第6-3話「魂が街を覚える」ー生活圏への第一歩
インテルムの中心通りから一本外れた石畳の道を歩きながら、カナタはようやく思考を取り戻しつつあった。
さきほどまで感じていた、押し流されるような感覚はない。
多種族の往来にも、露天の呼び声にも、今は過剰に反応しなくなっている。
耳に入る音は相変わらず多いが、それらは一つ一つが分離され、整理され、街という“機能”の一部として認識され始めていた。
(……これが、街か)
ただ賑やかなだけではない。
住む者がいて、働く者がいて、休む場所がある。
通りの幅、建物の高さ、露店の配置――すべてが、人と時間の流れを前提に作られている。
冒険や非日常だけでなく、生活の匂いが確かに漂っていた。
通りの端では、獣人の老女が腰を下ろし、編み物をしている。
その隣を、人間の子どもが走り抜け、エルフの青年が苦笑しながら追いかけていた。
派手さはないが、確かな日常がそこにある。
「まずは宿ですね」
ソラが、自然な調子で言った。
「街に入ったばかりの魂は、魂定着が安定するまで、拠点を持つのが基本です」
その言葉に、カナタは小さくうなずく。
異世界ものを読み漁ってきた身としては、むしろ“お約束”だ。
(宿 → 情報 → 金策 → ギルド……)
頭の中で、無意識に流れが組み上がっていく。
物語として知っている手順が、現実の選択肢として浮かび上がるのは、不思議な感覚だった。
そのときだった。
通り沿いの宿の前で、視線を感じた。
露骨ではない。
だが、確かに――一瞬だけ、こちらを測るような目。
鎧姿の男が、杯を口に運ぶ手を止めた。
商人風の女が、値札を指で弾きながら、ちらりとこちらを見る。
そして、入口脇に立つ、街の監視役と思しき存在。
(……見られてる?)
理由はわからない。
だが、異世界ものの知識が、警鐘のように囁く。
――街は安全だが、無条件ではない。
――特に“例外”は、必ず観察される。
カナタは、無意識に背筋を伸ばした。
歩き方まで、少しだけ意識してしまう。
「気にしすぎでしょうか?」
小声で言うと、ソラは一拍だけ間を置いて答えた。
「いいえ。正しい感覚です」
その声は、やけに静かだった。
「インテルムは開かれた街です。でも同時に、秩序を重んじます。魂の状態、定着、登録――それらはすべて、街を守るための線引きです」
カナタは、その言葉の意味を噛みしめる。
(測定不能……)
入市は許可された。
だが、それは“完全な受け入れ”ではない。
「……宿も、誰でも泊まれるわけじゃないんですか?」
「泊まれます。ただし――」
ソラは言葉を選ぶ。
「高級区画や長期契約には、魂情報の提示を求められる場合があります。ですが、初心者向けの宿なら問題ありません」
なるほど、とカナタは内心でうなずく。
(歓迎ムード一色じゃない……)
それが、妙に現実的で、逆に安心できた。
やがて、控えめな看板を掲げた宿が見えてくる。
石造りの二階建てで、派手さはないが、人の出入りは多い。
入口には、種族も年齢もばらばらな客。
荷を背負った旅人、仕事終わりの職人、子どもを連れた母親。
誰もが“特別”ではなく、ただの利用者として扱われている。
「ここなら大丈夫です」
宿の扉をくぐった瞬間、空気が変わった。
昼間の街路とは違う、熱と匂いと音が混ざり合った空間。
香辛料の強い匂い、焼き肉の脂、酒の甘さ。
木造の広い一階は、ほぼすべてが酒場兼食堂として使われているらしい。
長テーブルがいくつも並び、種族も年齢もばらばらな客たちが、酒を飲み、食事を取り、笑い声を上げていた。
(――ああ、これだ)
異世界ものを散々読んできたカナタの脳裏に、何度も思い描いた光景が重なる。
だが実際にその場に立つと、胸が高鳴るというより、思考が一瞬止まった。
情報量が多すぎる。
獣人が骨付き肉をかじり、背中に羽を持つ種族が果実酒を傾け、角のある男が人間と肩を並べて笑っている。
言葉は違っても、笑い方や仕草は驚くほど近い。
誰もが自然体で、誰もがここに属している。
「……すごい」
思わず漏れた声は、喧騒にすぐ飲み込まれた。
ソラはそんなカナタの反応を見て、ほんの少しだけ表情を緩める。
「この街では、宿の一階は社交場のようなものです。情報も仕事も、まずはここから流れます」
その説明は、あまりにも的確で、慣れすぎていた。
カナタは気づかない。
だが、ソラは一瞬だけ――言い過ぎたかもしれない、と内心で思う。
受付に向かう途中、何人かの視線がカナタに向けられた。
露骨ではない。
ただ、確認するような、探るような視線。
そのうちの一つが、カナタの胸元に一瞬だけ落ちる。
魂の定着位置。
そして、すぐに逸らされた。
「……?」
違和感はあったが、理由まではわからない。
測定不能という言葉が、まだ頭の中で引っかかっているせいで。
だが今は、それ以上考えないことにした。
ここは街だ。
生きる場所だ。
そして――最初の拠点になる。
その事実だけが、静かに胸に落ちていた。




