第一話 落第
「魔力値、3! 属性、錬金系!」
鑑定の魔石碑に輝く眩しい情報を見つめ、少年は無表情のまま、唇の端に自嘲の笑みを浮かべた。握り締めた拳に爪が食い込み、鋭い痛みが走る。
やはり、3か。
五年経っても、1ポイントも上がらなかった。
「レオン・セレストーム。魔力値3、属性は錬金系……ランクはF」
魔石碑の傍らに立つ中年の魔導師は、碑に表示された情報を一瞥すると、無感情な声でそう告げた。その淡々とした声には、同情のかけらもなかった。
その言葉が落ちた瞬間、人で溢れかえる鑑定大広間が一気に騒然となった。
「魔力値3? 錬金系? ははははは、マジかよ!」
「侯爵家の四男坊が、よりにもよって錬金系の落ちこぼれだって?」
「セレストーム家って代々力場系の武勲貴族だろ? どうしてこんな……」
「うわ、侯爵様の顔……見てみろよ」
四方八方から声が押し寄せる。針で刺すような視線。嘲笑、憐憫、そして優越感。それらはまるで、高所から落下した者を見下すような目だった。
レオンはその視線の先を追った。
高台の上、父カッセルリック・セレストームは静かに座っていた。表情は平静だが、眉間には深い皺が刻まれている。怒りはない。叱責もない。ただ、深い失望だけが滲んでいた。その失望は、怒号よりも息を詰まらせる。
――五年前のあの日と、同じだ。
レオンは目を閉じた。記憶が、堰を切ったように蘇る。
七歳のあの年、彼はまだ家で最も輝かしい存在だった。五歳で魔力感知に成功し、「百年に一度の天才」と讃えられ、誰もが彼は将来力場系を覚醒し、侯爵位を継ぐだろうと断言していた。
あの頃、父は夕食時に彼の頭を撫でながらこう言っていた。
『レオン、お前はセレストーム家の誇りだ』
そして、あの日。何の前触れもなく、突然。
七歳の誕生日を迎えた翌週、魔力の成長が止まった。
病気ではない。怪我でもない。魔力暴走でもない。
ただ、成長が止まった。
魔力値3のまま、どんなに修練しても、どんな薬を使っても、1ポイントも上がらなかった。
魔法使い、錬金術師、果ては神殿の大神官まで診察のため訪れたが、誰一人として原因を突き止められなかった。
『魔力回路に異常なし』
『魔力源も健在』
『呪いの痕跡もなし』
全ての検査結果は正常。なのに、魔力は成長しない。
原因不明。それが五年間の診断結果だった。
あの日から、父の目が変わった。
期待も誇りも消え、残ったのはため息だけ。
◇
父の傍らには、長兄ティモシーが複雑な表情でこちらを見ている。ヴァレン兄とオースティン兄は、露骨に嘲笑うような笑みを浮かべ、何やら囁き合っている。
「力場系とか元素系ならともかく、錬金系って……」
「死霊系や幻術系の方がまだマシだよな。少なくともあっちは戦場で使える」
「ああ、あの五歳で魔力感知した天才坊やが、ねえ……」
「聞いた話だと、七歳のある日突然、魔力成長が止まったんだってさ。原因不明で、五年間ずっと魔力値3のまま」
「原因不明の成長停止? 呪いとかじゃないのか?」
「神殿の大神官まで調べたけど、何も見つからなかったらしいぜ。謎の病だってさ」
「で、今日測ったら錬金系……皮肉だよな」
周囲の嘲笑と囁きが途切れることなく、蠅の羽音のように耳障りだ。
レオンは平静な顔で、ゆっくりと身体を回し、静かに列の最後尾へと戻った。
一歩、二歩、三歩。
足取りは安定しているが、本人だけが知っている。脚が震えていることを。
孤独な背中は周囲の世界から浮いて見える。まるで絵画から消された部分のように、空白だけが残る。
五年だ。
五年の時間は、全ての人々に彼のかつての輝きを忘れさせるのに十分だった。
今の彼は、ただの十二歳の「元天才」、魔力成長が止まった落ちこぼれ。
「次、エリナ・セレストーム!」
検査官の声が響き、一人の少女が人々の中から歩み出た。彼女はレオンの従姉で、侯爵家の分家の令嬢だ。
少女は十四歳ほど、まだ幼さの残る顔に貴族特有の傲慢さを湛えている。レオンの傍を通り過ぎる際、足を止め、口角を微妙に上げた。抑えきれない得意げな笑み。
繊細な手が魔石碑に触れ、しばらくして――
「魔力値87。属性は元素系、ランクはB」
「うわ! 87! しかも元素系!」
「さっすが侯爵家の血筋。あの落ちこぼれとは大違いだな」
「セレストーム家の血は健在ってことか。ただ……あの子は気の毒だったけど」
エリナは口角を上げ、わざとらしくレオンに視線を送り、目に軽蔑と優越感を浮かべる。
かつて、この従弟は家で最も輝かしい存在だった。
五年前、家の者たちが皆、彼の周りを囲み、自分はただ人の後ろに立ち、光に包まれたその姿を仰ぎ見るしかなかった。
家族の集まりのたび、父はこう言った。
『レオンを見てみろ。お前を見てみろ。同じセレストーム家の血なのに、どうしてこんなに差があるんだ?』
比較される屈辱、無視される怒り、それを何年も耐えてきた。
今こそ立場が逆転した。この「元天才」に何が残っているか、見てやろう。
「次、エヴィル!」
人々が突然静まり返った。さっきまで囁いていた貴族たちも口を閉ざす。
紫の法衣を纏った少女が優雅に立っている。清楚で凛とした雰囲気。彼女はセレストーム家の二女、レオンの妹であり、今日の鑑定儀式で最も注目される存在。
そしてさらに重要なのは――
彼女は、レオンが唯一心を許せる家族だった。
五年前、全ての人が彼に冷たい視線を向けた時、彼女だけは変わらず兄を慕ってくれた。庭園で散歩に付き合ってくれた。
『レオン兄様、きっと良くなりますよ』
そう言ってくれた。
だがレオンは知っている。
彼女は天才で、俺は落ちこぼれ。
いずれ、彼女も俺から離れていくのだろう。
◇
紫のドレスの少女がしとやかに歩み寄り、繊細な手が魔石碑に触れる。
広間全体の空気が凍りついたかのようだ。
全員が息を呑み、奇跡の訪れを待つ。
魔石碑の光がどんどん明るくなり、淡い青から濃い紫へと変わり、最後には煌めく星光を放つ。
「魔力値……測定不能! 属性は……星相系……! ランクは、SSS……!?」
全場が静寂に包まれた。
一秒、二秒、三秒。
そして、広間全体が信じられないという叫び声で爆発した。
「測定不能だと……!?」
「星相系!? しかもSSSランク!?」
「化け物か!?」
「エルシア大陸全土で、百年間に何人の星相系が生まれた? 前の星相系魔導師って、確か二百年前じゃなかったか!?」
「運命を予知して、星の力を操るっていう、あの伝説の……!」
高台の侯爵カッセルリックでさえ、わずかに表情を変え、失望の色が和らぎ、目に安堵の色すら浮かんだ。
星相系。十一大魔法系統の中で最も神秘的で、最も稀少な存在。運命を予知し、星辰の力を操る。歴史上、星相系の魔導師は全て時代を変える存在だった。
検査官の手が震え、興奮で声が上ずる。
「エヴィル様……! こ、この才能なら、いずれ大陸屈指の星相魔導師に……いえ、先人を超え、新時代の――」
「ありがとうございます」
エヴィルは淡々と頷き、検査官の賛辞を遮り、身を翻して人々の中へと歩いて行く。
しかし彼女は家族の列には戻らなかった。そこでは、父である侯爵が満面の笑みで手招きし、周囲の貴族たちも道を開けて彼女の帰りを待っている。
彼女は人々を掻き分け、まっすぐあの孤独な影へと向かった。
「レオン兄様」
少女はレオンの前で止まり、軽く身を屈め、可憐な顔に温和な笑みを浮かべる。
全場が再び騒然となった。
「エヴィル様が、どうして……」
「あいつ落ちこぼれだぞ!? 魔力成長が止まった欠陥品じゃないか!」
「星相系の天才が、よりにもよって錬金系のFランクの兄に……?」
「まさか……妹が兄を慰めに?」
「それにしても、この差は……」
囁き声が絶えないが、エヴィルは意に介さず、紫の瞳で静かに目の前の少年を見つめる。
レオンは苦笑し、二人だけに聞こえる声で言った。
「エヴィル、俺は今こんな状態なんだ。もう無理に……」
無理に気にかけなくていい。
偽りの優しさを見せなくていい。
君は星相系の天才で、俺は魔力成長が止まった落ちこぼれ。俺たちの世界は、もう違うんだ。
「レオン兄様」
エヴィルが彼の言葉を遮り、真剣な表情で言った。紫の瞳には確固たる光が宿っている。
「兄様は以前、こう仰いましたよね。『真の強者とは才能の高低ではなく、その力をどう使うかだ』って。私はずっと覚えています」
それは七年前のこと。
レオンがまだ五歳で、魔力感知に成功したばかりの頃。意気揚々としていた。エヴィルは制御を誤って母の大切な薔薇を焼いてしまい、泣きじゃくっていた。
彼は胸を張ってこう言った。
『エヴィル、泣かないで。魔力の強さなんて大事じゃないよ。大事なのは使い方だ。見て、僕は五歳で魔力感知できたけど、それでも転ぶし、蜂に刺されるんだ。本当の強者は、自分の力をどう使うか知ってる人なんだよ』
彼女は、まだ覚えていた。
五年も経つのに、まだ。
「あれは……子供の戯言だ」
レオンは目を伏せ、彼女の目を見られない。
「真に受けなくていい」
あの時の自分は、力場系の天才になり、侯爵位を継ぎ、大陸の頂点に立つと思っていた。
だからあんなことが言えたんだ。
そして今は……
「いいえ」
少女は首を横に振り、紫の瞳に異様な光を宿す。星相系魔力特有の微光、夜空の星のような。
「私は信じています。兄様はきっと、ご自分の道を見つけられると」
レオンは黙った。
『慰めか』と言いたかったが、少女の真剣な表情を見て、言葉が喉に詰まった。
これが、最後の優しさなのかもしれない。
その時、高台から平静な呼び声が響いた。
「レオン、こちらに来なさい」
父の声は静かだった。怒りもなく、叱責もなく、感情の起伏すらない。
だがその静けさこそが、怒号よりも心を冷やす。
レオンは深く息を吸い、エヴィルに軽く頷いた。別れの挨拶として。そして一人、高台へと歩いて行く。
一歩一歩がゆっくりと、まるで定められた結末へと向かうように。
背後で、エヴィルは静かにその背中を見つめていた。紫の瞳に複雑な感情を浮かべながら。
口を開きかけたが、結局は何も言わなかった。
今言葉にすれば、かえって重荷になる。
◇
侯爵家、執務室。
カッセルリックは静かに主座に座り、指先で肘掛けを軽く叩いている。規則正しい「コツ、コツ、コツ」という音。
レオンは広間の中央に立ち、頭を下げ、裁きを待つ。
「レオン」
父の声は平静で、喜怒が読み取れない。
「私は思っていたんだ。五年の時間があれば、お前の魔力も多少は回復するだろうと。かつてのレベルに戻らずとも、せめて……せめてまともな数値には届くだろうと」
「だが、結果は3だ」
「錬金系、魔力値3」
カッセルリックは溜息をついた。その溜息は深い失望を帯び、怒りよりも耐え難い。
「お前を責めるつもりはない。原因不明の成長停止、これはお前がコントロールできることではないのだから」
「だが、家には家の規則がある」
彼は言葉を区切り、レオンを見つめた。複雑な眼差しで。
「セレストーム家の規定により、適切な魔力を覚醒できなかった者は、継承権争いに参加できず、家の産業管理に配置される」
家の産業。
この言葉を、レオンはよく知っていた。
セレストーム家は爵位と領地以外にも、多くの産業を経営している。鉱山、商隊、工房、農場……これらの産業は家の分家や失脚した者が管理し、権力の中心から遠ざけられる。
聞こえは「産業管理」だが、実際は周辺部への追放だ。
「既に手配は済ませた」
カッセルリックは続けた。
「我が家には北の辺境に封地がある。エリニエータ王国とフェルディナント伯爵領の間に挟まれ、ヴォルフスブルク山脈に隣接している。そこに小さな村と鉱山がある。辺境だが、一応は産業だ」
「そこへ行け。名目上は領主だが、実際は鉱山と村の管理を任せる」
「三日後に出発しろ」
父の声は依然として平静で、まるで普通の公務を手配しているかのよう。
怒りもなく、叱責もなく、ただ事務的な冷淡さだけ。
これは、怒りよりも絶望的だ。
ヴァレン兄が傍らに立ち、嘲笑を抑えきれない。
「レオン、北の辺境なんて本当に何もない場所だぞ。まあ、錬金系が鉱山管理ってのも、ある意味適材適所か? ははっ」
オースティン兄が調子を合わせる。
「聞いた話だと、あそこ魔獣だらけらしいな。気をつけろよ、レオン。お前魔力ないけど、足だけは速く走れるだろ? ははははは!」
長兄ティモシーは眉をひそめ、何か言いかけたが、結局は黙った。
彼は知っている。これが父にできる最大の譲歩だと。
家の規則に従えば、レオンのような「落ちこぼれ」は、本来なら姓を剥奪され、家から追い出されるべきだった。
だが父は結局、情けをかけた。封地を与え、名目上の領主身分を与え、せめて貴族の体面は保った。
これで十分慈悲深い。
「はい、父上」
レオンは頭を下げて応じた。声は恐ろしいほど平静だ。
十二歳の彼は、既に感情を隠すことを学んでいた。
五年の時間は、一人の子供に「現実」とは何かを理解させるのに十分だった。
「下がれ」
カッセルリックは手を振り、まるで無関係な召使いを追い払うように。
レオンは身を翻して去った。
扉の外の廊下は暗く、まばらな魔法灯が瞬いている。
彼はゆっくりと歩いた。この最後の時間を使って、この屋敷の隅々を記憶に刻むかのように。
背後の執務室から、ヴァレン兄とオースティン兄の笑い声が聞こえてくる。耳障りで尖っている。




