第33話 残酷な修行
清晨。
薄い霧が離れの庭を包んでいた。夜明け前の冷たい空気の中、レオンは庭の片隅に立っていた。
上半身は裸。下は短い褌だけ。
肌には、無数の青紫色の痣が浮かんでいた。
『もう一度だ』
オーグリの声が響く。
次の瞬間——
「っ!」
淡い光の鞭が、レオンの背中を打った。
激痛が走った。まるで焼けた鉄を押し当てられたような痛み。歯を食いしばり、膝が震える。だが、倒れるわけにはいかない。
足を地面に踏ん張り、爪先で土を掴む。
「ふぅ……ふぅ……」
荒い呼吸を整える。額から冷や汗が流れ落ちた。
『悪くない。今のは三十七回目だ。一週間前は十二回で倒れていたな』
オーグリは淡々と言った。
ゴールデンフォームの修行は、想像以上に過酷だった。
まず、光暗系と力場系の基礎を叩き込むため、オーグリは独自の方法を取った。
——魔力の鞭で打つ。
オーグリ曰く、魔力を直接体に受けることで、その系統の「感覚」を体に染み込ませるのだという。
力場系の鞭は、空間を歪める力を帯びている。
光暗系の鞭は、光の魔力を凝縮したものだ。
この二つを交互に受けることで、レオンの体は徐々に力場系と光暗系の魔力に慣れていく。
——理屈は分かる。だが、痛いものは痛い。
『ゴールデンフォームを習得するには、三つの系統を同時に操る感覚が必要だ。頭で理解するだけでは足りん。体に染み込ませろ』
「分かって……いる……」
レオンは歯を食いしばった。
『よし、続けるぞ』
オーグリの手から、また光の鞭が飛んだ。
「っ——!」
背中に新たな痣が刻まれる。
激痛の中、レオンは意識を集中させた。
痛みの奥に、微かに感じる——光の魔力の流れ。
鞭が体を打つたびに、光暗系の魔力が一瞬だけ体内に侵入してくる。その感覚を掴め、とオーグリは言った。
最初は何も分からなかった。ただ痛いだけだった。
だが、一週間経った今、少しずつ分かってきた。
光の魔力は、熱くもなく冷たくもない。だが、鋭い。針のように細く、速い。
「もう……一回……」
レオンは自ら求めた。
『その意気だ』
オーグリは満足そうに笑い、再び鞭を振るった。
◆◇◆
バシッ——
四十二回目の鞭が背中を打った時、レオンの膝が折れた。
どさりと地面に倒れ込む。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
荒い呼吸。全身が痛みで痺れている。指一本動かすのも辛い。
『四十二回か。悪くない』
オーグリの声が降ってきた。
『一週間前は十二回、三日前は二十八回、今日は四十二回。順調に成長している』
「順調……と言えるのか……これが……」
レオンは苦笑した。全身に刻まれた痣の数は、もう数えきれない。
『当然だ。普通の方法なら、光暗系と力場系の感覚を掴むのに数ヶ月かかる。だが、この方法なら——』
「一ヶ月で……済む……と」
『そうだ。痛みを代償に、時間を買っている。お前に選択肢はないだろう?』
「ああ……ない……」
レオンは這うようにして体を起こした。
二ヶ月後の家族魔闘会まで、あと一ヶ月半。
悠長に修行している暇はない。
『さあ、早く部屋に戻れ。エーテル液に浸かって体を回復させろ。体内に溜まった瘀血を放置すると、重傷になるぞ』
「分かって……いる……」
レオンはよろよろと立ち上がり、離れの自室へと向かった。
◆◇◆
部屋に戻ると、レオンは窓と扉を閉め、すぐに服を脱ぎ捨てた。
部屋の隅には、翡翠色のエーテル液を湛えた木桶が置いてある。
レオンは手足を使って木桶に飛び込んだ。
ザブン——
「っ——!」
冷たいエーテル液が、痣だらけの肌に触れた瞬間、背筋が震えた。
だが、すぐに——
「はぁ……」
心地よさが全身に広がった。
エーテル液の冷たさが、火照った体を鎮めていく。痛みが少しずつ引いていく。まるで、傷口に薬を塗られているような感覚。
レオンは木桶の縁にもたれかかり、目を閉じた。
「ふぅ……」
荒い呼吸が、徐々に穏やかになっていく。
疲労が全身を覆い、意識がぼんやりとしてきた。
精神と肉体の二重の疲労。もう限界だった。
いつの間にか、レオンは深い眠りに落ちていた。
◆◇◆
眠っている間、翡翠色のエーテル液は静かに揺らめいていた。
エーテル液から立ち上る淡い気流が、レオンの全身に開いた毛穴から体内に染み込んでいく。
痣を癒し、疲労を取り除き、同時に——魔法回路を修復し、強化していく。
エーテル液の色は、少しずつ薄くなっていった。
レオンの体が、薬効を吸収している証拠だ。
眠りは続き、強化も静かに進んでいく。
◆◇◆
目を覚ました時、窓から差し込む光は、すでに午後のものになっていた。
「ん……」
レオンは大きく伸びをした。全身の骨がポキポキと鳴る。
体が軽い。
痛みはほとんど消えていた。痣も、薄くなっている。
「エーテル液の効果か……」
木桶の中を見ると、翡翠色だったエーテル液が、ほとんど透明になっていた。薬効を吸収しきったのだ。
「また材料を買い足さないとな……」
金が必要だ。エーテル液の材料は高い。このペースで使い続ければ、手持ちの金はすぐに底をつく。
だが、今はそれより——
レオンは目を閉じ、体内の状態を確認した。
魔法回路の状態。魔力の流れ。
しばらく集中し、やがて目を開けた。
「……二つ星の後期、か」
修行を始めてから三週間。
最初は二つ星の初期だった。それが今、後期まで回復している。
『悪くないペースだ』
オーグリの声が響いた。
『このまま行けば、あと三週間で三つ星に届く。家族魔闘会までに、三つ星の中期か後期にはなれるだろう』
「三つ星か……エイドリアンは四つ星だ。まだ足りない」
『だから、ゴールデンフォームで補うんだ。魔力量で劣っても、技術で勝てばいい』
レオンは頷いた。
木桶から出て、体を拭く。
窓の外を見ると、午後の日差しが庭を照らしていた。
「さて——」
レオンは左手を持ち上げた。
掌に意識を集中させる。
三週間の修行で、光暗系と力場系の感覚は、少しずつ掴めてきた。
オーグリの魔力の鞭を受け続けた成果だ。
光を生み出す感覚。
空間を固定する感覚。
そして、自分の得意な変化系で、硬度を変える感覚。
この三つを、同時に——
掌に、淡い金色の光が現れた。
三週間前より、明らかに強い。小石程度だった光が、今は拳ほどの大きさになっている。
「まだ弱いな……」
『当然だ。まだ三週間だぞ。焦るな』
レオンは光を見つめた。
この光を、もっと強く、もっと硬く、もっと自在に操れるようになれば——
「明日も、鞭打ちか?」
『当然だ。まだ五十回も耐えられていないだろう。百回耐えられるようになるまで、続けるぞ』
レオンは苦笑した。
「地獄だな」
『地獄を抜けた先に、勝利がある。覚悟はできているだろう?』
「ああ」
レオンは掌の光を消した。
窓の外では、夕日が沈み始めていた。
明日も、地獄の修行が待っている。
だが、退くつもりはなかった。
二ヶ月後、すべてを見返すために——
【続く】




