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第10-幕間-1「女店主ブレンダ」~宿に馴染むということ

旦那と始めたこの宿も、気づけばすっかり街に馴染んだ。


外縁に近いこの場所は、人の入れ替わりが多い。

特に多いのは、こちらへ来たばかりの客だ。

表情が固く、視線が落ち着かず、必要以上に周囲を警戒している。

そういう人たちを、私は何人も見てきた。


私の仕事は料理。

朝と夜に、きちんとした食事を出すこと。


野菜を刻み、肉を煮込み、スープの味を整える。

香りが立ち始める頃には、宿全体が少しだけ“生活の匂い”に包まれる。


それが好きだった。

あの2人が来たのも、そんな昼下がりだった。


受付の方から聞こえた旦那の声に、私は鍋をかき混ぜる手を止めずに耳を澄ませる。

宿泊の確認。

部屋の説明。

ごく普通のやり取り。


ちらりと覗いたとき、最初に目に入ったのは女の子の髪だった。

空色。

光の当たり方によって、青にも白にも見える、不思議な色。

派手ではないのに、なぜか目を引く。


その隣に、男。

年齢は若いが、どこか慎重な雰囲気があった。

周囲を見回す視線が、少しだけ遅れる。

慣れていない場所に来たときの、あの感じ。


「ようこそ」


私は一度、台所から出て声をかけた。

二人は同時にこちらを見る。


「食事は、朝と夜に用意しています。無理のない時間で、降りてきて」


男の方が、少し驚いたように目を瞬かせたあと、頷いた。

女の子は、その一拍遅れて、静かに頭を下げる。


「……ありがとうございます」


その声は柔らかく、落ち着いていた。


最初の夜。


二人は、ほとんど言葉を発さずに食事をしていた。

特に男の方は、スプーンを持つ手が少し硬い。

味を確かめるように、慎重に口に運び、ゆっくり噛む。


「……美味しいです」


ぽつりと漏れたその一言が、妙に胸に残った。

愛想ではない。

本当に、確かめるような声。


それから数日。


男━━カナタという名前だと分かった。

そんなカナタが、少しずつ変わっていくように見えた。


宿に来たばかりの頃のことを、ふと思い出す。


カナタは、椅子に腰掛ける前、必ず一度だけ周囲を見回していた。

誰かが自分を見ていないか、音はしないか。

そんな確認を、無意識にしているような視線。


食事が運ばれても、すぐには手をつけず、一拍置いてから、ようやくスプーンを取っていた。


あれは、ここが安全かどうかを、身体で測っている人の仕草だった。


最初は、食堂に降りてくるのも遠慮がちだった。

席に着くと背筋が伸び、周囲を気にしながら食べていた。

パンを割る音すら、控えめだった。


けれど、今は違う。

椅子に腰掛けるときの動きが自然になり、

シチューが運ばれると、湯気に目を細める。


「今日も、いい匂いですね」


そう言ってくれるようになった。

その一言だけで、仕込みの疲れが少し和らぐ。


スプーンを動かす速度も、前より早い。

具だくさんのシチューを、ちゃんと“食事”として楽しんでいる。

パンで皿の底をぬぐう仕草も、もうためらいがない。



おかわりしていいよっと言った時。


「……後で頼もうかな」


そう言われたときは、思わず笑ってしまった。


「もちろん。たくさん作ってあるからね」


ソラは、相変わらず静かだ。

食事中も多くは話さず、カナタの様子をさりげなく見ている。

見守る、というより、何かが揺れないかを確かめているような視線。

ああいう目をする人は、そう多くない。


けれど、以前よりも視線に張りつめた感じはない。

来たばかりの頃は、二人ともどこか“借りてきた”空気をまとっていた。


今は、違う。

完全に溶け込んだわけじゃない。

それでも、ここに“居る”ことを受け入れ始めている。


だからといって、踏み込みすぎるつもりはない。

宿は、居場所になっても、居着かせる場所じゃない。

それくらいの距離が、ちょうどいい。


ある晩、食器を下げながら、私は何気なく言った。


「この街にも、だいぶ慣れたんじゃない?」


カナタは少し考えてから、照れたように笑った。


「……はい。最初は、何もかも分からなくて」

「今は?」

「今は……帰ってきた、って感じがします」


その言葉に、私は一瞬だけ手を止めた。

宿屋にとって、“帰ってきた”と言われるのは悪くない。


ソラはその横で、静かに頷いていた。

空色の髪が、灯りを受けて淡く揺れる。


二人が部屋へ戻ったあと、私は鍋を洗いながら思う。

外縁の近くでは、人はよく変わる。

環境に慣れ、空気を吸い、食事をして、少しずつ表情が和らぐ。

それでも、あの変化は、どこか穏やかで丁寧だった。


今日も、明日も。

私は料理を作る。


旦那は受付に立つ。


二人は、宿に戻ってきて、食事をとる。


それだけのこと。

それだけで、十分だと思えた。


宿というのは、誰かが“慣れていく過程”を静かに見守る場所なのだから。



ブレンダ ━━プロフィール

基本情報

名前:ブレンダ

性別:女性

年齢:30代後半〜40代前半(本人は明言しない)

立場:宿屋の女主人

担当:厨房・料理全般

居住地:外縁近くの街・インテルム

家族:夫(宿の受付・帳場担当)

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