第129話 質問壁の答え
「金貨五百枚は大きい。——だけど」
マルガレーテは壁の向こうを一瞥した。質問壁の部屋。四百年の難問に三行で答えた少年の処方箋だ。
「試す価値はある。条件を修正させて」
「聞こう」
「前金は三百枚。残り二百は処方箋の検証後。品質認定と流通は認めるが、認定基準は協会が設定。輸送費は実費負担」
『妥当だ。飲め』
「わかった」
「それから——シュテルンモースの七掛け供給で浮いた分のうち一割を、若手錬金術師の育成基金に回しなさい」
レオンは考えた。利幅に影響はない。
「いいだろう」
マルガレーテは手を差し出した。
「契約書は明日までに用意する。——ようこそ、錬金術師協会へ」
レオンはその手を握った。
◆◇◆
用事は済んだ。
レオンは理事室を出て、階段を降りた。一階の大広間はすでに人気がなかった。受験者たちはとうに帰り、受付の机だけが静かに残っている。
正門に向かった。白いローブが夕風に揺れる。
「レオンさん!」
背後から足音。受付の娘が小走りに追いかけてきた。
「合格証の署名がまだです! 登録簿の記入も!」
「……忘れていた」
「忘れないでください!」
レオンは足を止め、受付に戻った。帳簿に署名し、合格証に名前を書いた。この一枚の紙が——六級初級錬金術師レオン・セレストームという事実を、帝国の記録に刻む。
「はい、これで全部です。今後ともよろしくお願いいたします」
「ああ」
レオンは正門をくぐった。
夕暮れの職人区。閉じた工房が並ぶ通りに、長い影が伸びていた。
『上出来だ、小僧』
オーグリの声に、素直な響きがあった。
『前金三百に、流通と認定印。辺境に行っても帝都との繋がりを維持できる。処方箋の検証が通れば、さらに二百。シュテルンモースの継続収入も入る。悪くない布石だ』
「師匠の処方箋と、師匠の答えがなければ何も始まらなかった」
『ふん。だが交渉したのはお前だ。あの女は甘い相手ではなかった』
レオンは歩きながら頭の中で計算していた。
前金三百枚。セレーネの治療で得た報酬。これまでの蓄え。シュテルンモースの継続収入。
辺境で必要なもの——人員、鉱山の修繕、防衛、村の立て直し。
まだ足りない。だが足がかりにはなる。
二週間。帝都でできることを、すべてやる。
レオンは夕陽の差す通りを歩いていった。
◆◇◆
翌日。
マルガレーテは一人で精製台に向かっていた。
レオンが置いていった処方箋の一枚目——高純度回復薬ハイルトランク・レインの改良処方。
工程を二つ省く。配合比を変える。精製温度を五度下げる。教科書の定説に反する手順だった。
だが手を動かすほどに、マルガレーテの表情が変わっていった。
定説に反しているのではない。定説が、不完全だったのだ。
二時間後。完成品を測定器にかけた。
有効成分の純度——従来品の二・八倍。成功率——十本中九本。コスト——従来の四割。
マルガレーテは椅子にもたれた。
「……とんでもない師匠を持った子ね」
引き出しから契約書の用紙を取り出した。ペンを走らせた。
前金——金貨五百枚。全額。
検証を待つまでもなかった。




