第4-1話「狭間の基礎」~役目を持つ魂
遠くの地平線に、砂煙が揺れていた。
巻き上がる砂の粒は淡く光を帯び、ゆっくりと舞い落ちていく。
空は、生前に見慣れていた色とほとんど変わらない。
青とも透明ともつかない曖昧な色合いで、雲のようなものが静かに漂っている。
けれど、太陽はない。
それでも世界は明るい。昼とも夜とも言えない、時間の境目が溶けたような光の下。
「……ここの世界の空は、生前とあまり変わらないんですね」
歩きながら、カナタはぽつりと呟いた。
隣を歩くソラが、少しだけ視線を向ける。
空色の髪が風に揺れ、その色は青にも白にも見えた。
「そう見えるだけです」
彼女は穏やかな声で言った。
「ここにある空も光も、物理的なものではありません。魂が世界を理解するために作り出している――いわば、認識のための形です」
風が頬を撫でる。
砂が足元で崩れ、靴底に感触が伝わる。
「じゃあ、この風も……?」
「ええ。カナタさんが“風がある世界”を知っているから、そう感じているだけです」
カナタは小さく息を吐いた。
「……本当に、生前の世界にいるみたいです」
その言葉に、ソラはほんの一瞬だけ表情を緩めた。
「錯覚してしまう魂は多いです。狭間は、そういう場所ですから」
砂煙の向こうに、かすかな影が揺れる。
それが何であるかは分からないのに、不思議と恐怖は湧いてこなかった。
敵意がない。
理由は分からないが、そう感じていた。
カナタは歩きながら、ふと隣を見る。
ソラは淡々と前を見据えている。
姿勢はまっすぐで、足取りにも迷いがない。
(……ソラは、狭間に慣れている)
そう思った瞬間、胸の奥に小さな疑問が生まれた。
「……ソラ」
名を呼ぶと、彼女は自然に応じた。
「はい、カナタさん」
呼び返されるだけで、少しだけ心が落ち着く。
「ソラは……どういう存在なんですか?」
自分でも、少し唐突な質問だと思った。
けれど、今のうちに聞いておきたい気がした。
ソラはすぐには答えず、歩きながら視線を空に向ける。
「私は、狭間での生活をサポートする役目です」
「……役目、ですか」
「ええ。狭間に降り立った魂が、この世界を理解し、生き延びるための補助を行います」
淡々とした説明。
けれど、その声には、どこか人間らしい温度があった。
「じゃあ、ソラ自身は……魂、なんですよね?」
「はい。私も、カナタさんと同じ“魂”です」
その答えに、カナタは一瞬だけ言葉を失う
(同じ……?)
彼女は、あまりにも自然にここにいる。
まるで、この世界の一部のように。
「狭間に長くいるんですか?」
「時間の感じ方が違うので、正確には答えられませんが……カナタさんよりは、少しだけ長く」
少しだけ、という言い方が引っかかった。
だが、深く踏み込んでいい話題なのか、判断がつかない。
「……案内人と、知り合いなんですか?」
その問いに、ソラは一瞬だけ視線を逸らした。
「仕事上の関係、ですね」
それ以上は語らない。
だが、完全に拒んでいるわけでもない。
(……いつか、聞ける時が来るのかもしれない)
そう思えた。
荒野はどこまでも広く、地平線は揺らいでいる。
光も風も、すべてが曖昧で、それでも確かに“そこにある”。
「カナタさんは、不安はありませんか?」
ソラが、今度は逆に尋ねてきた。
さらに続けて━━
「この世界に、突然放り出されて不安はありませんか?」
カナタは少し考え、首を振った。
「不安より……知りたい、って気持ちの方が強いです」
それは本心だった。
生前、何も知らないまま終わっていった人生。
今度こそ、自分の足で、世界を理解したい。
ソラはその答えを聞いて、静かにうなずいた。
「それなら、きっと大丈夫です」
「どうして、そう言えるんですか?」
「知ろうとする魂は、狭間で折れにくいからです」
砂煙が、また一つ、地平線で揺れた。
この荒野の先に、何があるのかは分からない。
けれど――
(まずは、この人のことを知りたい)
カナタは、隣を歩くソラをちらりと見て、そう思った。
狭間での学びは、世界を知ることだけではない。
共に歩く存在を知ることも、また一つの試練なのだと。
――そんな予感を胸に。




