第12-1話「狭間の街の小さな衝突」~静かな高揚
朝は、静かに始まった。
宿の二階。
薄いカーテン越しに、柔らかな光が差し込む。
「……朝ですね」
ソラの声に、カナタはゆっくりと目を開けた。
「うん……よく寝た」
体を起こす。
昨日の初討伐の疲れは、どこにも残っていない。
筋肉の張りも、だるさもない。
その代わり。
胸の奥に、小さな熱だけが残っていた。
思い出せば、確かに危険だった。
だが同時に━━やり切った、という感覚もはっきり残っている。
「……変ですね」
無意識に、息を吐く。
怖さよりも、不安よりも、胸の内にあるのは、静かな高揚感だった。
「問題はなさそうですね」
ソラが、少しだけ安心したように言う。
「はい。体も、頭も」
身支度を整え、階段を下りる。
一階の食堂には、すでに朝の匂いが満ちていた。
焼いたパンの香ばしさ。
温めたスープの湯気。
油とハーブの混じった、いつもの匂い。
「おはよう」
帳場の奥から、ブレンダが顔を出す。
「昨日は初討伐だったんだろ。腹いっぱい食べてきな」
「ありがとうございます」
言われるまでもなく、テーブルには朝食が並んでいた。
厚切りのパン。
野菜と豆のスープ。
燻した肉を少しだけ添えた皿。
二人で向かい合って、朝食を取る。
派手な会話はない。
けれど、どこか落ち着かない感覚が、カナタの中にあった。
疲れではない。
━━次を、見たくなる気持ちだ。
「今日は、どうします?」
スープを飲み干してから、ソラが尋ねる。
「街、見て回りたいかな。休みの日だしね」
「ええ。いいと思います」
食器を片付け、礼を言って宿を出る。
扉を開けると、朝の街の空気が流れ込んできた。
昨日と違う。
音が、少しだけ柔らかい。
休みの日の街は、緩んでいる。
だが━━
その先で、カナタは改めて、この街に生きる“人族とは異なる存在”と向き合うことになる。
高揚感は、まだ胸の奥に残ったまま。
それは、次の一歩を踏み出すための、静かな余熱だった。
休みの日の街は、いつもより音が多かった。
仕事の足音ではなく、話し声。
荷を下ろした人間の笑い。
露店から漂う匂いが、通りごとに違う。
「今日は、ずいぶん賑やかですね」
歩きながら、カナタがそう言った。
「ええ。今日は暦でいう休養日ですね。それが重なると、普段は外に出ない人たちも街に降りてきます」
ソラの視線は、通りの先に向いている。
人混みの中、人族とは明らかに違う輪郭が混じっていた。
背の高い、細身の耳長。
石のような肌を持つ小柄な体躯。
尾を隠すように外套を羽織った者。
「……あの人たちも、冒険者かな?」
カナタの問いは、素直だった。
警戒でも、嫌悪でもない。ただの疑問。
「ええ。種族は違いますが、立場は同じですね」
ソラは歩調を緩め、少しだけ説明の間を作る。
「この街には、人族以外も多く滞在しています。このインテルへ来たばかりの頃にも説明しましたが、改めて説明しますね。エルフ、ドワーフ、獣人族……ほかにも、細かく分かれます」
「でも……」
カナタは、言葉を選ぶように視線を動かす。
「見た目も、文化も違いすぎるように見えて。同じ世界の生き物、って感じがしなくて」
その言い方に、ソラは否定も肯定もせず、静かに続けた。
「その感覚は、正しいです」
カナタが、少し驚いたようにこちらを見る。
「彼らは、カナタさんの住んでおられた地球とは、別の世界で生きていた魂です」
一拍。
街の喧騒が、ほんの少し遠のいたように感じられる。
「それぞれが、それぞれの世界で生まれ、暮らし、死を迎えました。エルフにはエルフの世界。ドワーフにはドワーフの世界。獣人族にも、独自の循環と文明がありました」
「……じゃあ」
カナタは、歩みを止めずに問いを重ねる。
「なんで、ここに?」
その問いこそが、本題だった。
ソラは、正面を見たまま答える。
「天界を経由して、魂として回収され、選別され━━その後、“狭間世界”に再配置されたからです」
「再配置……」
「はい。ここは、元の世界に戻れない魂たちのための場所。世界と世界の間にある、緩衝層のようなものです」
人混みの中、エルフの一団がすれ違う。
楽しげな声。
見た目は生きている者と変わらない。
「だから、種族が混ざる。本来なら、交わらなかった魂が、同じ街で生きる」
カナタは、しばらく黙っていた。
「……じゃあ、みんな」
「ええ」
ソラは、はっきりと頷く。
「ここにいる者たちは、全員“一度は死んでいる”存在です」
重い言葉だった。
だが、ソラの口調は淡々としている。
「ただし」
少しだけ、声が和らぐ。
「死んだという認識を、必ずしも全員が持っているわけではありません。狭間の身体は、魂の擬似再現です。血も、痛みも、生活も━━“生きている感覚”として再構成されています」
カナタは、無意識に自分の手を見る。
「……だから、普通に暮らしてるんですね」
「はい。そうでなければ、ここは保てません」
街は、変わらず賑やかだった。
異種族が混じり合い、当たり前のように言葉を交わしている。
「……不思議ですね」
ぽつりと、カナタが言う。
「死んだ後の世界なのに、思ってたより……ちゃんと、人がいる」
ソラは、少しだけ視線を横に向けた。
「ええ。だからこそ、悩みも、摩擦も、生まれます」
そして、続ける。
「ですが、カナタさんがここにいる理由も、彼らと同じです」
「……狭間に、来た理由?」
「はい」
断定ではない。
説明としての言葉。
「選ばれたのではなく、集められた。そして、ここで“どう在るか”を、各自が選び続けている」
カナタは、ゆっくり息を吐いた。
「……重いですね」
「そうですね」
でも、とソラは付け加える。
「今日、無理に考える必要はありません」
露店の呼び声が、二人の間に入り込む。
「今日は休みです。街を見るだけで、十分です」
カナタは、小さく笑った。
「じゃあ……あれ、見ていきません?あの、耳の長い人が並んでる店」
「ええ。行きましょう」
自然と歩幅が揃い、また歩き出した。
露店の呼び声が途切れず響く。
金属のぶつかる音が小さく弾け、香辛料や焼き菓子の匂いが混じり合う。
異なる言語が、街の空気に柔らかく溶け込んでいる。
耳の長い種族が並ぶ店先では、細工の施された装身具が陽に照らされていた。
軽やかな笑い声が、布越しに揺れる。
カナタは、歩きながら自分の足取りに気づく。
少しだけ、速い。
ほんのわずかに、隣を意識している。
━━デート、みたいだな。
ふと浮かんだ言葉に肩をすくめ、視線を店先の装身具に落とす。
その瞬間、思考を打ち消すように小さく息を吐いた。
生前。
病室と、白い天井と、静かな時間。
恋だとか、誰かと並んで街を歩くとか。
考える余地すら、なかった。
それなのに。
隣にいるだけで、視界が少し明るい。
店先の色が、音が、妙にはっきりと目に入る。
胸の奥に、高揚感だけがまだ残っていた。
昨日の討伐の余熱。
生きている、という実感の名残。
━━これが、恋なのか。
問いかけは、はっきりとした形にならない。
答えも、急がなくていい気がした。
ソラは、何も言わない。
ただ、いつもと同じ距離で歩いている。
そのことが、なぜか心地いい。
異なる世界から来た魂たちが行き交う街の中で。
知らないまま、少しずつ。
カナタは、確実に。
この世界だけでなく、自分自身の輪郭にも触れ始めていた。
━━そしてその変化に、まだ名前は付けられないまま。




