カードの表面に、淡い光が浮かび上がった。


魔法の文字が、次々と現れていく。


『所持者情報:

 名前:——

 年齢:14歳

 魔力等級:二つ星後期

 職業:——』


レオンの心臓が、凍りついた。


——しまった!


このカードには、触れた者の情報を読み取る魔法が仕込まれていた。


咄嗟に、レオンはカードを懐に押し込んだ。ローブの袖で隠すように。


だが、一瞬だけ——ベアトリスの紫の瞳が、カードの表面を見た。


「14歳……?」


ベアトリスの目が、わずかに見開かれた。


『小僧、まずいぞ。見られた』


オーグリの声が、焦りを帯びて響いた。


レオンは内心で舌打ちした。


——この女狐め。最初からこれが狙いだったか。


だが、ここで動揺を見せるわけにはいかない。


「……何か問題でも?」


オーグリの声が、冷淡に響いた。


ベアトリスは一瞬、何かを言いかけた。だが、すぐに口を閉ざした。


紫の瞳が、計算高く光る。


十二歳。枯れた老人の声。そしてエーテル液を調合できる腕前。


何かがおかしい。だが、それを追及するのは危険だ。


「いいえ、何でもございません」


ベアトリスは微笑んだ。だが、その目には隠しきれない好奇心が宿っていた。


その時、一人の侍従が駆け込んできた。手には、翠緑色のカードを持っている。


「ベアトリス様、手続きが完了いたしました」


侍従からカードを受け取り、ベアトリスはレオンに差し出した。長い手袋に包まれた指が、優雅にカードを差し出す。


「お客様、エーテル液は六千金貨で落札されました。手数料二分を差し引いた残りが、このカードに入っております。商業ギルドに加盟している金融機関であれば、どこでも引き出し可能でございます」


レオンは今度は慎重に、カードの端だけを摘んで受け取った。


五千八百八十金貨。


これだけあれば、しばらくは材料に困らない。


「もう行っていいか?」


「はい、もちろんでございます」


ベアトリスは微笑んだ。紫の瞳が、名残惜しそうにレオンを見つめる。


「今後、また魔薬を競売にかける機会がございましたら、ぜひ『アウレウム』競売所をご利用くださいませ。私が直接、対応させていただきます」


「ああ」


素っ気なく返事をして、レオンは立ち上がった。


振り返ることなく、部屋を出ていく。黒いローブの裾が、ひらりと揺れた。


◆◇◆


レオンの姿が消えた後、ベアトリスの顔から笑みが消えた。


優美な眉をひそめ、椅子にもたれかかった。紫紺のドレスの曲線美を惜しげもなく晒しながら、物思いに沈む。


「十二歳……」


ベアトリスは呟いた。


「あのカードは確かに、十二歳と表示していた。でも、あの声は枯れた老人のもの。そして、エーテル液を調合できる腕前……」


「お嬢様」


ハインリヒが、厳しい声で言った。


「深入りは危険です」


「分かっているわ。でも、気になるのよ」


ベアトリスは窓の外を見つめた。


「あの方は、一体何者なの?」


「それは私にも分かりません。ですが、一つだけ確かなことがあります」


ハインリヒの声が、低くなった。


「あの方を敵に回してはなりません」


「どういうこと?」


「エーテル液を調合できるということは、少なくとも四級以上の錬金術師だということです。そして四級以上の錬金術師は——」


ハインリヒは言葉を区切った。


「——『錬金殿』の庇護を受ける資格があります」


ベアトリスの顔色が、わずかに変わった。


錬金殿。


エルシア大陸に存在する、錬金術師たちの組織だ。


表向きは、錬金術師たちの互助組織に過ぎない。だが、その実態は——エルシア大陸の裏側を支配する、最も恐ろしい勢力の一つだ。


錬金殿に所属する錬金術師は、エルシア大陸全土で特別な保護を受ける。彼らを害する者は、錬金殿の報復を受けることになる。


そしてその報復は——容赦がない。


「数十年前、オルハイム王国で名を馳せていたグレイシア家は、『薬聖』と呼ばれた錬金術師ヴォルフガングの処方を狙いました」


ハインリヒは声を落とした。


「結果、錬金殿はヴォルフガングの訴えを受け、四人の六つ星魔法師を派遣しました。グレイシア家は、一夜にして根絶やしにされました。この件には、王国の王室でさえ口を挟めませんでした」


「グレイシア家……聞いたことがあるわ。かつては伯爵家だったのに、今は跡形もない……」


「はい。錬金殿は、自らの仲間を守るためなら、どんな手段も厭いません。貴族だろうが、王族だろうが、関係ありません」


ハインリヒの目が、窓の外を見つめた。


「錬金術師というのは、蜂の巣のようなものです。一度刺激すれば、数え切れないほどの仲間が飛んできます。そして錬金殿には、多くの強者が恩を売る機会を待っています。彼らの作る魔薬や魔法具は、どんな貴族の財宝よりも価値がありますからな」


ベアトリスは唇を噛んだ。


「つまり、あの方を追及するのは……」


「自殺行為です。たとえフェルヒナー家の力をもってしても、錬金殿を敵に回すのは賢明ではありません」


ハインリヒの必死の様子を見て、ベアトリスは苦笑した。


白い額を揉みながら言った。


「ハインリヒ様、何を言っているの。私があの方を狙っているとでも? この数年、私が何も学んでいないとお思いですか」


「お嬢様を疑っているわけではありません。ただ、念のため申し上げただけです」


ハインリヒはほっと息をついた。この令嬢が、何か愚かなことをしでかすのではないかと本気で心配したのだ。


ベアトリスは小さく唇を尖らせ、手袋に包まれた手で頬杖をついた。


小さく溜息をつく。


「錬金術師、か……本当に恐ろしい人たちね。錬金殿に守られているなんて……」


窓の外を見つめる。夕暮れの光が、街並みを茜色に染めていた。


黒ローブの人物が去った方向を、じっと見つめていた。


あの人物は、一体何者なのだろう。


枯れた老人の声と、十二歳の少年。


そして、千年前に失われたはずのエーテル液の処方を持っている。


謎だらけだ。


だが、深入りは危険だ。錬金殿を敵に回すわけにはいかない。


ベアトリスは首を振り、立ち上がった。紫紺のドレスの裾が、優雅に揺れた。


「さて、仕事に戻りましょう。今日の売り上げをまとめないと」


彼女の背後で、ハインリヒがほっと胸を撫で下ろしていた。


◆◇◆


競売所を出たレオンは、人気のない路地に入り、黒ローブを脱いだ。


夕暮れの風が、汗ばんだ肌を撫でる。赤煉瓦の壁が、夕日に照らされて赤く輝いていた。


「危なかった……」


レオンは呟いた。


『ああ、あの女狐め。貴賓カードに情報読み取りの魔法を仕込んでいたとはな』


オーグリの声が、苛立ちを帯びていた。


『油断した。千年も生きていながら、こんな小細工に引っかかるとは……老いぼれも焼きが回ったか』


「十二歳という情報は見られた。でも、名前は表示されなかった……よな?」


『ああ。あのカードの魔法は、名前や職業までは読み取れなかったようだ。だが、十二歳という年齢は見られた。あの女は、今頃頭を悩ませているだろう』


「まあ、十二歳の錬金術師なんて、普通はあり得ないからな。信じないかもしれない」


『そうだといいがな。だが、今後はもっと慎重にしろ。あの女の目は、獲物を狙う蛇のようだった。油断すれば、何を嗅ぎ取られるか分からん』


「ああ、分かってる」


レオンは懐から、二枚のカードを取り出した。


貴賓カードと、翠緑色の金銭カード。


「五千八百八十金貨、か……」


『ふむ、危ない橋を渡ったが、収穫は悪くないな』


オーグリが言った。


『これだけあれば、最高品質の材料を揃えても、まだ余りがある。しばらくは修行に専念できるぞ』


「ああ」


レオンは頷いた。


だが、心の中には、まだ引っかかるものがあった。


父のことだ。


エーテル液を六千金貨で落札した父。


スキル書を手に入れようと、八十五万金貨まで競り上げた父。


そして、敗北した時に呟いた言葉。


「レオン……すまない……」


父は、自分を見捨てていなかった。


出来損ないと呼ばれる四男のために、家を傾けてでも、助けようとしていた。


胸が熱くなった。


「……いつか、必ず」


レオンは呟いた。


「自分の力で、父上に恩を返す」


『ふむ、良い心がけだ』


オーグリが静かに言った。


『だが、まずは目の前のことに集中しろ。二週間後の家族魔闘会だ。オースティンを倒さなければ、何も始まらない』


「分かっている」


レオンは顔を上げた。


目の前には、夕日に染まった街並みが広がっている。石畳の道が、茜色の光を反射していた。遠くで、教会の鐘が夕暮れを告げている。


二週間後——


オースティンを倒す。



【続く】

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