第10-1話「続けられる日々」~休むことを選ぶ日
朝は、音を立てずに訪れた。
カナタは、薄くなった夢の縁から、ゆっくりと意識を引き上げられるように目を覚ました。
瞼を閉じたまま、最初に感じたのは━━呼吸。
深く、一定で、乱れがない。
胸の奥に、妙な引っかかりも、ざわつきもない。
(……生きてる)
そんな、どうでもいい確認を頭の中でしてから、カナタはゆっくりと目を開けた。
見慣れた宿の天井。
木目の板に、細かな傷。
昨夜、灯りを落とした魔導灯は、すでに力を抜いて淡く光っている。
「……朝か」
体を起こすと、軋みはない。
以前なら、どこかしらが重く、だるく、起き上がるだけで一拍置いていたはずだ。
だが今日は、すっと動けた。
(疲れは……残ってないな)
魂の内側に意識を落とす。
強く触れない。
探らない。
ただ、存在を確かめる。
過剰なうねりはない。
「……少し、慣れてきたか」
呟きは、独り言だ。
そのとき、隣の椅子に置かれた外套の気配が、わずかに揺れた。
「起きましたか?」
声は、近い。
だが、驚くほど静かだ。
「ソラ……起きてたの?」
「ええ。少し前から」
ソラは、窓際に立っていた。
カーテンの隙間から差し込む朝の光が、白い髪を淡く縁取っている。
「体調は?」
「問題ないよ。むしろ、調子いい」
カナタは、正直に答えた。
ソラは、ほんのわずかに頷く。
「魂の揺れも安定しています。昨日の消耗は、残っていませんね」
「そういうの、分かるようになってきた気がする」
「それは、良い兆候です」
押しつけるでも、評価するでもない。
ただ、事実として告げる。
それが、ソラのやり方だった。
カナタは、ベッドから降り、軽く伸びをする。
筋肉が素直に応える。
(……ああ)
影の檻。
隔離。
あの閉塞感。
それらが、夢のように遠い。
「今日は、どうしますか?」
ソラの問いに、カナタは一瞬考えた。
「……先日のキノコ、あるよね。あれを、ギルドに提出して依頼達成の報告を済ませたい」
「ええ」
ソラは、カナタの様子を一度だけ見てから、静かに口を開いた。
「それが終わりましたら、本日は休みにしましょう」
「……休み?」
「はい。二日続けて依頼をこなしました。事前に決めた通りのルーティンです」
カナタは、一瞬きょとんとしたあと、思い出したように笑う。
「ああ……そうだったね。二日動いて、一日休むってやつ」
「魂の回復効率も、その周期が最も安定しています」
淡々とした説明。
だが、そこには確かな配慮があった。
「ギルドから報酬を受け取ったら、今日は無理をしない」
「……なんか、ちゃんと冒険者してるね」
「“続けられる”ことが、最優先です」
それは、管理でも命令でもない。
支えるための判断だった。
カナタは、外套を手に取りながら、小さく息を吐く。
「前はさ、休むのって、サボってる気がしてた」
「今は?」
「今は……次のため、って思える」
ソラは、わずかに目を伏せた。
「それで十分です」
階下から、朝食の匂いが立ち上る。
「朝食を取ってから、ギルドへ向かいましょう」
「うん」
宿の一階。
「……いい匂い」
木の床をきしませながら降りていくと、すでに食堂には朝の支度が整っていた。
大きめの木皿に並べられた、こんがり焼かれたソーセージ。
その横には、じゃがいもと人参、豆と葉物野菜がたっぷり入ったコンソメスープ。
澄んだ黄金色のスープの中で、野菜がやわらかく形を保ったまま揺れている。
焼き立てのパンは、表面が軽く割れ、触れれば湯気が逃げそうだった。
付け合わせの刻み野菜と塩漬け肉の和え物が、控えめに彩りを添えている。
「ほら、冷める前に座りな」
カウンターの向こうで、女店主が顎で席を示した。
「いただきます」
カナタは素直に手を合わせ、まずスープに口をつける。
━━優しい。
塩気は強すぎず、野菜の甘みが前に出ている。
ソーセージの脂が溶け込んで、後味にコクが残る。
体の奥に、静かに染み渡る味だった。
「……美味しい」
思わず零れた言葉に、女店主が鼻で笑う。
「でしょ。朝はこれくらいが一番いいんだよ」
ソーセージにかぶりつくと、皮がぱちりと弾けた。
中は粗挽きで、噛むほどに肉の旨味が広がる。
パンをちぎってスープに浸せば、柔らかくなった端から香りが立った。
ソラは隣の席で、同じように食事を取っている。
動きは静かだが、手は止まらない。
「……よく食べるね、今日も」
女店主が、二人を見比べながら言った。
「美味しそうに食べてくれるとさ、作った甲斐があるよ」
「本当に……助かってます」
カナタがそう言うと、女店主は肩をすくめた。
「体が資本だからね。食わないやつほど、すぐ倒れる」
そこで、ふと思い出したように手を止める。
「……そういえば」
女店主は首を傾げた。
「毎日顔合わせてるのに、名前聞いてなかったね」
カナタは、少し驚いてから苦笑する。
「確かに……」
「私はブレンダ」
胸に親指を当て、はっきり名乗った。
「この宿の女将で、料理担当。あんたたちは?」
一拍。
カナタは、自然に答えた。
「カナタです。冒険者、見習いみたいなもんです」
「ソラです。同行者をしています」
ブレンダは、二人の名前を一度、口の中で転がした。
「カナタに、ソラ……」
ふっと、口角が上がる。
「変わった組み合わせだね。でも、悪くない」
カナタは、少し照れたように頭を掻いた。
「……よろしくお願いします」
「こちらこそ」
ブレンダは、空になりかけた皿を見て満足そうに頷く。
「今日もちゃんと食べてくれて、嬉しいよ」
その言葉は、特別な意味を持たない。
だが、どこか━━帰る場所のある声音だった。
カナタは最後にパンを一口齧り、息を吐く。
「……行ってきます」
「いってらっしゃい」
ブレンダは、いつもの調子で手を振った。
それだけのやり取り。
だが、その朝食は確かに、今日を始める力になっていた。




