第11-幕間-2「静かな裁定」~順当な評価の裏側
ギルド本館、上階。
夜の帳が降りきる前の時間帯。
執務の音がほとんど消え、建物そのものが呼吸を潜める頃。
ギルド長室の奥、さらに区切られた小部屋に、二人の存在があった。
一人は、冒険者ギルド長ハルウェル。
書類を手にしたまま、壁際に立っている。
もう一人は、行政天使ラファエル。
椅子には座らない。
部屋の中央、わずかに光の差す位置に立ったまま、資料の束を空中に展開していた。
紙ではない。
魂情報を整理した、半透明の記録層。
「……対象二名。冒険者登録名、カナタ。同行案内天使、ソラ」
ラファエルの声は、低く、淡々としている。
「直近二週間の行動記録を再確認する」
指先が動く。
情報が切り替わる。
「薬草採取、森部浅層。魔物遭遇なし」
「中層縁、キノコ類回収。適切に処理」
「雑務依頼、搬送、清掃、護衛。問題行動なし」
ハルウェルは、腕を組んだまま頷いた。
「派手さはない。だが、全部きっちりやってる」
「逸脱も、誤魔化しもない」
「ええ」
ラファエルは肯定だけを返す。
「注目すべきは、成功率ではない」
記録がさらに切り替わる。
「失敗時の対応」
「判断の遅延」
「危険察知後の撤退判断」
数値ではなく、波形が表示された。
「……安定している」
ハルウェルが、少し眉を上げる。
「新人にしては、だろ」
「新人としては、異常だ」
即座に切り返される。
「恐怖による硬直がない」
「過剰な自己防衛もない」
「成功体験による慢心も、現時点では見られない」
一拍。
「そして」
波形の一部が強調される。
「魂の器の順応速度が、基準値を大きく上回っている」
ハルウェルは、そこで息を吐いた。
「……そこか」
「そこだ」
ラファエルは視線を上げる。
「彼は、段階を踏まずに“慣れている”」
「普通は、慣れる前に壊れる」
「ソラの補助がある」
「承知している」
否定ではない。
だが、評価の主軸ではない。
「案内天使の支援を加味しても、許容範囲を超えている」
「彼は“管理されていない安定”を維持している」
ハルウェルは、苦笑した。
「面倒な言い方だな」
「簡単に言えば……危ういが、崩れない」
その言葉に、ラファエルはわずかに首を振る。
「違う」
「崩れないのではない」
「崩れ方を、選んでいる」
沈黙。
部屋の空気が、ほんの少しだけ張り詰める。
「新人ランクのまま置くと、どうなる?」
とハルウェル。
「周囲が壊れる」
即答だった。
「彼自身ではない」
「だが、彼を測り損ねた者が、判断を誤る」
「結果として、不要な事故が増える」
「……目立たせる気か?」
「逆だ」
ラファエルは、記録を畳む。
「適切な位置に置く」
「過不足のない依頼を与える」
「過剰な監視も、過小評価もしない」
一拍。
「そのためには、ランクが足りない」
ハルウェルは、静かに頷いた。
「現場感覚としても、同意だ」
「今のままじゃ、周りが勝手に線を引く」
「それが一番危ない」
「ええ」
ラファエルは、視線を落とす。
「だから、引き上げる」
「功績ではなく、配置のために」
「理由は、表向きどうする」
「実績十分。堅実。問題なし」
即答だった。
「派手な理由は不要だ」
「彼らは、そういう評価を好まない」
ハルウェルは、口角を少しだけ上げた。
「よく見てるな」
「観測対象だ」
淡々とした言葉。
「だが……」
ラファエルは、ほんのわずかに間を置いた。
「案内天使ソラの存在が、鍵であることは否定しない」
「彼女がそばにいる限り、判断は成立する」
「逆に言えば?」
「彼女が離れた場合、再評価が必要だ」
厳しいが、正確な言い方だった。
ハルウェルは、軽く肩をすくめる。
「本人たちは、そんな大事だと思ってないだろうな」
「それでいい」
ラファエルは、はっきりと言う。
「自覚は、後でいい」
「今は、余計な重荷を与えない」
そして、結論を口にした。
「段階的に引き上げる」
「周囲には“順当な評価”として通達」
「監視レベルは上げない。干渉もしない」
一拍。
「ただし」
視線が、ハルウェルに向く。
「何かあった場合、即座に私へ」
「判断は、こちらで引き取る」
「了解だ」
短い返答。
ラファエルは、踵を返す。
「では、この件は進める」
「彼らが気づく前に」
扉へ向かいながら、最後に一言だけ残した。
「……管理しない、という判断も」
「時には、最も重い裁定だ」
扉が閉まる。
部屋に残ったハルウェルは、しばらくその場に立ったまま、苦笑した。
「新人の皮を被った厄介者、か」
だが、その声に、嫌悪はなかった。
「……いや」
小さく訂正する。
「面白い芽、だな」
夜のギルドは、何も知らない。
だが、水面下では、静かに位置が動き始めていた。
それはまだ、告げられていない判断。
けれど確かに━━彼らの道筋は、そこで一段、上へと書き換えられた。
扉が閉じ、足音が遠ざかる。
小部屋に残ったのは、書類の束と、ハルウェル一人だけだった。
しばらく、そのまま動かなかった。
壁にもたれた姿勢を崩さず、視線だけが、空中に残った記録層の余韻をなぞる。
「……管理しない、か」
小さく息を吐く。
行政天使の言葉は、いつも正しい。
だが同時に、現場にとっては一番厄介な判断でもある。
机の端に、書類を置く。
ランク表。
依頼履歴。
新人区分の名簿。
その中に、カナタの名前がある。
「ほんとに……普通に見えるんだよな」
愚痴のような独り言。
派手な戦果はない。
無茶な突撃もない。
天才的な剣技も、圧倒的な術式もない。
それでも。
「“崩れない”新人ってのが、一番扱いづらい」
新人は、だいたいどこかで失敗する。
怖気づくか、調子に乗るか、仲間を頼りすぎるか。
どれかをやらかして、そこで線を引かれる。
だが、カナタは違った。
「踏み外さない」
慎重すぎるわけでもない。
臆病でもない。
ただ、自分の位置を把握したまま、一歩ずつ進んでいる。
「……しかも、無自覚」
ハルウェルは、苦笑する。
そして、もう一つの名前を思い浮かべた。
ソラ。
「案内人としては、出来すぎだ」
過干渉しない。
指示を押し付けない。
危険を代わりに引き受けもしない。
だが、決定的な瞬間には、必ず“隣”にいる。
「そりゃ、安定する」
新人を育てる側としては、理想に近い。
だが同時に、それが長く続くほど、依存と誤解の芽も育つ。
「……だからこそ、だな」
ハルウェルは、机の引き出しを開け、一枚の内部用書類を取り出す。
そこには、依頼割り振りの調整欄。
そして、小さく添えられた名前。
ミノリ。
「指名は、ミノリだったか」
ミノリなら、踏み込みすぎない。
必要以上に疑わない。
それでいて、異変には気づく。
「現場と、上の板挟み役としては……ちょうどいい」
気苦労は増えるだろう。
だが、それも仕事だ。
「悪いな、ミノリ」
謝罪ではない。
覚悟を共有するための言葉だった。
ハルウェルは、書類に視線を戻す。
カナタ。 ソラ。
二人並んだ名前を見て、ふっと息を吐く。
「守られてるうちは、伸びる」
だが、いずれ。
守られない状況が、必ず来る。
その時に、どう立つか。
どう選ぶか。
「……そこまで見届けるのが、ギルド長の仕事か」
肩を回し、姿勢を正す。
夜は、まだ深くならない。
だが、決定はもう下された。
知らないまま、段階を上がる。
選ばされないまま、位置を変える。
それが、今回の最善だ。
ハルウェルは、最後に一度だけ、ランク表を閉じた。
「……面白い芽、だ」
今度は、はっきりと。
夜のギルドは、まだ静かだ。
だが、その静けさの裏で、歯車は確実に噛み合い始めていた。




