第11-3話「動き出す理由」~昇格通知
朝のギルドは、いつもと同じ時間に扉を開けた。
木製の扉が軋む音。
外から流れ込む人の気配。
ミノリは、いつもと同じ位置に立ち、いつもと同じ動作で帳場を整えていた。
けれど、昨夜のことが頭から離れない。
例外。
秘匿。
指名。
それらの言葉は、重くはない。
ただ、確実に意味を持っていた。
(……業務上必要な範囲、ね)
自分に言い聞かせるように、心の中で繰り返す。
受付嬢としての顔に、意識を戻す。
ほどなく、見慣れた気配が扉をくぐる。
カナタと、ソラ。
「おはようございます」
いつも通りの声。
いつも通りの距離。
「おはよう」
「おはようございます」
二人が近づいてくる前に、ミノリは一枚の書類を取り出した。
すでに署名は済んでいる。
承認印も、押されている。
業務だ。
そう自分に言い聞かせて、口を開く。
「本日は、依頼の受付の前にお伝えすることがあります」 「え?」
カナタが小さく首を傾げる。
ソラは、静かに続きを待っている。
「昨日時点での達成状況をもとに、ギルド内で審査が行われました」
必要な説明だけを、過不足なく。
「その結果━━」
一拍。
「カナタさん、ソラさん。お二人はEランクへ昇格となります」 「……え。昇格?」
カナタが目を瞬かせる。
想定していなかった、というより、まだ実感が追いついていない反応だった。
「おめでとうございます」
ミノリは、受付嬢としての正式な笑みを浮かべ、そう告げた。
「え、もう?」
「はい。規定数の達成、依頼選定の安定性、完了率、報告内容。すべて問題ありませんでした」
「そっか……」
カナタは、少し考えるように視線を彷徨わせてから、肩をすくめる。
「……実感、あんまりないな」
「急ぐ必要はありません」
ミノリは、落ち着いた声で続ける。
「昇格は結果です。やってきたことが、そのまま反映されただけですから」
「そうなんですか」
「はい」
ソラが一歩、カナタの隣に立つ。
「妥当な判断です」
「ソラまで即答だね」
「事実ですので」
そのやり取りに、ミノリは内心で小さく息を吐いた。
(やっぱり、落ち着いてる)
昇格に浮き足立らない。
だが、軽んじてもいない。
「こちらが、新しい冒険者証になります」
ミノリは、まずカナタの方へそれを差し出した。
小さな金属板。
鎖が通された、ドックタグに似た冒険者証だ。
「更新分ですね」
「はい。Fランク登録時と同じ形式です」
カナタは受け取り、指先で軽く持ち上げる。
ひんやりとした、慣れた重み。
「やっぱり、今回もこれか」
「はい。前回に引き続き、これでの対応となります」
確認するような、事務的なやり取り。
「紛失しなければ問題ありません。照合は問題なく行えます」 「うん。首から外さないようにするよ」
カナタは軽く笑い、鎖を指に絡めた。
ミノリは頷き、次にソラへ視線を向ける。
「ソラさんは、魂登録の更新になります」
「はい」
ソラは静かに目を閉じる。
すでに一度、登録は済んでいる。
今回は昇級に伴う情報更新のみ。
魂の奥で、微かな反響が生まれ、ランク情報が上書きされていく。
「……更新、完了しました」
「確認できました。Eランクです」
カナタは横から、その様子を見ていた。
「ソラは楽でいいよね」
「管理上は、効率的です」
「効率で片付けられると、なんか複雑だけど」
冗談めかした言葉に、ソラは特に反応を示さない。
カナタは、自分の冒険者証を一度だけ握りしめる。
「まあ、これも慣れたしね」
「はい」
ミノリは一度だけ、深く息を整えた。
「改めて、ご説明しますね」
受付台の内側で、彼女は一枚ずつ書類を広げていく。 それは、Eランク冒険者向けの依頼区分表だった。
「Eランクに昇格したことで、受注できる依頼の範囲が広がります」
「範囲……ですか?」
「はい。主に内容と危険度の両方です」
ミノリは指先で項目を示す。
「これまでのFランクでは、街内部および外縁近辺での雑務、採取、非戦闘依頼が中心でした」
「うん。運搬とか、掃除とか」
「はい」
一瞬だけ、柔らかく頷いてから、次の行に指を移す。
「Eランクからは、低級魂獣の討伐依頼が正式に受注可能になります」
「……魂獣?」
「はい」
その言葉に、わずかな重みが乗る。
「もちろん、対象は低級に限られます。単体行動が基本で、知能が低く、被害規模も限定的なものです」
「それでも、危険はあるよね」
「ええ。だからこそ、ランク制限があります」
ミノリは視線を上げ、二人をまっすぐに見る。
「Eランクは、“危険を理解したうえで対処できるか”が判断基準になります」
「なるほど」
「成功率や戦闘能力だけでなく、撤退判断も含めて、です」
ソラが静かに口を挟んだ。
「呼称について、補足はありますか?」
「はい。そこも重要なので」
ミノリは、少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。
「まず、ギルドの公的文書では、これらの存在を『魂獣』、あるいは『逸脱魂』と呼びます」
「魂獣……逸脱魂」
「狭間に留まり、循環から外れた魂が、環境の影響を受けて変質・固定化した存在、という定義です」
淡々とした説明。
だが、その内容は軽くはない。
「一方で」
ミノリは続ける。
「冒険者の間では、単純に『魂獣』、あるいは『魔物』と呼ばれることが多いですね。実地では、その方が通じやすいので」
「なるほど、現場用の言い方」
「はい」
カナタが首を傾げる。
「じゃあ、市民は?」
「一般の方々は、『魔物』や『迷い物』と呼ぶことが多いです」 「迷い物……」
「正確な知識というより、“近づいてはいけない存在”としての呼び名ですね」
ミノリは小さく息を整える。
「呼び方は立場によって違いますが」
視線を二人に戻す。
「指しているものは、すべて同じです。循環から外れ、狭間に留まり続けた魂の成れの果てです」
カナタは、ゆっくりとうなずいた。
「つまり……生き物っていうより」
「魂の残滓、あるいは歪んだ固定体ですね」
「うん、やっぱ重いな」
ミノリは一度だけ頷き、話を先に進めた。
「そのため、魂獣━━いわゆる魔物を討伐すると━━」
彼女は、別の資料を取り出す。
「魂の核。魂核と呼ばれるものが残ります」
カナタは小さく目を見開いた。
「魂核、って?」
「魂の中心部分です。完全に消滅する直前の、凝縮された情報体と考えてください」
「……それ、どうするの?」
ミノリは迷いなく答える。
「ギルドが買取対象としています」
「え」
「正式な戦利品扱いです。依頼報酬とは別枠になります」
カナタは、思わずソラを見る。
「……なんか、急に現実的」
「合理的です」
ソラは即答した。
「魂核は、術式材料、研究資料、結界の維持、魂循環の補助など、多用途に利用されます」
「うわ、用途多い」
「はい。そのため、損傷の少ない状態での回収は評価対象にもなります」
ミノリは、ほんの少しだけ声を和らげる。
「ただし、無理は禁物です」
「無理すると?」
「核の破損、戦闘不能、最悪の場合……魂そのものに負荷が残ります」
その言葉に、場の空気が一段、引き締まった。
「Eランクになったからといって、戦闘を義務づけられるわけではありません」
ミノリは、はっきりと続ける。
「あくまで、選択肢が増えただけです」
カナタは腕を組み、少し考え込む。
「……選べる、ってことだよね?」
「はい」
「やらない、も選べる」
「もちろんです」
ソラが小さく頷いた。
「現時点でのカナタさんの能力であれば、低級魂獣への対応は可能と判断されます」
「判断、早くない?」
「データに基づいています」
「そっか……大丈夫なのか」
そのやり取りを見て、ミノリはほんの少しだけ表情を緩めた。
「ですので」
書類を整え、結論を告げる。
「次に受注される依頼は、Eランク向けのものから選択可能です」
そして、穏やかに付け加えた。
「準備が整ってからで、構いません」
それは、受付嬢としての言葉であり。
同時に━━
彼女自身の、ささやかな配慮でもあった。




