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第25話 四十三枚の金貨


「そのエルフ——いくらで売る?」


レオンの言葉に、その場にいた全員が凍りついた。


レイノルドは数秒間呆然とし、自分の耳を疑った。


「……何だと?」


「だから、そのエルフ奴隷、いくらで売るのかと聞いている」


レオンは同じ言葉を繰り返した。その口調は、朝餉の献立でも尋ねるかのように力みがない。


だが——その目は、笑っていなかった。


さっき見た光景が、脳裏にこびりついている。


人混みをかき分けてここに来る途中、レオンはすべてを見ていた。レイノルドが縄を乱暴に引き、エルフの少年が石畳に膝をついて倒れる姿を。少年が小さく呻きながらも、声を上げずに立ち上がる姿を。そしてレイノルドが、まるで路傍の石ころでも蹴るように、少年の体を足で小突く姿を。


——あの野郎。


腹の底で、冷たい怒りが渦巻いていた。


『おいおい、レオン』


オーグリの声が、脳裏に響いた。


『まさか、あのエルフの小僧を買うつもりか?』


『……ああ』


『ほう』


オーグリは少し黙った後、愉快そうに笑った。


『いいじゃないか。儂も、あの下品な男の顔は気に入らんかったところだ。エルフを蹴り飛ばして喜んでおる姿など、見ていて虫唾が走る』


『……意外だな。反対するかと思った』


『馬鹿を言うな』


オーグリは鼻を鳴らした。


『儂は合理的な判断を重んじるが、外道を見過ごせというつもりはない。それに——』


彼の声が、少し柔らかくなった。


『あの子供の目、お前も気づいたろう? 七年間、鏡の中で見続けてきた目と同じだ』


レオンは答えなかった。だが、その沈黙が答えだった。


『やれやれ、お人好しめ』


オーグリはため息をついた。だが、その声には呆れよりも、どこか温かみがあった。


『で、金はあるのか? まさか口先だけで買えるとでも?』


『四十三枚ある』


『五十金貨には足りんな』


『なんとかする』


『ほう?』


オーグリが興味深そうに言った。


『まあいい。お手並み拝見といこうか』


エヴィルは驚いてレオンを見た。彼の目が、いつもと違う。穏やかな碧い瞳の奥に、氷のような光が宿っている。



◆◇◆



奴隷——ルーナ帝国では「話す道具」と呼ばれる存在だ。


牛や馬が「鳴く道具」、鋤や鍬が「黙った道具」であるならば、奴隷は「話す道具」に過ぎない。この呼び方が、帝国における奴隷の地位を端的に示している。


帝国法によれば、奴隷は主に四種類に分類される。奴隷の母から生まれた「生来奴隷」、借金を返済できなくなった「債務奴隷」、重罪を犯した「罪人奴隷」、そして戦争で捕らえられた「戦俘奴隷」だ。


エルフは、ほぼ例外なく最後の分類に属する。百年前の大戦以降、捕らえられたエルフは戦利品として奴隷市場で競売にかけられてきた。彼らには人格が認められず、法的には「物」として扱われる。主人は自由に売買し、罰し、殺すことさえできる。


教養ある奴隷は家庭教師や帳簿係として重用されることもあるが、何の技能も持たない奴隷は鉱山や採石場に送られ、二年と生きられない。


——あの子供も、そうなるのか。


レオンは目の前のエルフの少年を見た。


銀白色の髪。尖った耳。そして——希望を失った、死んだような目。


さっき倒れた時、膝から血が滲んでいた。それでも少年は声一つ上げなかった。痛みを訴えることすら、諦めているのだ。


「五十金貨か」


レオンは静かに言った。


「買った」



◆◇◆



笑い声がぴたりと止まった。


レイノルドは目を見開き、顔に張り付いた笑みがそのまま凍りついた。


「な、何だと……?」


「五十金貨で買うと言ったんだ。聞こえなかったか、レイノルド様?」


「き、貴様——!」


レイノルドの顔が怒りで紅潮した。


「私を愚弄しているのか?! 貴様のような出来損ないに、五十金貨など払えるわけが——」


「払えるかどうかは、試せば分かることだ」


レオンは淡々と言った。


「だが、その前に一つ確認しておきたい。このエルフ奴隷、正規の手続きで購入したものだろうな?」


レイノルドの顔がぴくりと引きつった。


「な、何の話だ……?」


「ルーナ帝国の『奴隷法』によれば、戦俘奴隷の売買は官許の奴隷市場で行わなければならない。売買の際には、奴隷の出自と健康状態を記録した証書を作成し、市場管理官の署名を得る義務がある」


レオンはゆっくりと言葉を紡いだ。


「もし正規の購入証書がなければ、それは『違法取得』だ。窃盗と同じ扱いになる」


「帝国法によれば、奴隷の違法取得は、軽くて奴隷価格の四倍の罰金。重ければ——」


彼は一拍置いて、口元にかすかな笑みを浮かべた。


「鉱山送りだ。奴隷として、な」


レイノルドの顔から、一瞬で血の気が引いた。


「で、出鱈目を言うな! 購入証書ならちゃんとある!」


「そうか? なら、今ここで見せてもらえるか?」


「そ、それは……」


レイノルドの額に冷や汗が浮かんだ。購入証書は確かにある。だが、そんなものは家に置いてあるに決まっている。誰がわざわざ持ち歩くというのだ?


「見せられないのか。それは困ったな」


レオンは残念そうに首を振った。


「き、貴様——!」


レイノルドは怒りで全身を震わせたが、何と言い返せばいいのか分からなかった。この出来損ないの坊ちゃまが、いつの間にこんな弁舌の立つ男になったのだ?


「もっとも——」


レオンは話の流れを変えた。


「この奴隷を俺に売ってくれるなら、今日のことは見なかったことにしてもいい。俺たちは同じカルディア町の名家の子息だ。顔を合わせる機会も多いのだから、関係をこじらせる必要もないだろう?」


レイノルドの顔は、青くなったり白くなったりを繰り返した。レオンが自分を脅しているのは分かっている。だが反論のしようがなかった。本当に役所に訴えられたら、最終的に潔白を証明できるとしても、その過程での面倒は計り知れない。ましてや父は最近、大きな商談を進めているところだ。こんな時に余計な波風を立てることは、絶対に望んでいないはずだ。


「貴様——!」


レイノルドは歯を食いしばった。


「いいだろう、売ってやる! 五十金貨だ、一銭もまけないからな!」


「商談成立だ」


レオンは微笑んだ。


彼は懐に手を入れ、一つの金袋を取り出した。そして——その金袋を、高く放り投げた。金貨が陽光の下で燦然とした弧を描き、ばらばらと散らばっていく。


「受け取れ」


レイノルドと従者たちは、思わず視線を上げて金貨を追った。


その一瞬——レオンは動いた。


片手でエヴィルの手首を掴み、もう片方の手でエルフの少年の腕を引く。少年の腕は驚くほど細く、軽かった。まともに食事を与えられていないのだろう。


「走れ!」


「えっ?!」


エヴィルは何が起きたのか理解する前に、レオンに引きずられて走り出していた。エルフの少年も、茫然としたまま足を動かしている。


「ルオシー、ついて来い!」


「は、はいっ!」


ルオシーは一瞬呆然としたが、すぐにスカートの裾を持ち上げ、小走りで後を追った。


レイノルドが我に返った時には、レオンたちはすでに人混みの中に飛び込んでいた。


「貴様——! 待て!!」


レイノルドの顔は怒りで真っ赤になった。


「追え!! あの出来損ないを捕まえろ!!」


彼は足元で金貨を拾おうとしている従者を蹴り飛ばした。


「金なんかどうでもいい! 早く追え!!」


「は、はい!」


従者たちは慌てて立ち上がり、レオンが消えた方向に駆け出した。


だが、坊市の内環区は人で溢れかえっている。しかも坊市の規則により、走って人にぶつかれば罰金を取られる。押し合いへし合いしながら人混みをかき分けた頃には、レオンたちの姿はどこにもなかった。


「くそっ——!!」


レイノルドは地面を踏みつけた。


「セレストーム家の出来損ないが——!!」


「覚えていろ——!!」



◆◇◆



坊市の片隅、細い路地裏。


レオンはエヴィルとエルフの少年を連れて、薄暗い路地に身を潜めていた。


「はぁ……はぁ……」


エヴィルは息を切らせながら、真っ赤な顔でレオンを見上げた。


「レ、レオン兄さん……どうして、いきなり走り出したの……」


「走らなきゃ、あいつが正気に戻っただろう」


レオンは壁に背をつけ、同じく肩で息をしていた。魔力は回復しつつあるが、体力はまだまだだ。


「で、でも……さっき投げた金貨……」


「四十三枚だ」


レオンは肩をすくめた。


「ティモシー兄さんに借りた四百金貨の残りだよ。材料を買ったら、あれだけしか残らなかった」


「……」


エヴィルは言葉を失った。


「五十金貨には足りなかったからな。どうせなら、囮に使った方がいいだろう?」


「……それ、詐欺じゃないの?」


「詐欺?」


レオンは首を傾げた。


「あいつ自身が言ってただろう。あのエルフは廃棄品レベルで、せいぜい三十金貨の価値しかないって。俺は四十三枚渡したんだ。むしろ多く払ってる」


「……」


エヴィルは完全に言葉を失った。


それは多く払ったとかそういう問題じゃないでしょう——と言いたかったが、口にする気力もなかった。


ふと、彼女の視線がエルフの少年に移った。


少年はずっと俯いたまま黙っていた。だが、ボロ布の裾を握りしめた両手が、小刻みに震えているのが見えた。


「おい」


レオンが少年の前にしゃがみ込んだ。視線の高さを合わせ、静かに問いかける。


「名前は?」


少年がゆっくりと顔を上げた。


淡い金色の瞳が、レオンを映している。さっきまで何も映していなかったその目に、今はかすかな光が宿っていた。戸惑いと、警戒と、そして——ほんの少しの、希望。


少年は唇を開いた。かすれた、小さな声が漏れる。


「……シル」


「私の名前は……シル」



【続く】


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