第10-2話「続けられる日々」~銀貨三枚の重み
宿を出ると、街はすでに賑わっていた。
朝の冷えはまだ残っているが、人の流れは途切れていない。
露店の呼び声、荷車の軋む音、石畳を叩く足音。
それらが重なり合い、街は今日も当たり前のように動いている。
「今日も、人多いね」
歩きながら、カナタがぽつりと呟いた。
「この時間帯は、依頼の報告と受注が重なります」
ソラの声は穏やかで、歩調とよく合っていた。
人混みの中でも、不思議と耳に残る。
街に来てから、今日で四日目。
初日に感じた居心地の悪さは、少しずつ薄れてきている。
それでも━━
ギルドの建物が見えてくると、自然と背筋が伸びた。
「……ちゃんと、終わらせよう」
「はい。問題ありません」
ソラの短い返答に、カナタは小さく頷いた。
ギルドの扉を押し開けると、内部は朝特有のざわめきに満ちていた。
掲示板の前で依頼書を睨む冒険者たち。
報告を終えて笑い合う者。
受付に並ぶ列は、思ったよりも短い。
空いている窓口に並び、順番が回ってくる。
「おはようございます。ご用件をどうぞ」
受付の女性が、柔らかく声をかけてきた。
「依頼の達成報告です。採取物の提出を」
「承りました。では、提出物をお願いします」
カナタが視線を向けると、ソラが一歩前に出る。
何もない空間に、指先が触れた。
空気が、わずかに歪む。
次の瞬間、丁寧に束ねられたキノコが、静かに現れた。
「……あ」
受付の女性は、一瞬だけ目を瞬かせた。
「空間収納、ですね。いえ……失礼しました。確認します」
驚きは、ほんの一瞬。
すぐに業務用の表情へ戻り、キノコを手に取る。
だが、その動きが途中で止まった。
「……少々、よろしいですか」
顔を上げ、二人を見る。
「こちら、どちらで収穫されましたか?この周辺では、あまり見かけない品質ですので」
カナタは、少しだけ言葉に詰まる。
森の奥。
影の檻。
閉じ込められるような感覚。
だが、それを語る必要はない。
その間に、ソラが静かに口を開いた。
「森の奥寄りです。人の手があまり入らない区域でしたので」 「……なるほど」
受付は納得したように頷き、再びキノコへ視線を落とす。
「鮮度も高いですね。胞子の傷みもほとんどありません」
一度キノコを置き、顔を上げる。
「こちら、査定に回します。少々お待ちいただけますか?」
「はい」
二人は、壁際へ移動した。
「……やっぱり、良かったんだ」
「品質は安定しています。評価が下がる要素はありません」
「そっか……」
待っている間、周囲の会話が耳に入る。
依頼の愚痴、報酬の話、次に行く森の噂。
(……冒険者、なんだな)
ふと、そんなことを思う。
ほどなくして、受付が戻ってきた。
「お待たせしました」
査定結果書を机に置き、はっきり告げる。
「査定の結果ですが━━品質がとても良質でしたので、通常報酬の三倍の価格となります」
一拍。
机の上に、銀貨が3枚。
その横に、銅貨が数枚添えられた。
澄んだ金属音が、静かに響く。
カナタは、思わず目を瞬かせた。
(……銀貨、3枚)
頭の中で、自然と計算が走る。
宿代と食費を差し引いても、数日は余裕がある。
見習いの身には、十分すぎる報酬だった。
「……ありがとうございます」
「こちらこそ。良い品でした」
袋を受け取り、その重みを確かめる。
胸の奥に、静かな達成感が広がった。
立ち去ろうとして━━ふと、足が止まる。
「あの……」
「はい?」
受付の女性が、顔を上げた。
「一つ、聞いてもいいですか?」
「どうぞ」
少しだけ言葉を選ぶ。
「ギルドのランクって…… どういう条件で、上がるんでしょうか?」
女性は一瞬考えるように視線を伏せてから、答えた。
「基本は、依頼の達成数と評価です。難易度の高い依頼を、安定してこなすことですね」
「評価……」
「はい。依頼主からの評価と、ギルド内部での査定が含まれます」
「内部……ですか」
「ええ。受付での対応履歴も、その一つです」
そう言いながらも、彼女は手を止めず、 丁寧に書類を整えている。
年の頃は20歳前後。
明るすぎない栗色の髪を後ろでまとめ、 制服もきちんと着こなしていた。
派手さはないが、清潔感がある。
そして━━顔立ち。
目鼻立ちは整っているが、彫りは深すぎない。
柔らかな輪郭に、落ち着いた目元。
どこか、見覚えのある印象だった。
一瞬、動きが止まった。
言葉にする前に、感覚が先に気づく。
この街に来てから、 こういう顔立ちを見るのは、ほとんどなかった。
「実は、受付は指名することもできるんです」
自然な流れで、そう続けられる。
「指名……?」
「はい。指名が多い冒険者は、手続きが円滑で、トラブルが少ないと判断されます」
口調は丁寧で、感情を前に出しすぎない。
その話し方もまた、どこか懐かしい。
「その分、評価にも反映されますし…… 私たち受付側の査定にも、影響します」
ほんの少し、照れたように微笑んだ。
その瞬間、カナタの中で、 さきほどの違和感がはっきりとした形になる。
(……日本人っぽい)
表情の作り方や、距離の取り方まで含めて。
「私は、ミノリと言います」
「ミノリさん……」
名を聞いた瞬間、確信に近いものが胸に落ちた。
だが、すぐに尋ねるのは、やはりためらわれる。
カナタは、ほんの一瞬だけソラを見る。
「……ソラ」
「はい」
声を落とす。
「名前とか出身って、こういう場で聞くの…… やっぱり、失礼かな?」
ソラは一拍考え、
「配慮した上で尋ねるのであれば、 問題になる可能性は低いと思います」
「そうなんだね。わかった」
小さく頷いてから、ミノリへ向き直る。
「えっと……」
言葉を選びながら。
「もし、差し支えなければなんですけど」
「はい?」
少し言うのを躊躇いながら。
「……僕、生前は日本人だったんです」
先に、自分のことを伝える。
「それで……」
少し曖昧に笑う。
「ミノリさんの名前とか、雰囲気が、少し似てるなって思いまして」
一瞬、ミノリの目が丸くなる。
それから、ふっと息を吐いて、表情を緩めた。
「……やっぱり、分かりますか」
「え」
「私も、日本出身です」
小さく肩をすくめる。
「生前の話、ですけど」
その言葉は、驚くほど自然だった。
「……やっぱりそうでしたか」
カナタは、少しだけ笑った。
この世界に来てから、 同じ“向こう側”を知る人に会うのは、初めてだった。
「だからでしょうね」
ミノリは、少し照れたように言う。
「最初から、なんとなく話しやすい感じがしたのは」
そして、仕事用の表情に戻る。
「もしよろしければ、次回から私を指名してください。 責任を持って対応しますので」
押しつけがましさはない。
ただ、誠実な申し出だった。
カナタは、少し考えてから頷く。
「……じゃあ、お願いしようかな」
「ありがとうございます」
ミノリは、控えめだが、 確かに嬉しそうな笑顔を見せた。
ギルドを出ると、街の音が一気に押し寄せてくる。
「……ランク、ちゃんと考えないとだね」
「焦る必要はありません」
「うん。でも……知れてよかった」
報酬の袋を、そっと握り直す。
「今日は、このあと休みだよね」
「はい。予定通りです」
確認するように言ってから、カナタは少し間を置いた。
「……少し、行きたいところがあるんだよね」
「街の中、ですか」
「うん。気になる店があって。時間もあるし、付き合ってもらえる?」
押しつけるような言い方ではない。
思いついたことを、そのまま口にしたような調子だった。
ソラは一瞬だけ考える素振りを見せ、それから小さく頷く。
「問題ありません。案内します」
「ありがとう」
二人は向きを変え、人の流れに身を任せる。
露店の並ぶ通りへ。
昼に向かって、少しずつ活気を増していく街の中へ。
無理をしない。
背伸びもしない。
それでも、足取りは確かだった。
銀貨3枚の重みを懐に感じながら、二人は並んで、街の奥へと歩いていった。




