第41話 黒衣の客
競売場。
フェルディナス最大の競売会場——「アウレウム」競売所。
オルハイム王国の商業ギルド連盟が認可した、由緒ある競売機関だ。その歴史は百五十年以上前に遡る。
当時、フェルディナスはまだ小さな交易都市に過ぎなかった。だが、エルザ大陸の東西を結ぶ街道の要衝に位置していたため、次第に商人たちが集まるようになった。
「アウレウム」競売所の前身は、商人たちが自然発生的に始めた青空市場だった。やがて、取引の公正さを保つために、商業ギルドが管理する常設の競売場が設けられた。それが「アウレウム」競売所の始まりだ。
「アウレウム」とは、古代エルザ語で「黄金」を意味する。かつてこの地で金鉱が発見されたことに由来するという説もあれば、競売所の創設者が「黄金のように価値ある取引を」と願いを込めて名付けたという説もある。
現在、「アウレウム」競売所はフェルヒナー家が運営している。フェルヒナー家は代々、商業ギルドの有力な一族であり、競売所の運営権を三代にわたって受け継いでいる。
……
通りの先に聳える巨大な会場を眺めながら、レオンは足を止めた。
「アウレウム」競売所の建物は、赤煉瓦と白い石灰岩で造られた三階建ての堅牢な建造物だ。正面の入り口上部には、天秤を持つ商神メルクリウスの浮彫が刻まれている。その下には「アウレウム競売所 誠実・公正・信用」と刻まれた銅板が掲げられていた。
入り口の両脇には、商業ギルドの旗が翻っている。青地に金色の天秤——商人たちの誇りと信用の象徴だ。
建物の側面には、大きな掲示板が設置されていた。本日の競売品目と開催時間が、羊皮紙に書かれて貼り出されている。
『小僧、どうした』
「いや……少し考えていた」
レオンは人気のない路地に身を滑り込ませた。
『何を考える必要がある。さっさと売ってこい』
「そう簡単にはいかない」
レオンは懐から、先ほど購入した黒いローブを取り出した。
「エーテル液を売れば、注目を集める。侯爵家の出来損ないが錬金術師の真似事をしているなんて知られたら、面倒なことになる」
『ふむ……それもそうだな』
「だから、変装する」
黒いローブを素早く身に纏う。大きなローブが垂れ下がり、レオンの容貌も、少年の細身の体型も、すっぽりと隠れた。
『それだけで大丈夫か? 声でバレるぞ』
「だから、お前に喋ってもらう」
『……なるほど。老いぼれの声を使うわけか』
「ああ。俺が口を動かしたら、お前の声が出るようにしてくれ」
『簡単だ。やってみろ』
レオンは軽く咳払いをした。
「テスト」
——声が出た。
だが、レオンの声ではない。枯れた老人の声だ。
「……いけるな」
『当然だ。千年前の大錬金術師を誰だと思っている』
「はいはい」
身形を確認し、レオンは路地を出た。
◆◇◆
競売所の入り口には、革の鎧を纏った護衛が数人立っていた。
胸元には、商業ギルドの徽章が付けられている。冒険者ギルドから派遣された警備員だろう。鋭い目つきでレオンを見るが、彼は足を止めずにそのまま中へと入った。
会場に一歩入ると、木材と蜜蝋の匂いが鼻をくすぐった。床は磨き上げられた樫の板張りで、壁には燭台が等間隔に並んでいる。昼間だというのに、窓から差し込む光だけでは足りないのか、いくつかの蝋燭が灯されていた。
『ふむ、なかなか立派な建物だな。百五十年の歴史というだけのことはある』
オーグリが脳内で呟いた。
ホールの中央には、大きな掲示板が設置されていた。
本日の競売品目と開催時間が、羊皮紙に書かれて貼り出されている。
『定期競売——午後二時より 第一競売室
出品予定:魔剣「氷牙」、古代魔導書(断片)、霊薬各種、魔石原石……』
『特別競売——午後六時より 大競売室
出品予定:希少防具「竜鱗の盾」、五つ星魔獣の核……』
『持込競売——随時受付 鑑定室にて
品物を持ち込み、即日競売可能』
「アウレウム」競売所では、三種類の競売が行われている。
定期競売は、毎日決まった時間に開催される通常の競売だ。事前に出品登録された品物が、順番に競りにかけられる。
特別競売は、月に数回だけ開催される大規模な競売だ。希少な品物や、高価な品物が出品される。参加には事前登録と保証金が必要となる。
持込競売は、品物を持ち込んだその日のうちに競売にかけることができるシステムだ。急ぎで現金が必要な者や、身元を明かしたくない客に利用されている。手数料は通常より高めだが、匿名での出品も可能だ。
レオンは周囲を見回し、「鑑定室」と書かれた扉を見つけた。
競売に出品する前に、品物の真贋と価値を鑑定してもらう必要がある。偽物や盗品を排除するためだ——「アウレウム」競売所の信用は、この厳格な鑑定システムによって支えられている。
扉を叩く。
「どうぞ」
中から声がした。扉を押して入る。
◆◇◆
鑑定室は、意外と簡素な部屋だった。
中央に大きな樫のテーブルがあり、その上には様々な鑑定道具が並んでいる。魔力を測定する水晶球、真贋を見分ける鑑定眼鏡、呪いを検知する銀の針——どれも高価な品だ。
壁際には、書架が並んでいた。魔法具の図鑑、霊薬の百科事典、魔獣素材の相場表……鑑定に必要な資料が揃っている。
部屋の奥には、一人の中年の男がテーブル脇の椅子に座っていた。羽ペンを手に、帳簿に何かを書き込んでいる。
扉の音を聞いて顔を上げ、全身を黒いローブで包んだ人影を見た。
一瞬、眉をひそめる。
——怪しい客だ。
だがすぐに、職業的な笑顔を浮かべた。「アウレウム」競売所には、様々な客が来る。身元を隠したい者も少なくない。いちいち気にしていては、商売にならない。
「いらっしゃいませ。鑑定をご希望ですか?」
「ああ」
枯れた老人の声が、ローブの下から響いた。
レオンは二歩前に進み、懐から魔薬瓶を取り出した。
翠緑色のガラス瓶だ。魔力を保存するための特殊な素材で作られている。中には、淡い緑色の液体が揺れている。
テーブルの上に、そっと置く。
「……これは?」
中年の男は魔薬瓶を手に取り、瓶口で軽く匂いを嗅いだ。
その瞬間、目が見開かれた。
「お、お客様……これは……」
「エーテル液だ」
「エーテル液……!?」
中年の男の声が上ずった。
エーテル液。
その名は、彼も聞いたことがある。千年前の伝説の錬金術師が考案したとされる、幻の霊薬だ。魔力回路の損傷を修復し、魔力の成長を促進する効果があるという。
だが、処方は失われたはずだ。現存するエーテル液など、聞いたことがない。
「本物、ですか……?」
「本物かどうかは、お前たちが鑑定すればいい」
「は、はい……少々お待ちください! すぐに上席鑑定士をお呼びします!」
中年の男は慌てて立ち上がり、部屋を飛び出していった。




