第7-9「冒険者として、歩き出す日」~小さな棘、確かな一歩
採取を続けているうちに、いつの間にか時間が少し経っていた。
森の中は、相変わらず静かだ。
遠くで鳥の鳴き声がするくらいで、危険を感じさせる気配はない。
(……思ってたより、平和だな)
カナタは、手にした薬草を軽く束ねながら、そう思った。
初心者向け。
危険度低。
その言葉通りだ。
「……カナタさん」
不意に、少しだけ低くなったソラの声が届く。
「はい?」
振り返ると、ソラは周囲を見回しながら、わずかに視線を動かしていた。
「足元、少し注意してください」
言われて、視線を落とす。
そこには、一見すると普通の下草が広がっている。
だが、よく見ると━━
(……あれ?)
地面に近い位置で、細い蔓のようなものが張り巡らされていた。 葉に紛れて、ほとんど見えない。
「絡み草ですね」
ソラが説明する。
「踏み込むと、足を取られます。力の弱い個体ですが、転倒の原因になります」
「……罠、みたいな?」
「自然の、ですが」
カナタは慎重に足を動かし、その場を避けた。
(こういうのか……“少しだけ危険”って)
そのまま、採取を再開する。
先ほどよりも、少しだけ周囲を気にしながら。
視線を上げ、足元を見て、草の形を確認して。
意識することが増えた分、動きは遅くなる。
だが、不思議と焦りはなかった。
(満たされてる、ってこういう感じか)
落ち着いている。
胸の奥が、ちゃんと静かだ。
「……もう少し奥に、良さそうな場所があります」
ソラが指し示した先には、少しだけ木々が密になった一角があった。
「行ってみますか?」
「うん」
二人で、ゆっくりと進む。
その時だった。
「……っ」
足元で、何かが動いた。
カナタは反射的に足を引いた。
落ち葉の下から、小さな影が跳ねる。
「な、何!?」
心臓が跳ねる。
影の正体は、手のひらほどの大きさの小動物だった。
リスに似ているが、背中に短い棘が生えている。
「棘鼠ですね」
ソラは即座に前に出る。
「攻撃性は低いですが、刺激すると棘を飛ばします」
「飛ばす!?」
言った瞬間、その一匹が身体を震わせた。
「下がって!」
ソラの声と同時に、カナタは後ろへ一歩下がる。
ピシッ、と空気を裂く音。
細い棘が、地面に突き刺さった。
「……!」
もし、あのまま立っていたら。
そう考えただけで、背中が冷たくなる。
「だ、大丈夫……?」
「問題ありません。距離を取れば追っては来ません」
ソラは、カナタの前に立ったまま、動物を見据える。
棘鼠はしばらくこちらを警戒するように睨んでいたが、やがて落ち葉の中へと消えていった。
静寂が戻る。
「……今の、ちょっと怖かった」
カナタは、息を吐いた。
「ええ。ですが、この程度です」
ソラは振り返り、落ち着いた表情で言う。
「これが、このエリアの“危険”です」
「……命のやり取り、って感じじゃないけど」
「はい。しかし、油断すれば怪我をします」
カナタは、自分の手を見た。
震えてはいない。
(……逃げなかった)
前なら、もっと混乱していた気がする。
でも今は、ちゃんと状況を理解して、動けていた。
「魂が、安定している証拠ですね」
ソラが言う。
「満たされている状態だと、過剰な恐怖に飲まれません」
「……なるほど」
納得がいった。
「じゃあ、さっきのも……」
「はい。経験として、覚えておいてください」
ソラは、少しだけ微笑んだ。
「危険は、突然現れます。でも、すべてが致命的とは限りません」
「……ちゃんと見て、考えて、動けばいい」
「その通りです」
二人は、再び歩き出す。
さっきまでと、森は何も変わっていない。 同じ木々、同じ草、同じ匂い。
でも━━
(見え方が、違う)
ただの背景ではなくなった。
危険も、恵みも、両方がここにある。
その中で、自分はどう動くのか。
「……冒険、してるんだな」
思わず、呟く。
ソラは何も言わなかったが、その横顔は、どこか満足そうだった。
採取袋の中には、薬草が増えている。
経験も、少しだけ増えた。
小さな棘。
小さな恐怖。
けれど、それは確かに━━
この世界で生きるための、必要な一歩だった。
森の奥から、微かな風が吹く。
次の出来事を予感させるように。
棘鼠が姿を消し、森に再び静けさが戻った。
カナタは、無意識に肩の力を抜いてから、ふと疑問が浮かんだ。
「……ソラ」
「はい」
「さっきのって、小動物ですよね」
「そうですね。初心者向けエリアに生息する、比較的無害な獣です。油断すると十分危ないですが」
獣。
その言葉を反芻して、カナタは少し考え込む。
「……じゃあさ」
視線を前に向けたまま、続けた。
「ゴブリンとかって……、いるんですか?」
少しだけ、声に期待が混じる。
怖い、けど。
知りたい、という気持ち。
「物語だと、初級の魔物ってイメージがあって、狼みたいなのとか……ああいうのも?猛獣? それとも、魔獣?」
言いながら、自分でも分かる。
不安と、ワクワクが、同時に湧いている。
(……戦うのは、まだ怖いけど。でも、全く何も起きないのも……ちょっと寂しい)
ソラは、少しだけ考えるように視線を巡らせてから、答えた。
「この辺りには、いませんね」
即答だった。
「この採取地は、街に近く、定期的に人の出入りがあります。ベテランの冒険者により魔物は駆除され、安全化が履かれてる場所ですね」
「……じゃあ、全然出てこない?」
「“全く”ではありませんが、遭遇率は極めて低いですね」
少し拍子抜けしたような、でも安心したような。
カナタは、曖昧な表情を浮かべる。
「ただし」
ソラは、続けた。
「さらに進めば、話は変わります」
その一言で、背筋が少し伸びる。
「森をさらに奥へと進むと━そこから先は、彼らの生活圏です」
「生活圏……縄張り、ってこと?」
「はい」
ソラは頷いた。
「ゴブリンの集落、狼型魔獣の狩場、単独行動の大型個体と言った危険が存在します」
想像するだけで、胸がざわつく。
(……やっぱり、いるんだ)
怖い。
でも━━
(……ちょっと、憧れる)
物語で読んできた存在。
画面越し、文字越しでしか知らなかった“敵”。
「……今の俺じゃ、無理だよね」
自然と、そう口にしていた。
ソラは、はっきりと頷いた。
「ええ。今は、まだです」
否定はしない。
でも、突き放すわけでもない。
「カナタさんの魂は、総量こそ膨大ですが、制御が追いついていません。力を使えば、反動が出ます。下手をすれば、自分を壊します」
その言葉は、脅しではなく、事実だった。
「ですから」
ソラは歩きながら、穏やかに言う。
「今は、ゆっくりでいいのです。満たし、整え、慣れる。今日のような採取、小さな危険、それらを積み重ねることが、何より大切です」
カナタは、足元の落ち葉を踏みしめながら、頷いた。
「……焦らなくていい、ってことか」
「はい」
「ちゃんと、順番がある」
胸の奥に、すとんと落ちる。
(いきなり最強にならなくていい)
(少しずつで、いい)
それは、どこか救いだった。
「……でも」
カナタは、少し照れたように言った。
「いつかは、戦えるようになるんですよね」
ソラは、少しだけ目を細めた。
「ええ。その時が来たら、きちんと教えます」
約束のような、確約のような言葉。
カナタは、自然と笑っていた。
「じゃあ……今は、採取だね」
「そうですね」
二人は、再び視線を地面へ戻す。
まだ、戦闘はない。
まだ、命のやり取りもない。
けれど━━
この世界には、確かに段階がある。
その入口に、今、立っている。
棘鼠より少し先に。
ゴブリンより、ずっと手前で。
カナタの冒険は、確実に進んでいた。




