第10-3話「続けられる日々」~まだ言葉にしない理由
人の流れに紛れながら、二人はゆっくりと通りを進んでいた。
昼に近づくにつれて、街はさらに賑わいを増している。
露店の呼び声、荷車の軋む音、行き交う人々の足取り。
どれもが、昨日までと変わらない。
カナタは、歩きながらふと口を開いた。
「そういえばさ……」
「はい」
「この街って、誰が治めてるんだろ」
歩きながら、ふと思いついた疑問だった。
「町長とか、市長みたいなの?」
「この規模の街ですと、直接の行政長は置かれていません」
「じゃあ……王国の役人?」
「最終的な統治権は、王国から任じられた領主にあります」
「領主様、か」
カナタは、少しだけ視線を上げる。
街並みの向こうに、石造りの建物が見えた。
「やっぱり、貴族なんだよね」
「ええ。この街は、○○伯爵家の領地に含まれています」
その言葉に、カナタは小さく頷きつつも、眉をひそめた。
「……代々、ってやつ?」
「はい」
ソラは、歩調を合わせたまま答える。
「この世界の貴族の多くは、血統を重んじます。代々、魂の系譜を継ぐ形ですね」
「魂の、系譜……」
少し考え込む。
そこで、素直な疑問が浮かんだ。
「でもさ」
「はい」
「ここって“狭間”だよね。いろんな世界から魂が来る場所で……」
言葉を探しながら続ける。
「生前は、普通の人だった魂がさ。いきなり伯爵とか、王様になることって、あるの?」
ソラは一拍、間を置いた。 答えを選んでいるようだった。
「基本的には、ありません」
「だよね」
「貴族階級の多くは、この世界に長く留まり、代々、同じ家系として魂が循環している存在です」
「循環……固定、みたいな?」
「近いですね」
ソラは静かに頷く。
「魂がこの世界に深く定着し、役割を継承することで“家”として認識されるようになります」
カナタは、なんとなく納得しつつも、首を傾げた。
「じゃあさ。生前が日本人で、会社員とか学生だった魂は?
「多くは、外縁から始まります」
「外縁……冒険者とか、商人とか?」
「ええ。功績を積み、影響力を持てば、爵位を授かる例も存在します。主に男爵位などですが」
「なるほど……」
少しだけ、現実的だ。
「じゃあ、王様は?」
「王位は、ほぼ例外なく、長い魂の連なりを持つ家系が継ぎます」
「やっぱりか」
カナタは苦笑した。
「なんか、日本と真逆なとこもあるな」
「と、言いますと?」
「日本だとさ。総理大臣とか、選挙で決まるんだよ」
「選挙……」
ソラは、その言葉を反芻する。
「民が代表を選ぶ制度ですね」
「そうそう。王様いないし」
「興味深いですね」
少しだけ、ソラの声に好奇心が混じる。
「この世界にも、そうした国は存在します」
「え、あるんだ」
「はい。評議会制、選挙制、代表制……大統領や首相と呼ばれる役職を持つ国もあります」
「へぇ……」
カナタは目を丸くした。
「王国って名乗ってても、中身は全然違うとこもあるってこと?」
「その通りです」
「民主主義とか、社会主義とか……?」
「概念としては、近いですね」
しばらく、歩きながら考える。
「……魂が集まる世界だからこそ、いろんなやり方があるって感じか」
「はい」
ソラは、少しだけ微笑んだ。
「この世界は、一つの答えを選んでいません」
カナタは、空を見上げる。
「……なんか、面白いな」
「そうですね」
街の喧騒の中で、 世界の仕組みが、ほんの少しだけ輪郭を持った気がした。
街は今日も、何事もないように動いている。
露店は声を張り、人は笑い、子どもが走り回る。
その裏側に、見えない監視と、見えない抑止があることを、カナタは今、静かに理解していた。
「……守られてるんだな」
「はい」
ソラは、短く答える。
「それで、十分です」
カナタは小さく頷いた。
通りを二つほど曲がったところで、カナタは足を止めた。
「……ここ、かな」
言い切りではない。
確信も、半分くらい。
目の前にあるのは、小さな店だった。
派手な看板はなく、通りに溶け込むような木造の外観。
窓辺に飾られたガラスケースには、指輪や首飾りが控えめに並んでいる。
高級店、という雰囲気ではない。
だが、雑多でもない。
「ここは……?」
ソラが、静かに首を傾げる。
「アクセサリーの店、だと思う」
「“思う”、ですか」
「うん……前に一度、この街を歩いたときに見つけてて」
カナタは、少し視線を逸らす。
「ずっと、気になってたんだ」
理由は、言わない。
まだ、言えない。
扉の前で、一瞬だけ立ち止まる。
取っ手に手を伸ばしては、引っ込める。
(……大丈夫だよな)
そう自分に言い聞かせてから、意を決して扉を押した。
「いらっしゃいませ」
鈴の音と同時に、すぐ声が飛んできた。
店内は、外から見るよりも少しだけ広い。
木の棚に並ぶ銀色の細工。
ガラスケースの中で、石が控えめに光を返している。
店員は若い女性だった。
柔らかな笑顔で、二人を見ている。
「ご覧になりますか?」
「あ、えっと……」
カナタは、そこで言葉に詰まった。
何をどうすればいいのか、分からない。
買い物という行為そのものが、記憶にない。
値段を見る、声をかける、選ぶ━━
どれも、経験として欠けていた。
(……そういえば)
生前。
病室と検査室と、白い廊下。
外に出ることすら稀で、店で何かを買うという選択肢自体が、存在しなかった。
「……見る、だけで」
ようやく出た声は、少し小さい。
「もちろんです」
即答だった。
構えなくていい、と言われているようで、
カナタはわずかに肩の力を抜いた。
ソラは、静かに店内を見回している。
「高価な品ばかり、というわけではないのですね」
「ええ。普段使いのものも多いですよ」
そのやり取りを聞いて、カナタは内心で息をつく。
(よかった……)
ガラスケースの前に立つ。
指輪、首飾り、耳飾り。
どれも、きらきらしていて、どこか現実感がない。
その中で、視線が止まった。
淡い、空色。
透き通った石が、銀の枠に収められている。
値札には、はっきりと“装飾用”と書かれていた。
だが━━色が、きれいだった。
噴水の水のような、
空を映したような、
静かな色。
(……)
理由は、言葉にできない。
ただ、目が離れなかった。
「……あの」
「はい?」
店員がすぐに応じる。
「これ……」
指先で、ガラス越しに示す。
「見せてもらえますか?」
「かしこまりました」
鍵の音。
ケースが開き、首飾りが差し出される。
近くで見ると、石は小さい。
だが、光を受けて、柔らかく色を変える。
カナタは、そっと息を飲んだ。
(……初めてだな)
自分の意思で、自分のために━━いや、“誰かを思って”何かを選ぶのは。
「それは……?」
隣から、ソラの声がした。
「その……」
少し考え、曖昧に言う。
「気になっただけ」
ソラは、首飾りとカナタを見比べる。
「……そうですか」
追及はしない。
ただ、不思議そうではあった。
値段を見る。
銀貨一枚と、少し。
懐の重みを思い出す。
無理はない。
(……うん)
カナタは、小さく頷いた。
「……これ、ください」
「ありがとうございます」
店員は、丁寧に包み始める。
布で包まれたそれを受け取った瞬間、カナタは、胸の奥が少しだけ落ち着くのを感じた。
初めての買い物。
生まれて初めての、選択。
緊張は残っている。
だが、それ以上に━━
不思議と、後悔はなかった。
店を出ると、通りの音が戻ってくる。
「何か、必要なものだったのですか?」
歩きながら、ソラが静かに尋ねる。
「……うーん」
カナタは、包みを外套の内側にしまいながら、曖昧に笑った。
「そのうち、分かるよ」
「……そうですか」
二人は、並んで歩き出す。
街のざわめきの中へ。
まだ言葉にしない“理由”を、胸にしまったまま。
それは、次の場所━━噴水の広場へと、確かにつながっていた。




