第7-6「冒険者として、歩き出す日」~冒険者として、門を越える
ギルドの扉を押し開けた瞬間、空気が変わった。
建物の中に満ちていた紙とインクの匂い、金属音、冒険者たちのざわめきが、背後で静かに閉じられていく。
代わりに広がるのは、街の生活音。
人の声、足音、荷車の軋む音。
秩序と混沌が、程よく混ざり合った世界。
カナタは無意識に、胸元のタグに触れていた。
(……本当に、外に出るんだ)
ほんの少し前まで、ここは“物語の舞台”でしかなかった。
だが今は違う。
タグの重みも、ソラの存在も、すべてが現実だ。
「まずは、軽く食事をしてから向かいましょう」
ソラが穏やかに言う。
その声に、張り詰めていた肩の力が少し抜けた。
「うん……そうだね」
ギルドを出てすぐの通りには、露店が並んでいた。
簡素な屋台だが、香ばしい匂いが漂っている。
焼いた肉を挟んだ平たいパン。
根菜を煮込んだスープ。
香草を混ぜた串焼き。
太陽は存在しない世界だが、代わりに空は淡く均一な光に満ちており、昼夜の区別は街の活動量で自然と分かる。
今は“昼”にあたる時間帯らしく、通りは賑わっていた。
「これ……食べられるかな?」
カナタが指差したのは、香ばしい匂いを放つ串焼きだった。
「問題ありません。一般的な串焼肉ですね」
ソラの太鼓判をもらい、二人は露店で軽食を買う。
素朴な味だが、温かい。
胃に落ちていく感覚が、妙に安心感を与えてくれた。
「……なんか、実感湧いてきた」
食べながら、カナタは小さく呟く。
「冒険者なんだな、俺……」
ソラは答えず、ただ穏やかに微笑んでいた。
その表情は、“守るべき存在”を見る目だった。
食事を終え、二人は街の奥へと歩き出す。
この街は、円形に近い構造をしている。
中心部に行政施設と大きな広場があり、その周囲を居住区と商業区が取り囲む。
さらに外縁には、街全体を守る石壁が巡らされていた。
ギルドは外縁寄りだが、門は等間隔に設けられており、今回向かう出口は中心部寄りの区画にあった。
道を進むにつれ、建物の雰囲気が少しずつ変わる。
住宅が減り、倉庫や管理施設が増えていく。
(……門が近い)
そう思った瞬間、胸の奥がざわついた。
「……ドキドキしてる?」
ソラが、横目でカナタを見る。
「……うん。前に、止められたから」
門番━━行政天使。
魂測定不能。
冷たい視線。
思い出すだけで、背中が少し冷える。
「でも、今回は違います」
ソラの声は静かで、断定的だった。
「タグがあります。条件付きですが、正式な通行権です」
「……そうだね」
自分に言い聞かせるように、カナタは頷いた。
やがて、石壁が視界に入る。
街を囲む巨大な壁。
継ぎ目なく積まれた石材は、外界を拒むための意志そのもののようだった。
その一部に設けられた出入口。
そこに立つのは、やはり――行政天使。
白銀の装束。
無表情な顔。
だが、以前と同じ天使でも、カナタの感じ方は少し違っていた。
(……逃げない)
そう、心の中で決める。
行政天使の視線が、二人を捉える。
「通行目的を」
淡々とした声。
カナタは一歩前に出て、タグを掲げた。
「冒険者ギルド所属です。依頼のため、街外へ向かいます」
行政天使の視線が、タグに落ちる。
……一瞬、止まった。
「……?」
天使は、わずかに首を傾ける。
「識別……臨時登録タグ」
その言葉に、カナタの心臓が強く脈打つ。
「該当例……未確認。記録照合を行う」
門脇の装置が起動し、低い駆動音を立てる。
(……見たこと、ないんだ)
珍しい。
特別。
それは誇らしさでもあり、同時に不安でもあった。
装置にタグを通すと、淡い光が走る。
「……確認。臨時冒険者登録。制限付き通行権、付与済み」
行政天使は、淡々と読み上げる。
「魂出力……高。制御未完了。条件――パーティ同行必須」
視線が、カナタからソラへ移る。
「同行者の確認を行う」
ソラは静かに前に出る。
「ソラです。パーティ登録済みです」
別の装置が起動する。
ソラが手をかざすと、光は安定して広がった。
「魂状態……安定。干渉値、正常範囲」
その結果を確認し、行政天使は二人を見る。
「……条件を満たす」
門の機構が動き始める。
重い音と共に、外への通路が開かれていく。
その音を聞いた瞬間、カナタははっきりと理解した。
(……今回は、通れた)
拒絶ではない。
理解された上での、許可。
行政天使が、最後に告げる。
「規定違反が発生した場合、通行権は即時失効する」
釘を刺すような言葉。
ソラが一礼する。
「承知しています」
カナタも、深く頭を下げた。
門を越えると、空気が変わった。
街の音が、背後で途切れる。
代わりに広がるのは、静けさと、微かな草木の匂い。
街外れの森。
まだ深くはないが、確かに“外の世界”だ。
カナタは一歩、踏み出す。
胸元のタグが、かすかに揺れた。
(……始まった)
派手じゃない。
特別扱いには条件がある。
それでも━━
今、自分は冒険者として、街の外に立っている。
ソラが、隣で静かに言った。
「行きましょう。最初の一歩です」
カナタは頷き、前を向いた。
こうして二人は、森へと続く道を歩き出す。
《天翼の解放者》の名を胸に、静かで確かな冒険が、ここから始まった。




