第6-2話「魂が街を覚える」ー世界に馴染む音
インテルムの街路を進むにつれ、カナタの中で何かが少しずつ変わり始めていた。
最初は、ただ圧倒されるばかりだった。
多種多様な姿、耳、角、鱗、体格――それらが一度に視界へ流れ込み、思考が追いつかなかった。
石畳の上を行き交う足音ひとつ取っても違う。
重く響くもの、軽やかに跳ねるもの、爪が石を引っ掻く乾いた音。
靴だけでなく、蹄、裸足、鱗に覆われた足裏、義足の金属音まで混じっている。
通りの右手では、背丈が三メートル近い巨躯の男が、天幕の柱を片手で持ち上げていた。
左手では、腰ほどの高さしかない小柄な種族が、仲間同士で甲高い声を飛ばしながら籠を運んでいる。
耳の長いエルフは、必ずしも森の賢者のような佇まいではなかった。
派手な服を着て呼び込みをする者もいれば、無精ひげを生やし、酒樽を担いで歩く者もいる。
ドワーフは鍛冶場にこもっているだけではなく、通りの中央で大声で笑いながら商談をまとめていた。
獣人も様々だった。
狼の頭を持つ者、猫の耳と尾を揺らす者、羽毛に覆われた腕を畳んで歩く鳥人。
鋭い牙を持つ者が子どもを肩車し、柔らかな毛並みの腕で背を支えている。
それらすべてが、一斉に押し寄せてくる。
だが、数分も歩くと、その感覚が微妙に薄れていく。
(……あれ?)
自分でも気づかぬうちに、視線が"一つひとつ"を追わなくなっていた。
驚きは消えていないのに、驚き続けることをやめている。
エルフが珍しくなくなった。
ドワーフの低い笑い声も、鍛冶場の風景として自然に受け入れられる。
獣人が子どもを抱いて歩く姿に、警戒よりも微笑ましさを感じている自分がいる。
露店の前では、年老いたリザードマンが、幼い人間の子に果実を手渡していた。
その子は、尻尾に驚くこともなく、無邪気に礼を言って走り去っていく。
誰も、それを特別な光景として見ていない。
そして、気づけば――
人間の姿も、そこかしこにあった。
旅装の青年が、獣人の冒険者と地図を覗き込んでいる。
商人風の中年が、エルフと肩を並べて値段交渉をしている。
露天の前では、人間の少女が、ドワーフ相手に必死に食い下がっていた。
彼らは、守られてもいないし、浮いてもいない。
誰かに説明される存在でもなければ、例外でもない。
エルフと並び、獣人と笑い、ドワーフと肩を並べて酒を飲んでいる。
「……人間も、普通に暮らしてるんですね」
思わず漏れたその言葉は、安心と驚きが混じっていた。
“人間がいる”ことそのものより、“人間であることが問題になっていない”ことに、胸を撫で下ろした。
「ええ。インテルムは種族で区別しません」
ソラはそう答えたが、その視線は、カナタの横顔を静かに観察していた。
(早い……)
胸の奥で、そう思う。
普通なら、ここで疲労が出る。
情報過多に押し潰され、拒否反応が先に立つ。
「自分は異物だ」という意識が、強くなる。
だがカナタは違った。
この順応速度は、明らかに異常だった。
不安を抱えたまま、それでも“見ている”。
拒む前に、受け取っている。
普通の魂なら、数日は混乱し、立ち止まり、眠れなくなってもおかしくない。
だが彼は、もう「風景」として街を受け入れ始めている。
不安は消えていない。
魂が測定不能であるという事実も、行政天使の視線も、“例外”という言葉も、確かに胸の奥に残っている。
それでも――
(……すごいな)
露天に並ぶ、見たことのない果物。
皮が半透明で、内部が淡く発光しているもの。
香りだけで胸がくすぐられる、未知の食べ物。
通りを駆け抜ける冒険者風の集団。
鎧の擦れる音、武器の気配、視線の鋭さ。
彼らがここを「日常」として行き来していることに、心がざわつく。
酒場から溢れる笑い声と音楽。
拍子も旋律も知らないはずなのに、不思議と心地いい。
不安よりも先に、好奇心が顔を出す。
警戒よりも先に、期待が膨らむ。
異世界ものを読み続けてきた自分が、“もし本当に行けたら”と何度も想像した光景。
それが今、目の前にある。
「……歩いてるだけなのに、目が足りないですね」
カナタがそう言うと、ソラは微笑んだ。
「それが、街です」
それ以上は言わない。
この魂が、どれほどの速度で世界に馴染んでいるのか。
それがどれほど危うく、そして希望でもあるのか。
――それを伝えるには、まだ早い。
ソラは、案内役として一歩後ろを保ち続ける。
決して前に出すぎず、だが決して離れない距離で。
カナタはまだ知らない。
自分が今見せているこの“順応”こそが、行政が最も警戒する兆候のひとつだということを。
けれど今はただ、胸の奥で芽生え始めた感情に身を委ねていた。
不安が、消えるわけではない。
だがそれを押しのけるように、ワクワクが、確かに前に出てきていた。
――この街で、生きていけるかもしれない。
その予感だけが、カナタの歩みを、ほんの少し軽くしていた。




