第6-5話「魂が街を覚える」ー拠点確保と生活説明
階段を上がり、二階の廊下へ出ると、空気がさらに変わる。
板張りの床は丁寧に磨かれており、歩くたびに小さく軋む。
左右に並ぶ客室の扉はどれも似た造りだが、装飾の細部に微妙な違いがあり、長期滞在者用と短期用が混在していることが分かる。
廊下には小さな魔導灯が等間隔に設置され、昼間にも関わらず、柔らかな橙色の光を放っていた。
「……奥ですね」
ソラが小声でつぶやくと、カナタは静かにうなずいた。
廊下の奥の突き当たり。
人通りが最も少ない場所だで足を止めた。
「ここですね」
鍵が回る音がして、扉が開いた。
部屋は予想以上に質素で、だが清潔に整えられていた。
ツインベッドが並び、白いシーツはきちんと張られている。
窓から差し込む柔らかな光が、白いカーテンを通して部屋全体を穏やかに染めていた。
壁は木と漆喰の混合で、装飾は最低限。
だが、床板は新しく、軋みも少ない。
長期滞在者向けとして、きちんと手入れされているのが分かる。
木製の机が一つ、椅子が二脚。
簡素な収納棚と、衣類を掛けるためのフック。
ベッド脇には小さな魔導灯が備え付けられており、夜間でも手元が照らせるようになっている。
必要最低限。
それだけなのに、どこか温かみを感じさせる空間だった。
「ここが、これからの一週間の拠点になります」
ソラが静かに言い、ベッドのひとつに手を置く。
その動作は自然で、ただの確認に過ぎない。
――はずなのに。
カナタには、その距離感があまりにも近く感じられ、胸が少し高鳴った。
(……落ち着け)
自分に言い聞かせる。
さっきから、妙に意識しすぎだ。
「……一週間、この部屋で生活するんですか?」
思わず声に出してしまう。
長期滞在という言葉が、ここに来てようやく現実味を帯びた。
「ええ」
ソラは淡々と答える。
「まずは生活基盤を整えることが優先です。食事、入浴、睡眠。ギルド登録、街の把握……順を追って進めます」
その口調は穏やかで、計画的で、揺らぎがない。
まるで「当然の流れ」を説明しているだけのようだった。
それが逆に、カナタの緊張を少しずつ溶かしていく。
(……ソラと一緒なら、大丈夫かもしれない)
そう思えてしまう自分に、少し驚く。
ふと、カナタは別のことを思い出した。
「そ、そういえば……宿泊代……ちゃんと支払わないと……」
声は小さく、どこか申し訳なさそうになる。
病室では、何もかもが「用意される側」だった。
自分で支払う、という感覚が、まだ身についていない。
ソラはその言葉を聞いて、首を横に振った。
「気にすることはありません」
カナタの視線を正面から受け止め、穏やかに言う。
「この部屋も、食事も、生活のサポートの一部です。あなたの魂が安定し、学びを進めるための必要経費だと思ってください」
「え……?」
少し、目を見開く。
「そ、そういうもの……ですか」
「ええ。ここでの生活は、私が同行して整えるものです」
そう言ってから、ソラは何気ない仕草で、傍らの空間へと手を伸ばした。
何もないはずの場所に、指先がわずかに沈む。
次の瞬間、小さな革の小袋がその手に収まっていた。
動作は静かで、迷いがない。
ソラは袋の口をほどき、掌へと硬貨を並べていく。
「これが、この世界"狭間"で使われているお金です」
淡い光を反射する金属音が、かすかに鳴る。
色も質感も異なる硬貨が、4種類。
「基本は4種類。銅貨、銀貨、金貨、白銀貨です」
ソラは順に指先で示していく。
「街によって呼び名は多少違いますが、価値の基準はほぼ共通しています」
銅貨は鈍い赤茶色で、使い込まれた跡が多い。
銀貨は落ち着いた光沢を放ち、縁に細かな刻みがある。
金貨はずっしりとした重みがあり、目に見えて価値が高そうだ。
そして白銀貨は――他のどれとも違い、光を柔らかく返す、不思議な輝きを帯びていた。
「銅貨は日用品や簡単な食事。銀貨は宿泊や装備、まとまった買い物。金貨は高額取引や長期契約。白銀貨は……国家規模や特別な取引ですね」
そこまで聞いて、カナタは一瞬――言葉を失った。
視線が、自然とソラの掌へと吸い寄せられる。
「……え?」
白銀貨。
確かに、今ソラの手の中にある。
他の硬貨と並んで、何気ない顔で置かれているが――
それは、国家規模の取引に使われるはずのものだ。
「……それ……持ってていいんですか?」
思わず、声が裏返る。
ソラは一拍置き、そしてごく自然に答えた。
「これは教育用です」
「……教育用?」
「ええ。価値体系を説明する際に、実物を見せた方が理解しやすいでしょう」
あまりにもさらりと言うものだから、カナタは逆に混乱する。
「で、でも……国家規模って……」
「普段使うものではありませんから」
ソラは白銀貨だけを袋に戻し、口をきゅっと結んだ。
「触れる機会がないからこそ、誤解が生じやすい。そのための教材、というだけです」
(……教材で、白銀貨……?)
納得しかけて、やっぱり納得できない。
だが、ソラの表情はいつもと変わらない。
落ち着いていて、どこか“これ以上突っ込む必要はない”と語っている。
「……そう、なんですね」
カナタはそれ以上踏み込まず、視線を逸らした。
(教育用……か)
胸の奥に、ほんの小さな違和感が残る。
だが同時に、ソラが自分を導く存在であるという安心感も、確かにあった。
――今は、知らなくていい。
そう言われている気がした。
カナタは、じっと硬貨を見つめていた。
「……模様が、全部違いますね」
言われてみれば、どの硬貨にも同じ図柄はない。
だが、ただの装飾というより――
「紋章、みたいに見えます」
ソラは、わずかに目を細めた。
「よく気づきました」
硬貨を一枚取り上げ、カナタにも見えるように傾ける。
「それぞれの模様は、この世界の管理体系と関係しています。
街、国家、あるいはそれを超えた存在の“保証”を示す印です」
「……じゃあ、意味があるんですね」
「ええ。ただの金属ではありません」
ソラは穏やかに続ける。
「硬貨は“信用”そのものです。どこで使っても価値が通じるように、意図的に統一されています」
その言葉に、カナタは小さくうなずいた。
(……この世界、ちゃんと“仕組み”で動いてるんだな)
物語で読んできたファンタジーよりも、ずっと現実的で、ずっと重い。
カナタは硬貨を見つめながら、真剣にうなずく。
「物の値段は、街ごとに多少上下します。物資が豊富な街では安く、辺境や戦乱の影響を受けている地域では高くなります」
「……なるほど」
「インテルムは交易都市です。物価は比較的安定していますが、それでも変動はあります」
カナタは、硬貨の重みを想像する。
数字だけでなく、「生活の感覚」として。
「……ちゃんと、覚えないとですね」
「ええ。でも焦らなくていい」
ソラは微笑み、袋をしまう。
「まずは、安心して生活に集中してください。それが、私の役割です」
その言葉に、胸の奥がふっと軽くなる。
「……わかりました。じゃあ、安心して……」
自然と、息が抜けた。
ソラは窓際に歩み寄り、簡素な机の上に地図を広げる。
インテルムの街全体が、細かな線で描かれていた。
市場。
ギルド区画。
住宅街。
訓練場。
街外れの門。
「まずは、街の全体像を把握しましょう」
指先が動くたび、カナタの視線も追う。
初めて目にする情報ばかりなのに、不思議と頭に入ってくる。
「次に、ギルド登録です。冒険者ギルドだけでなく、商人ギルドや訓練場も訪れる必要があります」
「はい」
「生活の流れはこうです」
朝。
午前。
昼。
午後。
夜。
説明を聞きながら、カナタはベッドに視線を落とす。
ツインベッド。
隣にソラがいる距離。
胸が、少しだけ早く打ち始める。
「……わかりました」
声に出すと、少し気恥ずかしい。
それでも、恐怖よりも期待が勝っている。
ソラはベッドの端に腰を下ろし、微笑む。
「私が同行しますから、迷うことはありません。ただし、あなた自身が動かないと、学びは始まりません」
カナタは深呼吸をひとつ。
ここが、拠点だ。
逃げ場ではなく、始まりの場所。
「それでは、まずは食事からです」
ソラは立ち上がり、扉の方を示す。
どこかから、温かい香りが漂ってくる。
――初めてのまともな食事。
初めての入浴。
初めての睡眠。
すべてが、生き直しの一歩。
「……じゃあ、行きましょうか」
ソラはうなずき、静かに微笑んだ。
二階の角部屋から始まる、一週間。
インテルムの街で、二人の生活は、確かに動き出していた。




