第29話 最後の技法
タケルたちはガイを連れて、再び森奥の小屋を訪れた。
苔むした木造の扉を押し開けると、名人は静かに腰掛けていた。
「……ガイか」
息子の顔を見た瞬間、名人の声にはわずかな驚きと、しかし深い疲れがにじんだ。
「親父、このガキ達から聞いたぜ。兄貴か俺か、どっちかが継ぐならって条件を出したらしいな」
ガイは不機嫌そうに頭をかきながらも、真正面から切り出した。
「この際ハッキリ言わせてもらう。……俺は継がない」
名人はしばし黙り込んだが、やがて小さくうなずいた。
「そうか。お前が考えて出した答えなら、仕方あるまい」
ガイが鼻を鳴らす。
「分かってくれりゃ、それでいい」
しかし名人はゆっくりと顔を上げ、真っすぐに息子を見た。
「……ただ、最後に二つだけ頼ませてくれ」
「二つ?」ガイが片眉を上げる。
「一つは――ワシがスパイスボアを捕まえる。それを“最後の技法”として残す。もし誰かが困っていたら、イメージだけでもいい、伝えてやってくれ」
ガイは視線をそらし、肩をすくめた。
「伝えるかどうかは分からねぇけど……最後に見るくらいなら、まあいいぜ」
「で、もう一つは?」
名人はほんの少し笑みを浮かべ、言った。
「一口で構わん。スパイスボア入りのカレーを食べてみてくれんか」
ガイは即座に顔をしかめる。
「親父、俺がカレー嫌いなの知ってるだろ! 絶対いやだ」
タケルがニヤリと割って入る。
「この兄ちゃん、ニンジン食べれないんだってさ」
「おい! それ言うんじゃねー!」ガイが真っ赤になって怒鳴った。
名人は一瞬きょとんとしたあと、思わず吹き出した。
「……そんなんでカレー嫌いだったのか。早く言ってくれりゃよかったものを」
「ニンジン食べれないとか、ダセぇこと言えるかよ!」
名人は頬を緩め、息子を安心させるように告げた。
「なら、特別にニンジンなしのスパイスボアカレーにしてやろう。どうだ?」
ガイはしばらく口をへの字にしていたが、やがて観念したように小さくつぶやいた。
「……まあ、それなら。一口だけだぞ」
その答えに、名人は静かに目を細め、ふっと笑みをこぼした。
サクラも小さく安堵の息をつき、アキラは真剣なまなざしで二人のやりとりを見守っていた。
――
森の奥、ひっそりとした獣道。
名人はしゃがみ込み、風の流れを読むように目を細めた。
「……来おったな」
一瞬、空気が張りつめる。
老人は静かに気配を殺し、森そのものと同化するかのように身を伏せる。
呼吸すら消えたような静寂の中、するりと網が振り下ろされた。
風が止まり、音が消えた刹那――。
暴れ出したスパイスボアは、まるで幻惑されたかのようにあっさりと絡め取られていた。
「なっ……!」タケルが目を見開く。
「速すぎて……何が起こったか、全然分からなかった」
サクラが呟く。
アキラもただ唖然としたまま、無駄のないその動きに見入っていた。
ガイは腕を組み、苦々しい表情で呟いた。
「……やっぱ、何度見てもすげーな。……俺には無理だ」
名人は網を担ぎ、振り返った。
「福の坊に持っていくとしよう。――ガイ、お前も来い」
――
こうして捕らえたスパイスボアを抱え、一行は始まりの町にある「三代目福ちゃんの味」へと向かった。
「おおっ!」福ちゃんが目を丸くした。
「名人、見つかったんすね! 本当に良かったっす!」
「詳しい話はあとだ」名人は短く言うと、スパイスボアを差し出した。
「これでカレーを作ってくれ。……ニンジンなしでな」
「了解っす! でも仕込みに時間かかるんで……明日の十一時、店に来てほしいっす」
――
次の日。
タケルたちは福ちゃんの店へ向かったが、その前に並んでいたのは長蛇の列だった。
「なんだこりゃ!? 三百人はいるぞ!」タケルが叫ぶ。
「SNSで話題になってる……“幻のスパイスボアカレー解禁”ってタグがトレンド入りしてるぞ」アキラがスマホを見せる。
「サクラ、あっち見て!」
「本日限定、スパイスボア入りカレーって書いてあるわ!」サクラが店の前の大きな看板を指差した。
「これ並ぶの無理だよ……」ガイがうなだれた、そのとき。
「遅いなと思って、出てきてみたら……こんなとこで何やってるんすか」
「ほら、入って入って! 特等席はちゃんと用意してあるっすよ!」
福ちゃんが笑顔で出迎え、彼らを店の奥へ通した。
テーブルに並べられたのは、特別に用意された皿。
湯気を立てる黄金色のカレー、その中にはスパイスボアの肉がごろりと盛り込まれていた。
「これが当店自慢の――スパイスボア入りカレーっす!」
立ち上る香りに、三人の胃袋が一斉に鳴った。
「うおっ……!」タケルは思わずよだれを拭う。
「スパイスの香りが層になって押し寄せてくる……」アキラが鼻を利かせ、感心したようにうなる。
「色合いも綺麗。まるで宝石みたい……」サクラが目を輝かせる。
「よし、遠慮はいらん。食べてみろ」取り名人が笑みを浮かべた。
三人はスプーンを握り、一斉に口へ運んだ。
「うっ……うめーー!」タケルが勢いよく叫ぶ。
「スパイスの辛味とボアの旨味が舌で踊ってる……!」サクラが頬を赤らめる。
「……これなら、食べマス⭐︎5確定だな。文句なし」アキラも真顔で頷いた。
取り名人が横に座るガイを見た。
「みんな、こう言っておる。……ガイ、お前も食べてみないか」
「……ちっ。男は一度口にしたからにはやるしかねぇ」
ガイはしぶしぶスプーンを取り、一口だけ口に運んだ。
――その瞬間、彼の表情がわずかに揺らぐ。
だがガイはすぐに顔を伏せ、何も言わずにスプーンを置いた。
その沈黙が、すべてを物語っていた。
――つづく。




