表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
55/83

第9-13話「守れなかった約束」~選ばされなかった記録

檻の外に出た瞬間、空気が変わった。

重さではない。

圧でもない。

ただ、世界の“解像度”が戻ったような感覚だった。


石畳の感触。

夜気に混じる街の匂い。

遠くで鳴る、人の生活音。


━━現実だ。


「……戻った」


カナタが、小さく呟く。


背後には、意味を失った檻が残っている。

形はある。

だが、もう何も閉じ込めていない。


ソラは、自然と一歩前に出ていた。

庇うでもなく、導くでもなく。

ただ、隣に立つ。


その時だった。


(……視線が、変わった)


数値ではない、整理された観測の気配。


「動かないでください」


低く、静かな声。

前方に立つ二体が、同時にこちらを向いた。


━━最初から、そこにいた。


退路を塞ぐでもなく、威圧するでもなく。

ただ、配置されているという距離感で。


人と変わらない背丈の存在が。


背にある白銀の翼は、以前と同じだ。

片方は完全な形を保ち、もう片方は先端を欠いたまま、石のように固化している。


鎧も変わらない。

装飾のない、機能だけを残した構造。


だが━━違和感があった。

動いていないのに、配置が「完了」している。

警戒ではなく、すでに任務の段階に入っている佇まい。


行政天使。


感情のない光の瞳が、正確にこちらを捉えていた。


「目標を確認しました」


もう一体が、機械的に続ける。


「これより同行を要請します」


(……迎え?)


拒否という選択肢が、最初から想定されていない配置だった。


「……迎えですね」


ソラが、息を整えて言う。


護衛の一体が、一歩前に出た。


「冒険者カナタ。案内天使ソラ。同行をお願いします」


感情のない声。

拒否権が存在しない言い方。


「ラファエル様が、状況の報告をお待ちです」


その名に、カナタはわずかに眉をひそめた。


「……あの行政天使、か」


ソラは頷いた。


「大丈夫です。強制ではありませんが……避けられません」


一瞬、視線が交わる。

逃げようと思えば、逃げられたかもしれない。

だが、それは選択ではない。


「行こう」


カナタが言った。


「……話すべきことは、話しましょう」


ソラは、静かに頷いた。



ギルド本館。

普段は立ち入りを許されない、ギルド長室。

重厚な扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。


室内には、すでに二人が待っていた。

一人は、冒険者ギルド長━━ハルヴェル。

腕を組み、壁にもたれながら、二人を観察している。


もう一人。

行政天使、ラファエル・アーカイブ。

人の姿をしてはいるが、その存在感は、明らかに“人ではない”。


「着席を」


短い指示。


カナタとソラは、並んでソファーに腰掛けた。


沈黙。


先に口を開いたのは、ラファエルだった。


「影の組織による隔離事案。魂遮断、観測檻、選別圧の使用」


淡々とした声が、事実だけを並べる。


「……報告を」


ソラは、一度だけ深く息を吸った。


「はい」


そこから先は、簡潔だった。


「影は違法な隔離檻を用い、対象の魂を遮断・選別しようとしました。私は規定域を超えた出力で介入し、檻を破壊、対象を回収しています」


報告が終わったとき、室内には短い沈黙が落ちた。


ラファエルが、視線を上げる。


「……途中、魂出力の急上昇が観測されている」


静かな指摘だった。


「門の通過ログ、周辺位相への干渉、街への影響反応。すべて記録されている」

「……はい」


ソラは、否定しなかった。


「救出に際し、許可された制御域を超えました。魂の制御ギアを一段階、引き上げています」


ハルヴェルが、低く息を吐く。


「観測で確認している」


責める調子ではない。

事実確認だ。


「結果として、周辺への影響がゼロではありませんでした。街の結界に微細な歪み。住民への直接被害はなし。……ですが、出力過多だったことは事実です」


ソラは、はっきりと頭を下げた。


「私の判断です。謝罪します」


再び、沈黙。


だが、今回は短かった。


ラファエルが、指先で盤面をなぞるような仕草をする。

指先の動きが止まる。


「……不問とする」


即断だった。


ハルヴェルが、わずかに目を見開く。


「いいのか?」

「救助行為だ」


ラファエルは、淡々と続ける。


「隔離は違法だ。対象は、消耗限界に近かった。規定内出力では、間に合わなかったと判断する」


視線が、ソラに向く。


「君の判断は、合理的だ。結果として、魂は無傷で回収された」


一拍。


「……それに」


ラファエルの声が、わずかに低くなる。


「カナタという存在は、今後この世界にとって……いや、天界にとっても、無視できない位置に立つ」


空気が、わずかに張り詰める。


「今回の件で、それは確定した。管理されない状態で崩れない魂。隔離下で、選択を失わない存在」


ハルヴェルが、苦笑する。


「厄介だな」

「だが、必要だ」


ラファエルは、きっぱりと言った。


「この件に関する咎は、与えない。処分も、減点もなしだ」


ソラは、わずかに目を伏せる。


「……ありがとうございます」

「ただし」


ラファエルは、そこで言葉を切った。


「今後、同様の事案は増える。影だけではない。管理外の干渉は、必ず彼に集まる」


視線が、まっすぐにソラを捉える。


「次に何かが起きた場合、独断で抱え込むな。必ず、こちらに一報を入れろ」


一拍。


「その時は━━力になる」


それは命令ではなく、約束だった。

ソラは、静かに頷く。


「……はい」


ラファエルは、立ち上がる。


「この件は、ここまでだ。正式記録には残さない。隔離事案は“未遂”処理」


ハルヴェルが、肩をすくめた。


「お咎めなし、か」

「今回はな」


そう言って、ラファエルは背を向ける。


「解散だ」


問い詰めも、裁定もない。

ただ、判断が下された。


ソラは、その場に一瞬だけ残り━━

そして、静かに退出した。



宿への帰り道。

夜は、もう深かった。


街路に残る灯りはまばらで、足音だけが静かな通りに響く。


「……ソラ」


並んで歩きながら、カナタがぽつりと口を開く。


「さっきの行政天使……ラファエルさん、だよね?」

「はい」


ソラは、歩調を緩めずに応じた。


「なんていうか……思ってたより、ちゃんとしてたね」


少し照れたような声だった。


「怒られると思ってた」

「そうですね」


ソラは、ほんのわずかに口元を緩める。


「私も、そのつもりでした」


カナタは小さく笑った。


「でもさ……“力になる”って言ったよね」

「はい」

「……悪い人じゃないな」


その言葉に、ソラは足を止めかけて、すぐに思い直す。


「印象が良くなりましたか?」

「うん。初めて門で会った時は本当に怖かったから」


即答だった。


「でも今日会って、敵じゃないって思えた」

「それは、良かったです」


短い沈黙。


カナタは、少しだけ視線を落とす。


「……お咎めなしで、正直ほっとした」

「……」

「僕が原因だったんだろ?」

「原因、ではありません」


ソラは、はっきりと言った。


「ですが……無関係でもありません」


カナタは、苦笑する。


「やっぱり」

「はい」


歩きながら、カナタは続けた。


「ソラに、迷惑かけたなって」

「迷惑ではありません」


即答だった。


「……でも」


一拍、言葉を選ぶ。


「無茶をしたのは、事実です」

「だよな」


カナタは、少しだけ肩をすくめた。


「助けに来てくれてさ」

「……」

「本当に、嬉しかった」


その声は、冗談めいていなかった。


「正直……あの檻の中でさ」

「はい」

「誰も来ないかもしれないって、思ってた」


ソラは、足を止めた。


「……私は、必ず行きます」


静かな声だった。


「これからも、です」


カナタは、驚いたように目を瞬かせる。


「……即答だな」

「はい」

「重くない?」

「重いです」


そう言ってから、続ける。


「ですが、選びました」

「……」

「隣で支えると」


カナタは、しばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。


「……ありがとう」


それ以上、言葉はいらなかった。



宿に戻ると、疲労が一気に押し寄せた。

部屋に入るなり、カナタはベッドに腰を下ろし、そのまま横になる。


「……限界」


そう呟いて、目を閉じる。

呼吸はすぐに整い、眠りに落ちるのも早かった。


ソラは、ベッド脇に立ったまま、その寝顔を見つめる。


(……寝ましたね)


真実は、記録されなかった。

だが、消えたわけではない。

選ばされなかった事実。

管理されなかった安定。

それは、確かに起きた。


毛布を整え、そっと灯りを落とす。


「……おやすみなさい」


小さく告げて、部屋は闇に包まれる。


世界は、まだ気づいていない。

だが、選ばされないという“例外”は、もう━━生まれてしまった。


そして、その中心で。

カナタは、何も知らず、静かに眠っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ