第19話 初代的指引
この夜の書斎の中で、レオンは魔法の光に照らされながら、静かに壁の肖像画を見上げていた。
一人と一枚の絵が、短い沈黙に包まれる。しかし、油絵の中の初代当主から返答はない。
レオンは深く息を吐いた。話すことができない存在とどう意思疎通を図るのか。
彼は部屋を見回した。母の書斎——いや、魔法研究室。ここには何百もの魔法書、実験道具、触媒が揃っている。
ふと、書机の上に目が留まった。羽根ペンとインク瓶。そして羊皮紙。
「もし意思があるなら」レオンは羊皮紙を一枚取り、肖像画の前の床に広げた。「これを使えますか?」
彼はインク瓶と羽根ペンを羊皮紙の横に置いた。
油絵の中の目が、わずかに動いた。視線が羊皮紙に注がれる。
しかし何も起きない。
レオンは考えた。絵の中の存在は実体を持たない。物理的に物を動かすことはできないのだろう。では——
「魔力で動かせますか?」
彼は自分の魔法杖を取り出し、簡単な浮遊魔法の呪文を唱えた。羽根ペンがふわりと浮き上がる。
「私が魔力を貸します。あなたがそれを制御してください」
油絵の中の目が光った。
次の瞬間、浮遊していた羽根ペンが突然動き始めた。レオンの制御を離れ、まるで見えない手に握られているかのように、インク瓶に浸り、羊皮紙の上を滑り始める。
カリカリと、古い羊皮紙にインクが染み込む音。
やがて羽根ペンが止まり、床に落ちた。
レオンは羊皮紙を拾い上げた。
そこには一行の文字が書かれていた。
『母君の遺した鍵を持て。この部屋の"欠けたもの"を探せ』
鍵?
レオンは懐に手を入れた。老執事から受け取った、この庭園の鍵。しかしこれは既に使った。他に——
待て。
彼は鍵をよく観察した。真鍮製の古い鍵。柄の部分に細かな紋様が刻まれている。そして鍵の先端には小さな穴が空いていた。
まるで、何かをはめ込むような。
「欠けたもの……」
レオンは部屋を注意深く観察し始めた。
本棚、実験道具、魔法陣の図、展示棚の骨董品。母が生前大切にしていたものたち。しかし何が"欠けている"のか。
彼は壁に刻まれた魔法陣の図に近づいた。巨大な銀色の魔法陣。複雑な紋様と符文。淡い光を放っている。
レオンは息を呑んだ。
この魔法陣——中心部分が空白になっている。
いや、正確には"くり抜かれている"。円形の、何かをはめ込むための窪み。
彼は鍵を魔法陣に近づけた。鍵の先端の穴と、魔法陣の窪みの大きさ——一致する。
しかし、何をはめ込むのか。
レオンは展示棚に視線を移した。歴代の魔法道具が並ぶ棚。古い魔法杖、触媒、占いの水晶球、ミスリルの腕輪……
その中で、一つだけ空の台座があった。
台座には小さな銘板が付いている。
『星導石——母エリーゼ・セレストームより受け継ぐ』
星導石。母から受け継いだ宝石。
レオンは記憶を辿った。母の遺品。葬儀の後、祖父から渡されたもの。小さな青い宝石。彼はそれを自室の引き出しに——
いや、違う。
彼は首元に手を伸ばした。シャツの下に隠したペンダント。そういえば、数日前にふと思い立って身につけていた。
銀の鎖に吊るされた、小指の爪ほどの青い宝石。
レオンはペンダントを外し、宝石を見つめた。星のように輝く青い光。
彼は宝石を鍵の先端の穴に押し込んだ。
カチリ。
完璧にはまった。
鍵と宝石が一体化し、淡い青い光を放ち始める。
レオンは魔法陣の中心に歩み寄り、その鍵を窪みに差し込んだ。
瞬間、魔法陣全体が激しく輝き始めた。
銀色の光が部屋中に満ち、符文が一つずつ明滅する。そして——
ゴゴゴゴゴ……
床が震えた。
魔法陣の描かれた壁全体が、ゆっくりと横にスライドし始める。その奥から、冷たい空気が流れ出てきた。
隠し通路。
石造りの階段が、螺旋を描きながら地下へと続いていた。
レオンは鍵を抜き取り、改めて肖像画を見た。油絵の中の初代当主が、静かに微笑んでいる。
『行け』
声は聞こえない。しかし、その眼差しがそう告げていた。
「母が残した答えは、ここにあるのですね」
レオンは魔法杖を構え、光を灯した。そして深く息を吸い、隠し通路へと足を踏み入れた。
古い石の匂い。湿った空気。そして奥底から漂う、微かな魔力の波動。
階段は深く、深く続いていた。
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