第2-2話「狭間の荒野」~歩けるという奇跡
両足を砂の地面に置くと、微かに沈む感触が足裏から伝わってきた。
柔らかいのに、確かに支えられている感覚。
指先で砂を押し込むと、さらさらと音もなく指の間を滑り落ちる。
━━こんな感覚、生前の病室では決して味わえなかった。
一歩、また一歩。
体が自分の意思に応えてくれる。
それだけで、胸の奥が熱くなる。
風が頬を撫で、耳に届くのは自分の足音と、砂を踏みしめるかすかな音だけだった。
遠くで揺れる光の粒が、空気を震わせるように漂っている。
まるでこの荒野そのものが、静かに呼吸しているかのようだ。
立てる。
歩ける。
それだけで、全身が喜びに震えた。
病室では、寝返りひとつ打つにも人の手が必要だった。
自由に動かせるはずの体が、ただ重く、言うことをきかなかった。
それが今は、自分の意志ひとつで前に進める。
視線を上げる。
遠くに街の輪郭は見えない。
果てしない荒野が、どこまでも広がっているだけだ。
風が砂を巻き上げ、舞い上がる光の粒が視界を横切る。
無数の星が地上に降り注いでいるような、不思議な光景だった。
歩きながら、自然と考え始める。
━━ここは、死後の世界━━狭間。
冒険者なら、本来は水や食料、装備がなければ長くは行動できない。
だが今のところ、喉が渇くことも、空腹を覚えることもない。
息を吸っている感覚はある。
生きている時の体とは、どこか違う。
それでも、不安はなかった。
今はただ、『動ける』という事実がすべてを上書きしている。
━━魂には、潜在的な力がある。
案内人の言葉が、ふと頭をよぎる。
思考や意志で、魔法のようなことを起こせる場所。
この荒野も、もしかしたら━━立ち、歩き、試すために用意された場所なのかもしれない。
そう思うと、自然と背筋が伸びた。
試しに、少し走ってみる。
最初はバランスが取れず、体がふわりと揺れた。
足元の感覚も、まだぎこちない。
それでも━━走れる。
風が体に巻きつき、髪を揺らす。
耳元で砂の粒がかすかに当たり、その刺激が生きている実感を強めた。
砂丘の向こうに、小さな丘が見える。
転び、手を砂につき、また立ち上がる。
そのたびに、歩けることの尊さが胸に染み込んでいく。
生前、夢にすら見られなかった自由が、今は確かにここにある。
遠くで、砂煙が揺れた。
地平線の向こうから、何かの影が近づいてくる。
試練なのか。
それとも、この荒野に棲む存在か。
不思議と、今はまだ恐怖はなかった。
動ける。
考えられる。
試せる。
それだけで、十分だった。
生前、想像の中で何度も繰り返した冒険が、今は現実として目の前に広がっている。
手を伸ばすと、風に乗った光の粒が指先に触れた。
柔らかく、ほんのりと温かい。
砂の感触。
風の冷たさ。
光の微かなぬくもり。
五感すべてが、確かに世界と繋がっている。
(……ここで、学び、鍛えていくんだ)
胸の奥に、小さな決意が芽生えた。
荒野は果てしなく広い。
だが、焦る必要はない。
一歩ずつでいい。
歩き、試し、失敗しながら進めばいい。
光に照らされた砂を踏みしめ、僕はもう一度、前へ歩き出した。
少し歩くと、風の冷たさの中に柔らかい温かさを感じた。
光の粒が砂と混ざり合い、地面の凹凸を浮かび上がらせている。
粒のひとつひとつが、まるで世界の意思のように揺れていた。
一歩一歩、体の感覚が完全に戻るわけではない。
だが、意識を集中させると、指先や足先に確かな存在感が返ってくる。
転ぶことも、つまずくこともある。
それでも、立ち上がり、歩き続けられる。
生前の病室では味わえなかった、身体と心の完全な一致感。
それが、ここにはある。
ふと視線を横に向けると、光の粒が列を作り、僕を導くかのように揺れていた。
自然に歩調を合わせると、足音や砂の感触がリズムを刻む。
世界全体が、僕の歩みに応えているかのような、奇妙な安心感があった。
━━ここでなら、何でも試せる。
━━失敗しても、何度でも立ち上がれる。
胸に小さな希望が灯り、少しずつ胸の奥が軽くなる。
風が髪を撫で、砂の粒が足元で踊る。
光は柔らかく揺れ、どこか温かい。
全身の感覚が、世界に生きている実感として返ってくる。
「よし……進もう」
自分にそう言い聞かせ、荒野の彼方へ歩みを進めた。
前に、また前に。
一歩一歩の感覚を確かめながら、僕はこの場所でのすべてを学び、感じ取ろうと決めた。
体の動き、風の感触、砂の反発、光のぬくもり。
すべてが、僕の新しい冒険の始まりを告げていた。




