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第12-3話「狭間の街の小さな衝突」~狭間世界の公衆浴場

街の喧騒を抜け、カナタとソラは大きな通りを歩いていた。


「……あそこ、結構大きい建物だよね」


カナタが指さす先には「湯」と大きく書かれたのれんが揺れる、公衆浴場施設があった。

木造と石造りを組み合わせた建物は、通りの中でもひときわ存在感を放っている。


「ここ、気になってたんだよね」


カナタの小声に、ソラは静かに微笑む。


「カナタさん、今日の夜なら大丈夫でしょう。夕食を済ませたあとで行きましょうか?」


二人はまず宿に戻り、軽く昼寝を取ることにした。


日中の散策で少し疲れもたまっていたせいか、カナタは早めに寝台へ身を沈め、そのまま深い眠りに落ちていった。

目を覚ましたときには、柔らかな夕日が窓を橙色に染めていた。


「……そろそろ夕食ですね」


カナタが起き上がると、ソラは静かに頷いた。


二人はブレンダの待つ食堂へ向かい、温かい食事を摂る。

パンとスープに、少しの燻製肉。

小さな贅沢ではあるが、冒険後の一息としては十分だった。


夕食を終え、カナタはソラと共に夜の街を歩いた。


街灯の柔らかな光に照らされ、昼間とは違う静けさと活気の混ざった空気が漂う。


その公衆浴場の入口には、大きく「湯」と書かれたのれんが掲げられ、夜の蒸気が柔らかく漂っていた。

広いロビーには受付があり、入浴料を支払う。

カナタは銅貨5枚を差し出すと、笑顔で受け取られた。

ロビーにはリクライニングチェアがいくつも置かれ、休憩スペースとしても利用できる。

小さな売店もあり、お風呂上がりの一杯を楽しむこともできる。



男女別々の入り口があり、カナタは男性用の湯場へ向かった。


脱衣場に入り、服を脱ぎ、腰にタオルを巻く。


浴場に入る前に、まずは身体を流すのが常識だ。


この街では、湯に入る前に身体を清めることが暗黙の了解になっている。

種族が違っても、その点だけは皆同じだった。


湯は身体を癒すもの。

だからこそ、穢れや汗を持ち込まない。

それが、街の人々にとっての“礼儀”なのだと、カナタは理解していた。


カナタは洗い場に立ち、温かいシャワーで肩から腕、胸、背中、足先まで丁寧に流す。


石鹸の泡で全身を包み、汗やほこりを洗い落とすと、皮膚が清らかに温かい湯気に包まれ、体の奥までほぐされていく感覚があった。


身体を清め終えると、内風呂へゆっくりと足を踏み入れる。


湯に沈むと、全身を熱い湯が包み込み、体の芯までじんわりと温まる。

肩まで浸かり、手足を伸ばすと、日中の疲れや緊張が溶け出すのを感じた。


湯の温度と湿った空気が混ざり、肌の感覚が敏感になる。


(……体って、こんなに熱くなるんだ……)


視界の端に他の入浴者の姿があり、筋肉の盛り上がりや、獣人やドワーフの身体的特徴に目が行ってしまう。


冒険者として、異種族の身体的特徴を見ること自体は珍しくない。

けれど、こうして無防備な空間で目にすると、印象はまるで違った。


長い耳や太い尾、胸板の厚み━━

そして、種族ごとに異なる身体の造りに、思わず視線が留まってしまう。


(……あれが、みんなの体の一部……)


心臓の鼓動が早くなり、顔が熱くなる。

恥ずかしいのに、熱に身を委ねる感覚は、どこか心地よかった。


内風呂には電気風呂や泡風呂もあり、手足を伸ばして順番に楽しむ。


電気風呂のピリピリとした刺激は、日中の冒険で疲れた筋肉を芯からほぐしてくれる。


泡風呂に移動すると、細かい泡が腕や太もも、胸に密着する。

泡のくすぐったい感触に、思わず肩をすくめ、手のひらで少し体を隠したくなる。

しかし、熱い湯と泡に包まれる快感が心を柔らかく解きほぐす。


(……これは……気持ちいい……体が、全部……)


そして露天風呂に移動する。


外の夜風が頬を撫で、湯との温度差に体がびくっと反応する。

肩まで沈むと、熱さと冷たさのコントラストに全身が敏感になり、星空と湯面の反射を目に映しながら、体の奥からじわじわと整う感覚が押し寄せる。


(……この熱さ、風の冷たさ、肌の感覚……全部、体に染みて……)


呼吸が自然と深くなり、体の中心から力が抜けていく。

全身の血が巡る感覚、手足の温もり、皮膚の感触に意識を集中させると、心も体も完全に今に溶け込む。

まるで湯と自分が一体になったような幸福感。


「……これは……最高だ」


カナタは心の底から、体も心も解きほぐされていく感覚を味わった。


━━そのとき、ふと。


(……ソラも、今……)


壁一枚、露天風呂の向こう側に居るかもしれない。


同じ時間、壁の向こう側の湯に身を沈めているソラの姿が、頭をよぎる。


見えない。

もちろん、覗けるはずもない。


それなのに、同じ湯気の中にいるというだけで、胸の奥が、妙に静かになるのを感じた。


不思議な感覚だった。


湯気の向こう。

同じ時間、同じ熱に包まれているというだけで、心の奥が静かに重なる気がした。


言葉も、視線もいらない。

ただ、同じ場所に“在る”という感覚。

距離があるのに、遠くない。


カナタは湯の中で指を握り、そっと開いた。

水面に広がる波紋を眺めながら、何も言葉にしないまま、その感覚を受け入れる。


(……変なの)


けれど、悪くはなかった。


一方で、ソラも別の入口から女性用浴場に入っていた。


脱衣所には、異なる種族の体格や肌の色が混ざり合っていた。

背の高いエルフ、筋肉質の獣人族、小柄なドワーフ。

みんなが慣れた動作で身体を洗い、湯に身を沈めている。


ソラもタオルを脇に置き、まずはシャワーで身体を流す。

お湯が肌を濡らすたび、冷えた体がじんわりと温まっていく感覚に、胸の奥がほぐれていくのを感じる。


泡風呂へと移動すると、湯の表面はふわりと白く泡立ち、柔らかく弾力のある感触が肌を包む。

手足を泡に沈め、肩まで浸かると、湯気と温かさが全身に染み渡り、心も体も自然に解けていく。


「……はぁ……」


ソラは小さく吐息を漏らす。


心臓の奥が少し高鳴るのは、異種族が近くにいるからだけではない。


自分の体に意識が集中し、肌の感覚が湯と泡の柔らかさに敏感に反応する。

泡が触れるたび、思考がふっと途切れる。

自分の輪郭が曖昧になり、湯と泡をただ“感じている”だけの時間。

それが少し怖くて、でも、嫌ではなかった。


胸や腰の曲線、指先や足先の感触。

普段は意識しない部分まで、温かい泡が優しく包む。


それでも、ソラは動揺を表に出さない。

ネックレスは外さず、静かに湯の中で深呼吸する。


(……こうしてゆっくり入るのも、悪くない)


泡の柔らかさに包まれ、湯の熱に身を任せる。

体がじんわりと温まるたび、心も浄化されるような感覚に、自然と目を閉じてしまう。

異種族の体格や肌の色はさまざまだが、ソラはそれを気にせず、ただ自分の体と向き合う。


筋肉質な獣人族の力強い背中、小柄なドワーフの柔らかい皮膚、エルフの滑らかな白い肌……視界に入るものすべてを意識せず、ただ湯と泡の感覚に没入する。


時間がゆっくりと流れる。肩まで浸かっていると、湯の温かさが血流を促し、体中の細胞が生き返るようだ。


(ああ……これが、整うってこと……ですね)


ソラは、心地よい疲労感と共に、体も心も満たされる感覚を初めて実感する。


湯から上がると、身体はしっとりと潤い、髪も湯気に湿って光る。


売店でフルーツミックスのドリンクを購入し、ロビーのリクライニングチェアーに座る。


外の冷たい空気に触れる前の、このほんのひとときの温かさ。


ソラは小さく微笑む。

目の前に広がる光景は、日常の小さな喧騒から切り離された、静かな安らぎの世界だった。

身体の芯までほぐれ、頭も心も澄み渡った感覚に、ソラは静かに満足するのだった。


浴場を出た後、カナタはタオルで体を拭き、着衣を整える。


ロビーで再会したソラが手に持っていたのは、フルーツミックスのドリンクだった。


「カナタさん、フルーツミックスです。これ一緒にどうぞ」

「フルーツミックス?」

「はい。冷えてますよ」


差し出された瓶の中で、淡い色の液体が揺れる。

果実を何種も混ぜた香りが、湯気の残る空気にふわりと広がった。


一口。


甘さが先に来て、すぐに酸味が追いかける。

喉を滑り落ちる冷たさが、火照った内側をやさしく撫でていった。


「……美味しい」


思わず、そんな言葉が漏れる。


ただ甘いだけじゃない。

湯で開いた身体に、冷たさがすっと入り込む。

喉だけじゃなく、内側全体が落ち着いていく。


━━ああ、これは“今”飲むための味だ。


水分が、栄養が、今の体に必要なものが、ちゃんと分かっていて染み込んでくる感じがした。


ソラはネックレスに指を触れたまま、静かに飲んでいる。

湯上がりの表情は穏やかで、まるで時間そのものが緩んだようだった。


カナタは背もたれに体を預け、ゆっくりと息を吐く。


体も心もすっかり整った感覚━━


「……整うって、こういうことなのか」


カナタは、ソラと並んでリクライニングチェアに座り、穏やかな夜の蒸気と街の静けさに包まれながら、狭間世界での小さな幸せを実感した。


夜風に当たりながら、二人はしばらくのんびりと過ごす。


今日の冒険、街での小さな争い、そして入浴での心身の解放。

すべてが、カナタにとってかけがえのない経験となった。


━━こうして、狭間世界での夜は、静かに、しかし確かに一歩を刻んでいった。

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