第7-2「冒険者として、歩き出す日」~冒険者ギルドへの朝
朝食を終え、カナタはゆっくりと席に座り直した。
温かいパンの余韻、煮込みの香りがまだ口の中に残る。
食べ終わったばかりなのに、まだ胸の奥に柔らかな満足感が広がり、昨夜の緊張と疲れが少しずつ溶けていくのを感じた。
「……美味しかったです。ご馳走様でした」
自然と口をついて出たその言葉に、女主人は手元の作業を止め、にっこりと微笑んだ。
「おお、ありがとうね。よく食べてくれたようで嬉しいよ」
カナタは胸の奥がふわりと温かくなるのを感じた。
昨夜までの病室の生活では、口に出して「美味しかった」と言える余裕すらなかった。
だから、こうして誰かに自分の声で感謝を伝えられることが、心の底から嬉しかった。
「今日はお出かけかい?」
女主人は軽く首をかしげ、手を動かすついでに聞いてくる。
「はい……少し、街の冒険者ギルドまで」
「そうかい。気をつけて行ってらっしゃいね」
その一言に、カナタの心臓が少し跳ねた。
「行ってらっしゃい」と言われるのは、たった一言だ。
でも、自分の存在を見守り、無事を願ってくれる声は、これまで知らなかった安心感と喜びを胸に与えた。
思わず頬が熱くなる。
「はい……行ってきます」
そう返す声も、自然と弾んでいた。
外の空気に触れる前に、カナタは深く息を吸い込み、心の準備をする。
昨日までの孤独な世界から、一歩踏み出すための朝。
「それでは、行きましょう、カナタさん」
隣でソラが立ち上がり、静かに微笑む。
その落ち着いた仕草と、変わらぬ穏やかな眼差しに、カナタは少しだけ肩の力を抜いた。
ソラは昨日、街の地図を一緒に確認してくれている。
冒険者ギルドの場所も、道順も知っている。
だから、少しだけ勇気を出して、今日の一歩を踏み出せる気がした。
「今日はギルドにまず行って、登録を済ませましょう」
ソラは静かな声で続ける。
「場所は、昨日地図で確認したところです。迷う心配はありません」
「……はい」
カナタは小さく頷く。
胸の奥で、少しだけ緊張がくすぐる。
初めての場所。初めて会う冒険者たち。
でも、隣にはソラがいる。
それだけで、少し安心できる。
ソラは一歩先に出て、道を案内するように歩き出す。
自然な歩調で、焦ることなく、しかし確実に街の中心へ向かって進む。
「ここからは、街の中を通ります。人通りも増えますが、無理に早く歩く必要はありません」
カナタの肩にかかる緊張を察して、ソラは優しく声をかける。
その一言に、カナタは思わず微笑んだ。
昨日まで、誰かのペースに合わせることすら怖かった自分が、今は少しだけ世界の中に溶け込めている。
通りを進むと、街の朝の空気が全身に届く。
パンやスープの香りが漂い、石畳を踏む音や人々の足音が混じる。
革や金属の匂いも微かに漂い、冒険者たちの生活が息づく場所だということを感じさせる。
「あの人たち……みんな冒険者なんだ……」
カナタは思わず小さく呟く。
背中に大きな剣を背負う者、鎧のプレートを光らせる者、木の弓を構える者。
動作は慣れており、緊張の色はない。
隣でソラは、変わらず穏やかな歩調を保ちながら、カナタの視線を自然に受け止めている。
(……自分も、冒険者になれるんだ……)
胸の奥で小さな緊張が弾ける。
でも同時に、ソラの存在が心を落ち着かせてくれる。
ただ、隣にいるだけで、歩く勇気が湧いてくる。
街の中で、初心者の冒険者とベテランの動きを目にする。
ぎこちない動きと自然な振る舞いの差。
それを目にするたび、カナタの胸に緊張が戻る。
けれど、視線を横にやれば、ソラの安定した姿。
その存在があれば、自分も少しずつ世界に慣れていける――そう思えた。
「もう少しでギルドです。準備はよろしいですか?」
ソラの声は変わらず穏やかだが、確かな指示と安心感が込められている。
カナタは深呼吸を一つして、自然に頷いた。
少し歩いたところで、ソラが立ち止まり、カナタの肩越しに視線を向けた。
「カナタさん、あの建物が冒険者ギルドです」
ソラの声が耳に届き、カナタはゆっくりと視線を上げた。
目の前にそびえる建物は、レンガと木造が絶妙に組み合わさった三階建てほどの大きな構造。
壁の色は赤みを帯びたレンガが基調で、梁や支柱には温かみのある木材が用いられている。
窓からは朝の光が差し込み、中の活気をほんのりと外に漏らしている。
扉は重厚感のある観音開きで、真鍮の取っ手が光を受けて鈍く輝く。
その前を、冒険者らしい人物たちが絶え間なく行き交う。
鎧の一部が光を反射し、革の装備を身に着けた者が仲間と談笑している。
一方で、一人で黙々と建物に入る者もいる。
通り過ぎるたびに、空気に緊張と期待が混じった匂いが漂ってくる。
カナタは、自然と息をのんだ。
これまで想像の中でしか見たことのなかった「冒険者たちの拠点」が、目の前に現れたのだ。
そして、不思議なことに、看板に大きく書かれた文字【冒険者ギルド】と読めるはずのない文字が、今は自然に理解できている。
頭の中に、意味がすっと染み込む感覚。
【冒険者ギルド】これから自分が一歩踏み入れる場所の名前だ。
扉の前を行き交う冒険者たちを見て、胸の奥に小さな高揚感が芽生える。
緊張もある。
未知の世界に飛び込む不安もある。
でも、それ以上に━━期待が大きかった。
ここに入れば、きっと新しい世界が待っている。
自分も、その一員になれるかもしれない。
そう思うだけで、胸が少し弾む。
「……大きいですね……」
思わず小さく漏らした言葉に、ソラは柔らかく微笑む。
「はい。中に入れば、さらに多くの冒険者と出会えます。今日が、カナタさんにとって最初の一歩になるでしょう」
カナタは深く息を吸い込み、胸の奥に高まる期待と少しの緊張を抱えながら、扉へと歩みを進めた。
大きな扉の前で手をかける瞬間、心臓がわずかに跳ねる。
これから、未知の冒険が始まる――
そんな予感に、胸が温かくなる。




