第8-1話「慣れ始めた日常と、気づかれない違和感」~今後の予定
目を覚ましたとき、天井がすぐそこにあった。
見慣れた木目。
宿の部屋の、いつもの天井。
意識が浮かび上がるのに、時間はかからなかった。
混乱も動揺もない。
魂と身体は、もうきちんと噛み合っている。
ただ━━胸の奥に、微かなざわめきがあった。
溢れそうな感覚。
内側に収まりきらない何かが、静かに脈打っている。
(……これが、漏れてるって事か……)
身体を起こすと、隣のベッドが視界に入った。
同じ高さ、同じ幅のツインベッド。
そこでは、ソラがすでに目を覚ましていた。
上半身を起こし、こちらを見ている。
「おはようございます、カナタさん」
落ち着いた声。
寝起き特有の曖昧さはない。
「おはよう、ソラ」
自分の声が、思ったよりもしっかりしていることに少し驚く。
以前なら、朝は喉が引っかかる感じがあったはずなのに。
「よく眠れましたか?」
「うん……ちゃんと寝た、って感じ」
言いながら、胸の奥に意識を向ける。
魂は定着している。
それは間違いない。
ただ、量が多すぎる。
感情に反応して、わずかに外へ滲み出る感覚があった。
ソラは、その変化に気づいているのだろう。
視線を逸らさず、静かに言った。
「……まだ魂の制御が追いついていませんね」
「……やっぱり?」
「はい。魂が強い分、最初はどうしても“漏れ”が出ます」
否定でも、警告でもない。
事実を淡々と伝える声。
「無理に抑え込む必要はありません。歩き、食べ、眠る。その積み重ねで、自然と落ち着いていきます」
そう言われて、少しだけ肩の力が抜けた。
「じゃあ……今日は?」
「いつも通りで大丈夫です」
ソラは穏やかに微笑んだ。
「朝食に行きましょう。女主人が、そろそろ準備している頃です」
部屋を出て、並んで廊下を歩く。
同じ部屋で眠り、同じタイミングで朝を迎えることが、もう不自然に感じられなかった。
食堂に入ると、油の焼ける匂いが鼻をくすぐる。
「おはようございます」
そう声をかけると、カウンターの向こうで鉄板に向かっていた女主人が、ちらりとこちらを見て笑った。
「おや、今日も元気そうだね」
手は止めず、慣れた動きでフライ返しを操りながら言う。
鉄板の上では、ベーコンがじゅうじゅうと音を立て、脂のはじける香ばしい匂いが店内に広がっていた。
「朝の定食かい?」
「はい、お願いします」
「はいよ。すぐ出来るからね」
女主人はそう言って、卵を二つ、慣れた手つきで鉄板に落とす。 白身がじわりと広がり、黄身がぷっくりと形を保つ。 ベーコンはこんがりと焼き色がつき、端が少し反り返っていた。
「どうだい、この街の暮らしは」
「……え?」
不意にそう聞かれて、少しだけ言葉に詰まる。
女主人はくすりと笑った。
「顔つきが変わってきたからさ。最初に来たときは、もう少しこう、周りを気にしながら歩いてたろ?」
図星だった。
昨日までの自分を思い出し、少し照れくさくなる。
「……少しずつ、慣れてきた気はします」
「そうかい。それはいいことだ」
ベーコンを皿に移し、卵をそっと添える。
焼き上がった白身は縁が軽く色づき、黄身は半熟でつややかに光っていた。
横には、こんもりと盛られた焼きたてのパンと、湯気を立てるスープ。
「この街はね、急がなくていいんだよ」
「急がなくて……?」
「そう。居たいだけ居て、歩きたいだけ歩けばいい」
そう言って、皿をカウンター越しに差し出してくる。
「はい、ベーコンエッグ定食。今日もいい焼き具合だよ」
皿の上から立ち上る湯気と、脂と卵の混ざった香りが鼻をくすぐる。
ナイフを入れると、黄身がとろりと流れ、ベーコンの塩気と混ざり合う。
一口かじれば、香ばしさとまろやかさが口いっぱいに広がった。
「……美味しいです」
「だろ?」
女主人は満足そうにうなずく。
「この街にも、あんたの席はちゃんとあるさ」
「……ありがとうございます」
そう返すと、女主人は照れたように手を振った。
「なに、朝飯出してるだけさ。腹が減ったら、また来な」
その何気ない言葉が、胸の奥に静かに残る。
カウンターに座り、朝食を口に運びながら、僕は思う。
冒険者としての生活は、まだ始まったばかりだ。
けれど━━この街で朝を迎え、こうして食事をしている。
それだけで、“ここに居ていい”気がしていた。
「今日は、どうしますか?」
食事を取りながら、ソラが尋ねてきた。
「……昨日と同じで、ギルドに行こうかなって」
言葉は少しぎこちない。
それでも、自分から考えを口にできた。
ソラはうなずく。
「良いと思います。今日も依頼を受けましょう」
フォークを置き、続けて言う。
「そして、明日は休みにしましょう」
「休み……?」
「はい。二日活動して、一日休む。しばらくは、そのルーティンが適しています」
少し意外だった。
「休んだ方が、いいんだ」
「魂の安らぎも、制御への道です」
その言葉は、静かに胸に落ちた。
「動き続けるだけでは、整いません。休むことも“訓練”です」
なるほど、と小さくうなずく。
「……一緒に来てくれる仲間がいるって、心強いね」
思ったまま口にすると、少し照れくさくなる。
ソラは、わずかに目を細めた。
「そのように感じていただけるなら、サポート役として光栄です」
食堂のざわめきの中で、静かな朝が流れていく。
冒険者としての生活が、特別ではなく、日常として形を持ち始めていた。
まだ未熟で、まだ不安定。
それでも、歩いていける。
今日も依頼へ。
明日は休息へ。
そんな当たり前の一日が、確かに始まろうとしていた。




