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第6-1話「魂が街を覚える」ー言葉が、意味になる瞬間

インテルムの通りを進むにつれ、視界は情報で埋め尽くされていった。


石畳は一様ではなく、色も質感も区画ごとに異なる。

磨き込まれた灰色の石、赤茶けた岩盤、金属片を混ぜ込んだように鈍く光る舗装。

歩くたびに靴底から伝わる感触が違い、街そのものが生き物のように表情を変えていく。

両脇には露店が並び、天幕の布は獣皮、植物繊維、羽毛混じりの布など様々だ。


香ばしい匂い、鼻を刺す刺激臭、甘く粘つく香り。

金属の擦れる音、獣の低い唸り声、翼が畳まれる気配、角同士が触れ合う乾いた音。


人並み――いや、魂並みと言うべきか。


二本脚の人型だけではない。

四肢の数が違う者、尾を引きずる者、背丈が子供ほどしかない者。

鱗が光を反射する背中、毛並みを誇示するように揺らす獣人、

羽を折り畳み、通行の邪魔にならぬよう慎重に歩く翼持ち。


どれも、画面や文字で見てきた“異世界”そのものだった。

だが、距離がゼロだ。

匂いも、体温も、視線も、すべてが現実として押し寄せてくる。


それなのに――

カナタの思考は、ほとんど動いていなかった。

胸が高鳴る、というよりも近いのは硬直だった。

頭の奥が、白くなる。

情報が多すぎて、感情が立ち上がる前に処理が止まる。

憧れてきた異世界。

本や画面の向こうで何度も想像してきた光景が、今は現実として目の前にある。


なのに、感動より先に、追いつかない。

「見たい」「知りたい」という欲求が湧く前に、

「壊れないように」「間違えないように」という防御が先に立つ。


「……すごい、はずなんだけど……」


言葉にしようとして、途中で止まる。


口に出した瞬間、何かを期待されてしまいそうで、無意識にブレーキがかかった。


耳には確かに音が届いている。

だが、それを“言語”として認識する前に、

魂の奥で一度ふるいにかけられている感覚があった。

関係のない雑談。

取引の交渉。

軽口。

警戒。

意味だけが、輪郭だけが、静かに流れ込んでくる。

まるで字幕を消した映像を見ているような、不完全な理解。


「無理に理解しようとしなくて大丈夫ですよ」


横を歩くソラが、穏やかに言う。


彼女の歩調は一定で、周囲の喧騒に飲まれない。

誰かにぶつかることもなく、自然と人の流れを縫うように進んでいる。


「今は、世界に慣れる段階です」


カナタは小さくうなずいた。


測定不能。

魂の総量が規格外。

行政天使、監査官、例外扱い――。

頭の片隅では、ずっと警鐘が鳴り続けている。

目立つな。

余計なことをするな。

慎重に、慎重に。

街の視線が、必要以上に自分に集まっている気がして、肩に力が入る。


だが同時に、誰も自分だけを見ていないことも分かる。

この街では、異質であること自体が、日常なのだ。


その時だった。

露店の一つから、低く響く声が飛んできた。

岩を削るような、重く濁った発音。

胸に直接響く声量。

ドワーフだ、と直感で分かる。

短い体躯、太い腕、鍛冶の煤が染み付いたような匂い。


「――安いぞ、人の子。今日は掘り出し物だ」


カナタは、足を止めた。


今の――

今の言葉は。

翻訳された感覚じゃない。

意味が“落ちてきた”のでもない。

ちゃんと、音として聞いて、言葉として理解した。


「……え?」


胸の奥で、何かが噛み合う音がした。

歯車が、ほんの一枚、正しい位置に収まったような感覚。

周囲の音が、少しだけ立体的になる。

ただの雑音だった声が、区別を持って耳に届く。


ソラが、ほんの一瞬だけ目を見開いた。

すぐに元の微笑に戻ったが、そのわずかな反応を、カナタは見逃さなかった。


「今の……聞こえました?」


思わず問いかける。


「ええ」


ソラは言葉を選ぶように、少し間を置いてから続けた。


「必要な言葉が、届いたのでしょう」


必要な言葉。

偶然じゃない。

成長でも、学習でもない。

魂が、この世界に根を下ろし始めた証。

カナタはゆっくりと息を吐いた。

胸の奥に溜まっていた緊張が、ほんの少しだけ緩む。

怖さは、まだ消えない。

慎重さも、必要だ。


それでも――

世界が、少しだけ“こちらを向いた”気がした。

異世界は、もう背景じゃない。

物語でも、憧れでもない。

ここは、生活の場だ。


そして自分は、そこに立っている。

ソラは歩みを進めながら、何気ない調子で言った。


「インテルムでは、言葉を覚えるより先に、空気を覚えた方が楽ですよ」


カナタは、小さく笑った。


まだ分からないことばかりだ。

それでも、“分かり始めている”という感覚だけは、確かにそこにあった。

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