第11-6話「動き出す理由」~初めて見る魂獣
朝は、静かに始まった。
宿の食堂で出されたのは、ブレンダの美味しい朝食だった。
温かいスープと、サラダにパン。
それだけで十分だと感じられるあたり、もうこの世界の感覚に慣れてきている。
「ちゃんと食べておきましょう」
「分かってる。今日は見るだけ、だもんね」
「はい。観察が主目的です」
カナタは頷き、最後にスープを飲み干した。
胃に落ちる感覚は、相変わらず“それっぽい”だけだ。
けれど、体━━いや、魂が落ち着くのは分かる。
街を出るまでの道は、もう説明するまでもなかった。
門を抜ける。
一歩外に出た瞬間、空気が変わる。
それだけで十分だった。
「……やっぱ、外は違うね」
「街の結界から外れていますから」
そう言って、ソラは歩調を少し落とした。
今日は急ぐ必要がない。
向かう先は、街から半刻ほど離れた湿地帯。
低地に水が溜まり、足場が悪い場所だ。
周囲には膝丈程の草が生い茂ってる。
だからこそ、低級の魂獣が発生しやすい。
歩きながら、ソラは淡々と説明を始めた。
「まず、前提として」
「うん」
「今日、カナタさんがするのは“戦闘”ではありません」
「分かってるよ。見学、でしょ」
「はい。ただし、“見るだけ”でも意識は必要です」
ソラは前を見たまま続ける。
「魂獣との戦いで重要なのは、倒すことではありません」
「……うん」
「目的が異なる、という意味です」
少しだけ、声に柔らかさが混じる。
「魂獣は、生き物ではありません。狭間に留まり、変質し、固定化した魂です」
「受付で聞いたやつだね」
「はい。ですから、討伐とは“排除”ではなく、“処理”に近い」
処理。 その言葉に、カナタは一瞬だけ眉を寄せた。
「でもさ」
「はい」
「それ、倒す?いや……処理していいの?」
「ええ」
迷いのない答え。
「魂獣を放置すれば、環境に干渉します。歪みが拡大し、他の魂を引き寄せる原因にもなります」
「……連鎖する、ってこと?」
「その通りです」
ソラは立ち止まり、足元の湿った地面を指差した。
「この湿地帯も、元はただの低地でした」
「へえ」
「魂の滞留が進み、定着しなかった魂が増え、結果として魂獣が発生するようになったのです」
歩き出す。
靴底が、少しだけ沈む。
「だから、討伐は必要な行為です」
「循環に戻す、って話だよね」
「はい」
ソラは頷いた。
「魂獣を討伐すると、魂核が残ります」
「あれだよね。買取対象の」
「ええ。ただし、本質はそこではありません」
カナタは視線を上げる。
「魂核は、魂が完全に拡散する前の状態です」
「消えかけ、みたいな?」
「正確には、“再分解可能な状態”です」
湿地帯の先に、水面が見え始めた。 空気が、わずかに重くなる。
「魂核が回収され、適切に処理されることで」
ソラは続ける。
「魂は循環へ戻ります。天界を経由し、再配置される可能性が生まれる」
「……完全に終わり、じゃないんだ」
「はい。だからこそ、雑に壊してはいけません」
カナタは、無意識に拳を握った。
「強い攻撃で消し飛ばすと」
「核が残らない」
「そうです。魂は散逸し、循環に戻れません」
その言葉は、静かだった。
けれど、重かった。
「だから、Eランクでは」
ソラは足を止める。
「戦闘技術よりも、“制御”が重視されます」
湿地の縁に立つ。
水音が、近い。
「スライムは、低級魂獣の代表例です」
「見た目も、いかにもって感じだよね」
「はい。反応は単純。刺激に対して、圧縮・拡散で応じます」
まるで、教材の説明だ。
だが、これから実物を見ると思うと、背中が少しだけ強張る。
「核は、中心部にあります」
「真ん中?」
「ええ。ただし、攻撃を加えると位置が変動します」
「……やっかい」
「だから、観察が必要です」
草の擦れる、微かな音がした。
湿った地面に生えた背の低い草が、不自然に揺れる。
風のせいではない。
その揺れは、一定のリズムを持っていた。
カナタは足を止める。
反射的に、息を潜めていた。
呼吸は必要ない。
分かっている。
それでも━━そうしてしまう。
「……あれ?」
草むらの奥で、何かが動いた。
押し分けるように、ゆっくりと姿を現す。
半透明の塊。
淡い光を内側に溜めた、不定形の存在。
「スライムです」
ソラの声は、いつもと変わらず静かだった。
草の上を滑るように進むそれは、確かに“そこに在る”。
けれど、目がない。
口も、表情もない。
それなのに━━
(……本当に、いる)
胸の奥が、わずかにざわついた。
小説で読んで知ってる存在。
何度も、色んな物語で倒してきたことがある。
最初の敵。
最弱の魔物。
チュートリアル。
そんな言葉が、次々と思い浮かぶ。
けれど、目の前のそれは、物語の向こうの存在じゃない。
文章の中の設定でもない。
湿った草の匂いと一緒に、現実としてそこにいる。
「……思ったより」
言葉が、少しだけ詰まる。
「はい」
「……怖くない、かも」
自分でも意外だった。
もっと気味が悪いと思っていた。
もっと、嫌悪感があるものだと。
でも実際には━━
(ああ……これが)
初めて“魔物=魂獣”と呼ばれる存在を、現実で見たという感覚。
恐怖よりも、先に来たのは。
実感だった。
ソラは、その言葉を否定しなかった。
「ですが」
「うん」
「油断は禁物です」
スライムは、こちらの存在を感知したのか、動きを止めた。
次の瞬間、体表がわずかに歪む。
丸かった輪郭が、不安定に揺らぐ。
攻撃的な構えではない。
威嚇でもない。
ただ━━反応しているだけ。
(……生き物、じゃないんだよね)
ミノリの説明が、頭をよぎる。
魂が変質した存在。
意思があるかどうかも、定かではないもの。
それでも。
カナタは、目を離せなかった。
初めて物語の中でしか知らなかった存在が、 今、同じ世界に立っている。
その事実が、静かに胸に残っていた。
「今日は、ここまでです」
「え、もう?」
「十分です」
ソラは一歩、前に出て、軽く手を掲げた。
それだけで、スライムは動きを止めた。
「……今の、何したの?」
「干渉です」
「攻撃じゃないんだ」
「はい。存在を示しただけです」
スライムは、しばらくすると、再び草むらの中へと入っていった。
「今日は、戦いません」
ソラは振り返る。
「見て、感じて、理解する。それで十分です」
カナタは、草むらを見渡した。
怖くないわけじゃない。
でも、逃げ出したくなるほどでもない。
「……次は?」
「次は、実戦です」
「だよね」
カナタは、苦笑する。
「武器、ちゃんと要るね」
「はい。制御のためにも」
「回復薬も」
「もちろんです」
来た道を、引き返す。
足取りは、来た時よりも少しだけ重い。
でも、それは悪い重さじゃなかった。
初めて“戦う相手”を見た。
初めて“倒す意味”を知った。
「……ねえ、ソラ」
「はい」
「ちゃんと、やれるかな?」
「問題ありません」
即答だった。
「今日の観察で、十分な理解が得られました」
「……評価、早くない?」
ソラは一瞬だけ考える素振りを見せてから、答えた。
「事実です」
カナタは、小さく息を吐く。
そして、少しだけ笑った。
「そっか」
それなら。
一歩ずつ、でいい。
そう思えるだけの材料は、もう揃っていた。




