第11-幕間-1「隣に立つという在り方」~初討伐の夜、静かな確認
夜の宿は、すでに深く沈んでいた。
外の音は遠く、木造の壁がわずかに軋むだけ。
簡素な寝台で、カナタは眠っている。
呼吸は安定している。
浅くもなく、深すぎもしない。
魂の波は、穏やかに内側へと収束していた。
ソラは、しばらくその様子を見守ってから、静かに立ち上がる。
触れない。
起こさない。
確認だけを済ませる。
(……問題ありません)
小さく意識を整え、内側へ沈む。
術式は組まない。
準備もいらない。
魂の波長を、ただ“合わせる”。
空間の膜に、かすかな張りが生まれる。
光が、深い水面のように揺れた。
『……こんばんは、ソラ』
柔らかい声。
急がず、詰めず、そこに在るだけの存在。
(はい。ご報告に来ました)
『ええ』
促す気配はない。
ただ、聞く準備が整えられている。
ソラは、淡々と今日までの経過を並べる。
湿地帯での実戦。
魂獣との接触。
討伐、回収、帰還。
(特筆すべき点として)
一拍、置く。
(カナタの魂の器は、想定以上の速度で成長しています)
光が、わずかに揺れた。
(順応が早い。環境への抵抗がほとんど見られません)
狭間世界。
魂の擬似身体。
循環と干渉の法則。
それらを、“学習”ではなく、“適応”として受け入れている。
(以前確認されていた魂の漏出も、明確に減少しています)
無意識に滲んでいた揺らぎ。
周囲へと広がりかけていた未調整の波。
(現在は、ほぼ内部循環に収まっています)
沈黙。
評価の時間。
『……早いですね』
案内人の声は、驚きではなく、確認だった。
『通常であれば、まだ不安定さが残る段階です』
(はい)
『ですが……拒絶も、依存もしていない』
光が、静かに広がる。
『受け入れている、と言ったほうが近いでしょう』
(同感です)
ソラは、眠るカナタの方向を一瞬だけ意識する。
布団の中。
何も知らず、何も選ばず。
それでも、魂だけは前へ進んでいる。
『負荷は?』
(現時点では許容範囲内です。明日を休養日に設定しています)
『それは良い判断です』
即座の肯定。
『成長が早い器ほど、休息が重要になります』
少し、声が和らぐ。
『壊れやすいわけではない。ただ……詰め込みすぎると、歪みが出る』
(理解しています)
『ええ』
一拍。
『漏れが減ったのは、あなたの調整も大きいですね』
ソラは、わずかに目を伏せた。
(私は、そばにいただけです)
『それが重要なのです』
否定も、過剰な評価もない。
『一人で適応させていたら、ここまで綺麗には収まらなかったでしょう』
静かな断定。
『引き続き、現状維持を基本としてください』
(はい)
『急がせない。選ばせない』
以前と同じ言葉を、なぞるように。
『いずれ、器は自分で答えを探し始めます。ですが……今はまだ』
(知らなくていい段階、ですね)
『ええ』
光が、微笑むように揺れる。
『この安定は、長くは続きません。でも……今は、とても良い夜です』
夜。
眠り。
守られた無知。
『……無理は、しすぎないでください』
最後の言葉は、相変わらず柔らかい。
通信が、静かに閉じる。
光は消え、膜の感触も薄れていく。
部屋の夜が、戻ってくる。
ソラは、その場に少しだけ留まり、それから寝台へ戻った。
毛布を整える。
呼吸を、もう一度だけ確かめる。
(……順応している)
それは喜ばしいことでもあり、同時に、見失ってはいけない兆しでもある。
(だからこそ……今は、眠っていてください)
灯りを落とす。
「……おやすみなさい」
夜は、何事もなかったかのように、静かに、深まっていった。
灯りを落としたあとも、ソラはすぐには離れなかった。
寝台の脇に立ち、眠るカナタを見下ろす。
まぶたは閉じられ、表情は穏やかだ。
戦いのあとの高揚も、緊張も、もう残っていない。
(……初めての討伐)
昼間の光景が、静かに蘇る。
魂獣を前にしたときの、わずかな息の乱れ。
構えの甘さ。
迷い。
そして━━踏み出した一歩。
完璧ではなかった。
むしろ、拙い点の方が多い。
距離の取り方。
判断の遅れ。
力の使い方。
けれど。
(……逃げませんでしたね)
恐怖を感じながらも、視線を逸らさなかった。
自分の立つ位置を理解し、ソラの声を聞き、考え、選び、動いた。
それは訓練で身につくものではない。
教え込めるものでもない。
(確実に……前へ進んでいます)
魂の器だけではない。
意思も、感覚も、少しずつ現実に根を下ろしている。
魔物ではなく、魂獣。
想像ではなく、実在。
憧れだけではない、危険を伴う戦い。
それらを前にしてなお、今日のカナタは、折れなかった。
ソラは、胸の奥に小さな温度を感じる。
喜びとも、安堵とも違う。
だが、確かなものだった。
(……支え続けます)
それは誓約ではない。
義務でもない。
今日も選んだ。
明日も、きっと選ぶ。
隣に立つという、その在り方を。
寝息が、一定のリズムを刻んでいる。
夢の中では、もしかすると、今日の戦いを思い返しているのかもしれない。
(ゆっくり、進めばいいのです)
急がせない。
置いていかない。
ただ、必要なときに、手を伸ばせる距離にいる。
ソラは、もう一度だけ寝顔を確かめ、それから静かに身を引いた。
夜は、変わらず深い。
だがその静けさの中で、確かな成長だけが、確かに積み重なっていた。
明日も、隣で。




