第5-3話「石壁の街」~千年ぶりの例外
行政天使が奥へ消えてから、どれほどの時間が経っただろうか。
外壁の内側に設けられた検査区画は、風も音も遮断され、異様なほど静かだった。
魂定着測定器の水晶盤はすでに光を失い、ただ「測定不能」という文字だけが、残像のように脳裏に焼き付いている。
カナタは、落ち着かない気持ちを誤魔化すように手を握りしめた。
隣に立つソラは、穏やかな表情を保っていた。
それは不安がないからではなく、状況を受け入れる準備が整っている者の顔だった。
だがその視線は、門の奥――行政区画のさらに深部ではなく、門の上方へと向けられている。
別の、より強い光が、そこに集まり続けていた。
やがて光は収束を始め、空間そのものを押し広げるように、ゆっくりと形を持ち始める。
まるで“降りてくる”かのように、淡く、しかし圧倒的な存在感を伴って。
次の瞬間、静かな音とともに、足が地に触れた。
先ほどの行政天使のものとは明らかに違う、一定で無駄のない歩調。
威圧ではなく、秩序そのものが歩いているかのような感覚。
現れたのは、一人の天使だった。 光を纏っていたはずのその姿は、すでに輪郭を得ている。
白でも金でもない、行政区画特有の淡い色調をまとい、感情の揺らぎを一切感じさせない眼差しで、場を見渡していた。
ソラは、ほんのわずかに姿勢を正す。
(……来た)
周囲の行政天使たちが、一斉に背筋を伸ばす。
「状況を説明してください」
落ち着いた声だった。
感情はなく、ただ事実のみを求める声音。
報告を受け、天使は測定器へと視線を落とす。
水晶盤に触れ、短く確認の詠唱を行うが、結果は変わらない。
「……再測定でも反応なし。魂の欠損ではないな」
そこで初めて、その天使はカナタを見る。
「名を名乗りなさい」
「カ、カナタです。人間……でした」
一瞬の沈黙のあと、天使は小さくうなずいた。
「私はラファエル=アーカイヴ」
「狭間行政庁・魂定着管理局所属。例外事案監査官を務めている」
その名と肩書きだけで、場の空気が張り詰めた。
周囲の行政天使たちの背筋が、目に見えて伸びる。
ラファエルは淡々と告げた。
「結論から言おう。君の魂は定着している。しかも、極めて安定している」
カナタは思わず息を吐いた。 だが、次の言葉が続く。
「だが、測定不能だ」
否定でも、機器の故障でもない。
「測定器が反応しない理由は単純だ。魂の総量が、規格を超えている」
「……多すぎる、ということですか?」
「量というより、枠の問題だ」
ラファエルは静かに答えた。
「溢れた水を升では量れない。それだけの話だ」
その言葉に、カナタは言葉を失う。
ラファエルの視線が、次にソラへと向けられた。
ほんの一瞬、探るように目を細める。
「案内天使……まだ同行しているのか」
その一言で、空気が変わった。
行政天使たちの間に、はっきりとした動揺が走る。
ソラは静かに一礼した。
「必要と判断しました」
ラファエルは短く息を吐き、わずかに天井を仰ぐ。
そして、再びカナタを見る。
評価というより、確認に近い視線。
「……確かに、君は例外だ」
そして、判断は即座に下された。
「カナタ。君の入市を許可する。なお魂の測定値は未登録、例外扱いとする。今後、行政から呼び出しがかかる可能性は否定できない」
それは脅しではなく、事実の告知だった。
―――
門の脇、測定装置がまだ微かに燻る中で、 測定を担当していた行政天使が声をかけた。
「……ラファエル様」
「先ほどの魂ですが」
言葉を選びながらも、結局は抑えきれず続ける。
「あの者は、一体……何なのですか?」
ラファエルは門の奥――街へと進んでいく背中を見つめたまま、静かに答えた。
「大半は自動定着だ。魂定着後も案内天使が検査区域まで同行する例は、千年以上確認されていない。例外だろう。」
千年。
その数字が、この状況の異常さを雄弁に物語っていた。
行政天使は息を呑む。
「――あれは、その例外だ」
ラファエルはそれ以上語らなかった。
「これ以上、君が関わる事案ではない」
そう言って、再び視線を戻す。
測定不能でありながら、確かに歩いていく魂の背へ。
門は静かに閉ざされ、行政区画にはいつもの光が戻った。
だがその裏で、 確実に“想定外”は、動き始めていた。




