第11-9話「動き出す理由」~循環に還るもの
湿地帯を離れる頃には、空はもうすっかり高くなっていた。
朝の湿り気が抜け、風が軽い。
草を踏む音も、さっきまでより落ち着いて聞こえる。
「これで、帰りましょう」
「うん」
剣を収めた腰が、まだ少し重い。
使った後の重さだと、分かっている。
昨日までは、なかった感覚。
街の外壁が見えたとき、ようやく肩の力が抜けた。
門をくぐる。
人の流れ。
声。
荷車の音。
全部が、ちゃんと“日常”だった。
「……戻ってきた」
「はい」
それだけの会話なのに、胸の奥が少し温かくなる。
ギルドの建物は、いつも通りそこにあった。
木の扉。
掲示板。
出入りする冒険者たち。
中に入ると、昼前の時間帯らしく、人が多い。
依頼帰りの報告。
素材の持ち込み。
達成と未達が、淡く入り混じる空気。
帳場の奥にいたミノリが、顔を上げた。
「あ、お帰りなさい」
「ただいま、です」
自然に出た言葉に、少しだけ自分で驚く。
「湿地帯の依頼でしたよね」
「はい。低級魂獣、スライム一体です」
「……無事そうですね」
視線が、軽く全身をなぞる。
傷も汚れもない。
それでも、“行ってきた”気配は残っている。
「では、達成報告をお願いします」
ソラが一歩前に出る。
「対象魂獣は処理済みです。魂核を回収しています」
小さな収納具が、静かに帳場へ置かれた。
空間収納は、使わなかった。
使えなかったわけではない。
魂核は、物として扱えるほど安定している反面、完全な“無機物”ではない。
魂の情報を保持したままの状態で、閉じた空間に隔離することは、推奨されていなかった。
「初回の回収は、直接保管が基本です」
そう、ソラが言っていたのを思い出す。
乱れは少なく、衝撃も与えず、状態を確認できるようにするため。
そして何より━━
倒した結果を、自分の手で持ち帰るため。
だから、あえて小さな収納具を使った。
軽くて、脆くて、落とせば壊れてしまいそうな容れ物。
それは、魂核そのものの扱い方を、そのまま形にしたような選択だった。
ミノリはそれを受け取り、慎重に蓋を開ける。
「……確認しますね」
中から現れた魂核は、やはり小さい。
飴玉ほどの大きさ。
ほぼ球体で、無色に近い。
内側にだけ、淡い青白い光が滲んでいる。
専用の器具に載せられ、光の反応が確かめられる。
歪み。
亀裂。
濁り。
「……状態、良好です」
「よかった」
「低級魂獣としては、かなり綺麗ですね」
ミノリは帳簿にペンを走らせながら続ける。
「これなら使用用途も幅広いですね」
「用途?」
「はい。ランタンなどの小型照明具、簡易な生活用具に使われると思います」
その言葉に、カナタは少しだけ目を見開いた。
「……生活用品に?」
「ええ。出力が安定していますから」
魂核は、ただの討伐証明じゃない。
誰かの“暮らし”に回るものになる。
「買取額ですが」
ミノリは、淡々と金額を告げた。
「銀貨3枚と、銅貨5枚です」
決して大金ではない。
けれど、“初めて”としては十分すぎる重み。
「初提出として、文句のない結果ですよ」
「……ありがとうございます」
ミノリは、魂核を別の箱へ移す。
「では、循環処理に回しますね」
「はい」
書類が整えられ、依頼完了の札が返却される。
「これで、正式に達成です」
「……はい」
ギルドを出た瞬間、外の光が少し眩しく感じられた。
「……終わったね」
「はい」
実感は、まだ薄い。
でも、終わったという事実だけは、確かだった。
宿へ戻る道すがら、街はすっかり昼の顔をしていた。
露店の声。
笑い声。
焼き物の匂い。
「明日は」
「はい」
「休み、だよね?」
確認するように言う。
「はい。二日連続で動きました」
「そっか……」
胸の奥が、少し緩む。
「休息も、訓練の一部です」
「それ、いい言い方だね」
ブレンダの宿に戻ると、夕食の支度が始まっていた。
「お、帰ったね」
「ただいま」
「今日はどうだったんだい?」
聞き方は、軽い。
深く踏み込まない、いつもの距離感。
「……初めて、依頼を終えました」
「へえ」
ブレンダは、少しだけ目を細める。
「それは、よかったじゃないの」
「はい」
夕食は、煮込みと焼き魚だった。
素朴で、落ち着く味。
「……おいしい」
「だろ」
食べながら、カナタはぽつりと呟く。
「今日さ」
「うん?」
「ギルドで、ちゃんと“達成”って言われて」
少し、間を置く。
「やっと、ここに居ていいんだって思えた」
「いつまでも居ていいんだよ」
それ以上は、聞かれなかった。
風呂に入り、体を洗う。
湯に浸かると、遅れて疲れが押し寄せる。
腕。
腰。
足。
(……ちゃんと、使った)
部屋に戻ると、夜は静かだった。
ソラが、椅子に腰を下ろす。
「今日の実戦ですが」
「うん」
「全体として、適切でした」
褒め言葉に近い評価。
「でも、疲れた」
「当然です」
カナタは、布団に腰掛ける。
「明日が休みで、よかった」
「ええ。回復が優先です」
「……休み明け、また行こう」
「そうですね。無理しない範囲で行きましょう」
灯りを落とす。
布団に入ると、今日はすぐに意識が沈んでいった。
魂核の光。
ギルドの声。
銀貨の重み。
全部が、ちゃんと“現実”だった。
明日は、休みだ。
何も倒さない日。
それでも、冒険は続いている。




