第9-9話「守れなかった約束」~後戻りできない選択
檻の外が、静かだった。
さっきまで感じていた、圧迫するような視線。
数値に換算される感覚。
魂を“観測されている”という、あの不快なざらつき。
それらが、一斉に引いた。
(……引いた?)
カナタは、目を閉じたまま、ゆっくりと呼吸する。
怖さが消えたわけじゃない。
不安も、完全には消えていない。
けれど。
(……考えられる)
それが、今までと決定的に違っていた。
檻の中に閉じ込められている。
状況は、何も変わっていない。
逃げ道もない。
相手は、圧倒的に強大だ。
それでも。
(……選べって、言われた)
押しつけではない。
脅しでもない。
ただ、突きつけられた言葉。
「選べ」
それが、頭の中で何度も反復される。
(……僕は、何を選ぶ)
答えは、まだ出ない。
でも。
(……少なくとも)
さっきまでのように、 “誰かの正解に従うしかない”状態では、なくなっていた。
檻の外。
見えない場所。
(……ソラ)
名前を呼ばない。
声にも出さない。
それでも、確かに“いる”と分かる。
触れない。
助けない。
導かない。
それなのに。
(……支えになってる)
その事実が、胸の奥を、静かに温めていた。
━━同時刻。
影の巣。
観測空間。
数値が、荒れていた。
波形が、揃わない。
安定しているはずの値が、一定のリズムを拒んでいる。
「……再演算、失敗」
「収束しません」
「因果補正が、追いつかない」
影たちの声に、焦りが混じる。
空間の中央。
エレミア・ノクスは、黙って立っていた。
(……理解している)
問題は、明白だ。
魂は、孤立していない。
管理も、されていない。
だが、断絶もしていない。
“接続”がある。
それが、理論の想定外。
(孤立した魂こそが、自由に近づく)
その前提が、崩れた。
「……案内天使を、排除すべきでは」
影の一体が、恐る恐る口にする。
エレミアは、即答しなかった。
否定もしない。
肯定もしない。
ただ。
(……排除しても、遅い)
彼には、分かっていた。
案内天使ソラは、 もはや“外部要因”ではない。
実験対象の魂に、 内在する選択肢になってしまった。
排除すれば、 それは“選択を奪う行為”になる。
それはつまり。
(我々自身が、檻になる)
一瞬。
ためらいが、よぎる。
だが。
「……時間切れだ」
エレミアは、低く告げた。
「これ以上、猶予を与えれば対象は、自ら選ぶ」
影たちが、息を呑む。
「それは……我々の証明にならない」
エレミアは、はっきりと頷いた。
「だから━━強行する」
空間が、ざわめく。
「魂位相を、次段階へ」
「負荷が、跳ね上がります」
「破損の可能性が━━」
「許容範囲だ」
その言葉には、 もう理論家の冷静さはなかった。
(……私は、間違っていない)
自分に言い聞かせるように、エレミアは思考を固める。
(管理されない魂は、危険だ。自由とは、孤立の先にある)
それを、証明する。
今さら、引き返せない。
━━その瞬間。
檻の中。
カナタの胸の奥で、 “何か”が、確かに動いた。
(……来る)
理由は、分からない。
でも、分かる。
さっきまでとは違う。
“選ばせる”圧ではない。
(……押しつぶす気だ)
檻の表面が、わずかに歪む。
空気が、重くなる。
呼吸が、浅くなる。
怖い。
本能が、叫ぶ。
(……でも)
その恐怖に、 呑み込まれそうになりながら。
(……僕は)
目を、閉じない。
逃げない。
(……選ぶって、決めた)
何を? どうやって?
まだ、分からない。
けれど。
(……少なくとも)
自分の魂を、 誰かの計算式に、 もう、預けない。
その瞬間。
檻の外。
何もない空間に、 確かに“揺らぎ”が走った。
干渉ではない。
救済でもない。
ただ。
(……見てる)
それだけで、 カナタの魂は、踏みとどまった。
影の巣。
警告音のような数値変動。
「乖離率、急上昇」
「対象、拒否反応を━━」
「違う」
エレミアが、遮る。
「拒否ではない」
「……これは」
初めて、 彼自身が、理解する。
(選択だ)
選ばされる側が、 選び返す。
その瞬間を、 自分が、追い詰めている。
(……だが)
止めない。
止まれない。
「……続行」
その命令は、 理論のためか。
それとも━━
自分自身を、 否定しないためか。
檻の中で、 カナタは、静かに息を吸った。
怖い。
震える。
それでも。
(……僕は)
誰かのためでも、 世界のためでもない。
(……僕の意思で)
この先を、選ぶ。
その選択が、 この世界をどう変えるのか。
まだ、誰も知らない。
だが、ひとつだけ。
もう、後戻りはできなかった。




