第9-6話「守れなかった約束」~影の檻、その内側で
影の裂け目を抜けた瞬間、空気の質が変わった。
湿っている。
重い。
そして━━
静かすぎる。
街の裏側。
倉庫の奥。
さらにその“向こう”。
音が、ない。
反響もしない。
足音すら、遅れて届く。
(……完全隔離)
ソラは、足を止めなかった。
だが、速度は自然と落ちる。
ここは、走る場所ではない。
壊せば終わる。
壊せば、救えない。
抑制輪が、わずかに軋む。
(……落ち着いて)
視界に映るのは、影で組まれた空間。
壁とも、床とも言い切れない。
輪郭は曖昧だが、構造だけは異様なほど整っている。
(……檻)
それは直感だった。
解析する前に、理解してしまった。
魂を閉じ込めるための空間。
壊さず、殺さず、保ち続けるための“箱”。
そして━━
見えた。
檻の中心。
薄暗い空間の、その奥。
人影。
「……」
声が、喉で止まった。
(……いた)
確認する必要はなかった。
間違えるはずがない。
魂が、反応した。
抑制輪が、悲鳴を上げる。
制御輪が、一瞬だけ緩む。
(……カナタさん)
その名が、意識の奥で弾ける。
身体が、前に出そうになる。
理性より先に。
判断より先に。
だが━━
ソラは、止まった。
踏み出しかけた足を、床に縫い止める。
指先が、わずかに震える。
(……落ち着いて)
見える。
檻の中の、彼の状態。
立っている。
倒れてはいない。
呼吸もある。
魂の輪郭も、崩れていない。
(……生きている)
その事実だけで、胸の奥が軋んだ。
だが。
(……安全、ではない)
檻は、彼を守っている。
同時に、縛っている。
成長も、変化も、逃げ場もない。
“保管”されている。
(……ひどい)
怒りが、遅れて湧く。
熱ではない。
冷たい、鋭い感情。
魂の奥で、何かが“噛み合う”。
(……これが、目的)
壊さない。
殺さない。
ただ、閉じ込めて、揺さぶる。
選ばせる。
(……許しません)
感情が、確かに立ち上がる。
だが、爆発はしない。
ソラは、ゆっくりと息を吐いた。
(……今、私が壊せば)
この檻は破れる。
影ごと、空間ごと。 力は、足りる。
だが。
(……カナタさんが、壊れる)
それが分かってしまう。
檻は、彼の魂に合わせて組まれている。
今は、彼自身がそれを“支え”にしている。
外から強引に壊せば、魂が自重に耐えきれない。
(……っ)
歯を、食いしばる。
抑制輪が、軋む。
もう一段、解放すれば、全部終わる。
だが、それは“奪還”ではない。
(……待って)
自分に、言い聞かせる。
見る。
観る。
感じ取る。
檻の構造。
影の流れ。
魂への干渉点。
一歩、前に出る。
檻の外。
触れない距離。
それだけで、檻がわずかに反応した。
波打つように、影が揺れる。
(……観測されている)
影の奥。
視線。
複数。
(……見せる気ですね)
なら。
ソラは、姿勢を正した。
威圧しない。
殺気を出さない。
ただ━━
存在を、正しく“立たせる”。
抑制輪を、締め直す。
ギリギリまで、制御する。
(……見ていなさい)
私は、壊さない。
奪わない。
押し付けない。
(……選ぶのは、彼です)
檻の中。
カナタが、こちらを見た。
目が合う。
一瞬。
ほんの一瞬だけ、世界が遅れた。
彼の表情。
驚き。
安堵。
そして━━迷い。
全部、見えた。
(……大丈夫)
ソラは、微かに、頷いた。
声は出さない。
合図もしない。
ただ、“そこにいる”。
それだけで、魂が触れ合う。
抑制輪が、また軋む。
だが、今度は痛くない。
(……繋がった)
檻は、まだ壊れていない。
影も、動かない。
だが。
この瞬間。
実験は、狂い始めた。
選ばされるだけの存在だった魂が、 “選べる側”と、再び接続したからだ。
ソラは、視線を逸らさない。
(……待っていてください)
今は、まだ。
踏み込まない。
壊さない。
救わない。
(……一緒に、選びましょう)
影の奥で、わずかなざわめきが走る。
計算が、狂った。
予定外の要素。
それを━━
ソラは、確かに見逃さなかった。




