第4-幕間『導く者の視界』~ソラの任命と誤差
※本話は、第4話までに起きた出来事を、
ソラの視点から描いた幕間となります。
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淡い光の海に、案内人の声が響いた。
それは命令という形式を取らなかった。
だが――拒否という選択肢が存在しない、断定だった。
「この魂を、必ず狭間へ導いてほしい」
“必ず”
その一語に、すべてが込められていた。
偶然でも、可能性でもない。
失敗は想定されていない。
導かれなかった未来は、初めから存在しないかのような言い切り。
「例外は許されない。途中で失われることも、逸れることも、許されない」
光の海が、わずかにざわめく。
それほどまでに強い意思が、案内人の声には宿っていた。
視界に映し出されたのは、一人の少年――名前はカナタ。
生前、あまりにも大きな魂を持ちながら、肉体がそれに耐えられず、病床に縛られていた存在。
私は一瞬で理解した。
これは通常案件ではない。
だからこそ、私が選ばれた。
「……特命、ですね」
案内人はうなずく。
私は案内天使であり、その部下。
命令に逆らうことはない。
けれど、この魂に向けられた視線には、わずかな緊張が混じっていた。
「彼は、狭間にとって重要な存在になる可能性がある。ただし――制御が必要だ」
制御。
その言葉の重さを噛みしめ、私は任を受けた。
本来なら、転送は完璧だったはずだ。
カナタが目を覚ました瞬間、すぐ視界に入る位置。
混乱を最小限に抑えるための、定められた距離。
だが――転送の瞬間、空間がわずかに歪んだ。
「……干渉」
嫌な予感が走る。
魂の軌道が、ほんの少しずれた。
結果、私は予定位置から大きく外れた荒野に降ろされてしまった。
着地と同時に、私は状況を把握する。
周囲は静かな荒野。
だが、彼は遠くにいる。
――探さなければ。
意識を広げた瞬間、すぐに分かった。
この狭間に存在する無数の魂の中で、ひとつだけ“密度”が違う。
大きい。
あまりにも。
位置特定に時間はかからなかった。
私は魂の力を身体へと回し、全力で地を蹴る。
風を裂き、砂を跳ね上げ、荒野を駆ける。
速度を上げるほど、彼の状態が伝わってくる。
混乱。
戸惑い。
そして――喜び。
立っている。
歩いている。
それだけで、胸の奥が少しだけ緩んだ。
私は一歩一歩と、彼に近づく。
砂を踏みしめる音が、あまりにも大きく響いた気がして、思わず速度を落とす。
驚かせてはいけない。
彼は今、ようやく“動ける世界”に降り立ったばかりだ。
生前、奪われ続けていた感覚が、一気に押し寄せている最中。
ここで強い刺激を与えれば、魂の均衡が揺らぎかねない。
私は距離を保ち、声の通り道を整え、慎重に言葉を選ぶ。
「……大変、申し訳ございませんでした」
荒野に、私の声が静かに広がった。
彼が、はっと驚く。
その反応だけで分かる。
聴覚も、感情も、きちんと定着している。
(……よかった)
内心でそう安堵した瞬間、
胸の奥が、じくりと鈍く軋んだ。
――魂の負荷。
分かっていたことだ。
彼の魂は、通常の案内対象とは比べものにならない。
近くにいるだけで、微弱な干渉が生じるほどの密度。
抑制をかけている。
常に、無意識のうちに。
それでも、完全には隠しきれない。
私は表情に出さないよう、意識を集中させる。
「遅れてしまった理由ですが……」
彼の瞳を真正面から見つめる。
澄んでいて、警戒心は薄い。
それが逆に、胸を締め付ける。
「本来であれば、私はあなたのすぐ傍に降り立つ予定でした」
言葉を選ぶ。
“誤送信”や“干渉”といった専門的な表現は、まだ早い。
「ですが、転送の際にわずかなズレが生じ……私は、少し離れた地点に送られてしまいました」
それは事実だ。
そして同時に、すべてを語ってはいない。
地獄側の微細な干渉――魂の軌道への意図的な“触れ”。
あまりにも小さく、証拠としては残らないもの。
私はそこには触れない。
それでも、荒野の中でひときわ重く、深く、静かに存在する魂。
自然と私の視線はそこに吸い寄せられる。
私は、ためらうことなく一歩、彼に近づいた。
その瞬間、魂の圧が、はっきりと増した。
(……やはり)
胸の奥が、じわりと熱を帯びる。
負荷が、確実に私の中へ流れ込んでくる。
抑制を強める。
呼吸のリズムを一定に保つ。
魂の表層だけで彼と向き合う。
それでも――
彼が、不安そうにこちらを見るその表情が、思っていた以上に、胸に響いた。
少し、間を置いた。
魂の揺れが落ち着くのを待つための、ほんのわずかな静寂。
そして私は、改めて言葉を紡ぐ。
「改めまして。私はソラです。これから、狭間での生活をサポートする役目の者です」
声は落ち着いているはずだった。
けれど、自分でも分かるほど、いつもより柔らかい。
彼――カナタさんは、少し驚いたように肩を揺らし、慌てて軽く頭を下げた。
その動きはぎこちなく、けれど真面目で、思わず視線を離せなくなる。
(……律儀な人)
声を出そうとして、うまく言葉にならない。
視線が彷徨い、唇が何度か開いては閉じられる。
「えーっと……えっと……」
自己紹介をしようとしているのだと、すぐに分かった。
けれど、魂の緊張が強すぎる。
言葉が形になる前に、絡まってしまっている。
その様子を見て、私は小さく息を整えた。
(大丈夫……焦らせてはいけない)
だが同時に、彼の魂の波が、私の中の感応層を叩く。
膨大で、澄んでいて、そして――孤独の痕跡が色濃く残っている。
だから、私は先に言葉を継いだ。
「カナタさん、ですね」
彼の瞳が、はっきりと見開かれる。
「初めまして……ようやく、会えました。これからよろしくお願いします」
“ようやく”という言葉に、ほんの少しだけ私情が混じったのを、自覚する。
けれど、訂正はしなかった。
彼が息をのむのが、はっきりと分かった。
――やはり。
名前を呼ばれただけで、魂が大きく揺れる。
生前、どれほど“個として扱われなかった”のか。
触れずとも、伝わってくる。
一瞬、彼の記憶の端が流れ込む。
白い部屋。無機質な音。
声をかけられない時間。
見舞いに来ても、視線を合わせない大人たち。
私は、それ以上を読み取らないよう、即座に遮断する。
(……深入りは禁物)
それでも、荒野の風が彼を包み込むように吹き抜けるのを感じた。
この場所が、彼にとって“自由”であることを、魂が理解し始めている。
「では……ソラと呼びますね」
小さく、遠慮がちに。
それでも、確かにこちらへ向けられた声。
胸の奥で、何かがふっと緩む。
「はい。よろしくお願いします、カナタさん」
私は微笑んだ。
案内天使として、許される範囲の、精一杯の柔らかさで。
彼と視線が合う。
その瞬間、魂の奥に、静かな芽吹きを感じた。
――希望。
それは、まだ名前も持たないほど小さなもの。
(……この魂を、無事に導かなければ)
改めてそう思いながら、
私は彼の隣に立つ覚悟を、静かに固めた。
私は案内天使。
彼は、導くべき魂。
そして――
この膨大な魂を、壊さず、歪めず、
狭間へ“定着”させる責任が、私にはある。
それが、少しだけ――
重い。
けれど。
彼がここに立っている限り、
私は歩き続ける。
そう決めて、私はもう一度、穏やかに口を開いた。
「……まずは、落ち着きましょう。ここから先は、私が一緒に歩きます」
その言葉が彼の魂に、静かに届くことを願いながら。
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彼が、意を決したように叫び、
「お花摘みに行ってきます!」と走り出した瞬間。
……私は、危うく表情を崩すところだった。
(可愛……)
いえ、違う。
そう感じたこと自体が、職務としては不適切。
私は一度、深く呼吸を整える。
感情の揺れを抑える。
案内天使は、導く存在であって、情を持ちすぎてはいけない。
……はずなのに。
岩陰で用を足し終え、ほっとした表情で、そっと自分の身体を確認している彼を見て━━
胸の奥が、じんわりと温かくなるのを、否定できなかった。
(……生きている実感、なのでしょうね)
生前、自由を奪われていた魂。
今、初めて“自分の身体”を得た。
その確認行為が、どれほど大切なものか――
理解できてしまう自分が、少し怖かった。
私は案内天使。
感情に引きずられてはいけない。
けれど同時に、別の問題がはっきりしてきた。
――魂が、重すぎる。
彼が動くたび、感情が揺れるたび、周囲の魂層がわずかに震える。
無意識のうちに、魂の圧が漏れ出している。
「……やはり、このままでは」
私は距離を保ったまま、補助を開始する。
直接抑え込むことはできない。
案内天使が出来るのは、魂の“流れを整える”ことだけ。
彼の魂に寄り添い、溢れそうな部分を静かに分散させる。
感情が急激に跳ねないよう、意識が暴走しないよう、細心の注意を払う。
正直――骨が折れる。
ここまで膨大な魂を、無自覚のまま動かしている存在は初めてだった。
それでも、彼はまだ何も知らない。
いずれ測定不能になる理由も。
自分がどれほど規格外なのかも。
知らなくていい。
今は、まだ。
感情が揺れかけるのを感じながら、私は自分に言い聞かせた。
――この魂を守る。
――導く。
――そして、暴走させない。
それが、私に与えられた役目なのだから。
荒野の風が、私たちの間を通り抜ける。
私は小さく息を整え、案内天使としての顔を作った。
ここからが、本当の始まりだ。




