第4-4話「狭間の基礎」~魂が暮らすということ
空は、生前に見上げていた空とほとんど変わらなかった。
どこまでも青く、時折、雲がゆっくりと流れていく。
乾いた風が頬を撫で、砂の匂いを運んでくる。
ぽつり、と。
小さな雨粒が、カナタの肩に落ちた。
「……雨」
見上げると、雲の切れ間から淡い粒が降り始めている。
体が冷えるわけでも、服が重くなるわけでもない。
それでも――
雨粒が肌に当たる“感じ”は、なぜか理解できた。
「……雨って、当たるとこうやって体が濡れるだね」
無意識にこぼれた言葉。
病室では、窓の向こうで雨が降るのを眺めるだけだった。
外に出ることも、濡れることもなかった。
だから、本当の意味で「雨に濡れる感覚」を体で知っているわけではない。
それなのに。
水が体に当たるイメージだけは、自然に浮かぶ。
ソラは隣で足を止め、穏やかにうなずいた。
「そうですね。生前に濡れた経験がある人は、ここでも濡れる感覚を再現します。カナタさんの場合は……魂が覚えている“イメージ”だけが再現されている状態です」
「じゃあ……感じてるようで、感じてない?」
「ええ。でも、それでいいんです」
ソラは微笑む。
「狭間は、学ぶ場所でもあります。天候の感じ方ひとつとっても、魂が少しずつ理解していく」
カナタは小さくうなずいた。
「……なるほど。これも、学びなんですね」
「はい。狭間での生活は、すべてが魂の経験になります」
二人は再び歩き出す。
雨はいつの間にか止み、砂の大地は変わらず乾いたままだ。
「食事のこと、覚えていますか?」
ソラが歩きながら話を続ける。
「食べたものは体ではなく、魂に届きます。味を感じるのも、満たされるのも、すべて魂です」
カナタは、あのみかんを思い出す。
甘酸っぱくて、胸の奥まで染み込んだ感覚。
「……ちゃんと、味として認識できました」
「ええ。楽しむことも大切です」
一拍置いて、ソラは続けた。
「そして――排泄も、必要になります」
「……はい?」
思わず、間の抜けた声が出た。
「排泄……って……?」
ソラは驚いた様子もなく、淡々と説明する。
「魂に不要なエネルギー、摂取しすぎたものは、体感として処理されます。形として現れることもあれば、光やエネルギーとして消費されることもあります」
「……じゃあ、生前みたいに……?」
「基本は同じです」
ソラは穏やかに言った。
「排泄物は、生前と同じ位置に作られ、生前と同じ位置から排泄されます」
カナタの頬が、じわっと熱くなる。
「つ、つまり……生前と同じ体を、形作られている……?」
「ええ。完全な肉体ではありませんが、魂が自然に動かせるように再現されています。排泄も、魂が擬似的に行う生理現象です」
「……なるほど……」
頭では理解できる。
けれど、意識すると急に恥ずかしくなってくる。
――自分の体は、どうなっているんだろう。
――ちゃんと、生前と同じように……。
そんな疑問が浮かぶが、隣にはソラがいる。
今さら触って確かめるわけにもいかず、視線が泳ぐ。
ソラは気づいているのか、いないのか。
あくまで自然な口調で言葉を続けた。
「狭間にも、トイレが存在します。街や拠点には必ずあります……荒野では、野外になりますが」
「そ、そうなんですね……」
「入浴もありますよ」
「入浴?」
「体を洗うというより、魂を清める行為です。睡眠も同じ。魂の休息ですね」
カナタは息をつき、空を見上げた。
「……全部、体のためじゃなくて、魂のためなんですね」
「はい」
ソラははっきりとうなずく。
「狭間の生活は、魂がどう生きるかを学ぶ時間です。最初は戸惑いますが……すぐに慣れますよ」
カナタは、胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。
病室では得られなかった経験。
雨を感じ、食べ、排泄し、眠るという“当たり前”。
それが、ここでは――魂の可能性として広がっている。
――もしかしたら。




